書名
 著者 
出版社
連帯の新たなる哲学
福祉国家再考
ピエール・ロザンヴァロン
北垣徹訳
勁草書房
出版年月
価格
投稿者 / 日付
平成18年5月20日
(原書 1995年)
3,300円
服部滋/2006.12.20
感想

福祉国家について専門的に考えるためには必読の書です。大きな政府としての福祉がもはや財政的に破綻しかけている時、新たな社会問題として採り上げる名著といってよいでしょう。今までリスクとして考えられ、従って保険の対象と考えられていたものの尺度が変化してきました。今日ますます問題化しているのは、自然のリスク(洪水、地震)やテクノロジーにかかわる大惨事、そして大規模な環境破壊など、大災害のリスクはもはや個人々々にかかわるものではありません。国民全体として適切な枠組みを見つけなければならなくなってきております。従来の扶助という見方からではとても対応できないからです。雇用問題についても同様に、経済的不安は新たな形となって出現しています。非行や家族のなかでの断絶、国境を越えた脅威などにたいしては、従来の社会保障を中心とする考え方では解き得ないようになってきているのです。格差社会と言われるように、いったい誰が富者で誰が貧者かが知られてしまっている場合、これを自動的にあるいは論理的に処理してよいのかどうかも問題です。著者はこれらの社会問題をまとめて、こういいます。「・・・法の下での平等という個人主義的な要請から、集合的利益の擁護という考え方への移行・・・」、そしてそれに対処するためには、(経済的のみでなく)社会的かつ政治的に討議を進めることの重要性を指摘します。
そのほか、排除の論理などにも著者は鋭いメスを入れ(たとえばフリーター、ニートなどの社会問題)、これらは従来の「搾取」として語られたものから「排除」の語で扱われるようになってきていることを指摘するのです。この点から見れば、排除された者は「引きこもり」でも「落ちこぼれ」でもない、まさに「社会からの排除」として、すなわち、社会がその者を排除するのであって、分析されるべきは個々人ではなくまさに社会の方なのだ、と考えるようになります。こうして本書はこれら「排除」されたものをいかに再び社会に「組み入れる」べきかを考察すべきである、と主張するのです。これがまさに『連帯の新たなる哲学』であるといえましょう。
少し、否、大変難しい議論ではありますが、今日行き詰まった福祉国家を考えるうえで、本書は貴重な示唆を与えてくれるでしょう。

書名
 著者 
出版社
ドリトル先生の英国
南条竹則
文芸春秋
出版年月
価格
投稿者 / 日付
平成12年10月20日
710円
服部滋/2006.12.19
感想

ドリトル先生の名前の由来は、”do little”です。著者はこの意味を「為すこと少なし(=つまりは、ろくでなし)」としていますが、これではドリトル先生が可哀相。ナーンにもしない先生、と書評子は名付けています。ドリトル先生の物語はヒュー・ロフティングの一連の著作、たとえば『ドリトル先生航海記』など多数あり、時代は19世紀の半ばより少し前に生まれました。ドリトル先生はなにしろ動物語を解するお医者さんです。ですから動物との会話や動物の心をよく理解してそこにユーモアや優しい心遣いが表れて特にお子さんに人気のある物語。もちろん著者も子供の頃、プレゼントで手にしたとき以来ずっと魅せられて遂に新書版でデビューを果たしました。昔からイギリスにはこのような子供の夢をかきたてる書が多くあって、情操教育はこのようなところから育まれてきたのに違いないと信ずる者です。古くは「アーサー王物語」から「ロビンソン・クルーソー」、「ガリヴァー旅行記」、「宝島」、「不思議の国のアリス」などなど。ここから英国独特の知性やセンスが養われ、近くでは「ハリー・ポッター」が生まれる土壌を培っているのでないか、と書評子は思ってしまいます。

書名
 著者 
出版社
愛と名誉のために
ロバート・B・パーカー
早川書房
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1984.11.15(原書1983)
1.300円
服部滋/2006.11.30
感想

私立探偵のスペンサー・シリーズで一時人気のあったパーカー物ですが、この書には珍しくスペンサーが登場していません。だが深く心を打つ作品で、書評子はもう何回繰り返し読んだことでしょう。最近も読み返してみて感動を新たにしました。物語は青年ブーンが大学生活で一人の女子生徒を愛します。ところがその女子生徒は他の男子学生と結婚してしまいます。愛も誇りも失った彼は、落ちるところまで放浪生活を続け最後に立ち直って彼女と再会する・・・と筋書きをいえば、そこら中にあるメロドラマでしかないでしょう。しかし漂泊の日々のなかにも決して彼女を忘れることなく彼女へ届く当てのない日記を綴ります。愛と名誉のためにブーンの生き方を描ききったこの作品は、若者の青春日記のようですがそうではありません。老人の書評子にも何故か心を動かされるのです。書評では言い表すことのできないので興味をお持ちの方は一度お読みになられることをお奨めします。

書名
 著者 
出版社
坑夫
夏目漱石
岩波書店
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1994.4.11.
3,600円
服部滋/2006.10.28.
感想

漱石全集全28巻を生きているうちに読み切りたいと願うようになってから未だ第5巻しか読んでおりません。単行本ですと、どうしても自分の好きな題名に惹かれて選びますが、全集となると編集方針に従い無理矢理読まされることになります。第5巻に収められた『坑夫』という小説は、これが漱石作品かと戸惑いをみせるような内容です。舞台は足尾銅山で、東京が厭になって逃げ出してきた若い青年(というより少年に近い)が途中差配師に誘われて鉱山で働くことになります。劣悪な環境を新米の弱々しい若者がごつい男たちに交じって生活する状況を丹念に描いているのですが、漱石はどうしてこのようなモチーフで小説にしたのかが判りません。漱石自身が鉱山体験などしたことなどないので、誰かに聞いた話をもとに書いたものでしょう。それなのに荒れ場を丹念に描いているのはなぜでしょう。人は漱石流のひねくれ、とも評しますが、しかし漱石作品によく顔を出すニヒリスティックな観想がここにも見られるのではないでしょうか。それにしても漱石がこのような小説を書いたということに驚きを隠せません。異色な作品で必ずしもお奨め本ではありませんが、この第5巻には『三四郎』も収められていますので、救いになるでしょう。

書名
 著者 
出版社
君主論
マキアヴェリ
中公クラシックス
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2001.4.10
1,200円
服部滋/2006.10.14.
感想

古典中の古典である『君主論』を読み返してみました。ニッコロ・マキアヴェリ(Niccolo Machiavelli)(1469〜1527年)によって書かれた余りにも有名な書物です。何がそれほど有名かというと、政治思想史に残る名著であることはもちろんのことわたくしたち普通の人には、本書のなかに出てくる名言・箴言の数々に思わずハタと膝をうったり、ウーンと考えさせられるような凄い叙述に出会うからでしょう。例えば第25章にはこんなことが述べられています。

”ある道を進んで繁栄を味わった人は、どうしてもその道から離れる気になれない・・・。だから、用意周到な人が、いざ果敢にふるまう時勢になると、腕をこまねいて、どうしていいか分らずに、けっきょく破滅してしまう。”

などは、今日でも新鮮な教訓となりましょう。勝ち組よおごるなかれ!といいたくなります。
『君主論』は、1513年に書き上げられました。44歳の時です。だが刊行されたのは1532年でした。当時隆盛を誇ったメディチ家の若い当主ロレンツォ二世に献呈されましたが、当主が読んだかどうかは定かでないとされます。しかしマキアヴェリは、「君主国とはどんなものか、その種類と、どのように領土を獲得し、どのように維持するか、領土喪失の原因が何によるかを論じる」ために書いたとされています。事実その表題は「英邁なるロレンツォ・デ・メディチ殿にニッコロ・マキアヴェリが捧げまつる」となっています。

さて、ハテナ?と思うことが一つ。ローマは共和政の国です。それなのに何故『君主』なのか?確かに原題は, Il Principe です。しかしメディチ家の当主が君主であったかは疑問でしょう。どんなに強大であっても領主の地位であったと書評子は思えるのです。すくなくとも立憲君主制でいう君主ではない、と言えましょう。でも『君主論』で余りにも有名になり過ぎたためにあんまり人々は気に止めないのではないか。だってローマは共和政の典型的な形で繁栄していったのに『君主』というにはどうも馴染みがもてないように思えるのです。

書名
 著者 
出版社
ローマ人の物語
ローマは一日にして成らず [上]
塩野七生
新潮文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2002.6.1
400円
服部滋/2006.10.14.
感想

イタリアに住居を移してすっかりローマに魅せられた著者が、ローマ人の歴史を延々と綴った畢生の物語です。このほど文庫版として上梓されましたので一層身近な存在となりました。が、現在27分冊まで刊行中で全冊46巻にもなる大作です。書評子も先日読み始めたばかりで現在第5分冊目です。学術書とは一線を画しやさしく且つ面白く物語るこのローマの歴史は、とても楽しく理解できます。といっても作者の膨大な文献狩猟、調査は並みの学者ではとても及ばぬ博識で、そのうえ数々のエピソードに魅せられてしまいます。例えば、有名なペルシア戦役は次のような語り口です。

ペルシア王クセルクセスは、自ら30万の兵と1千隻の軍船を率いてギリシアに進攻してきた。これを迎え打つギリシア連合軍は、南下してくるペルシア軍に対する防衛線を、ギリシア中部の山地にあるテルモビュレーの、狭くて険しい山あいの道に決める。この前線にはスパルタの王レオニダスの率いる、3百のスパルタ兵と4千のペロポネソス半島出身の兵が送られた。・・・だが、スパルタから着くはずの支援部隊の到着が遅れた。ペルシア王はテルモビュレーの強行突破を避け、自軍の精鋭を選んで山地を迂回させる作戦に出ていた。そしてその精鋭部隊に、背後からスパルタ勢を攻撃させた。レオニダスは、4千のペロポネソスからの兵たちに退却を命じた。そして、スパルタの3百の戦士だけで、テルモビュレーの死守を決めたのだ。最後の一人になっても闘いつづけたスパルタの戦士たちを称えて、この地には後に、次の詩を刻んだ記念の碑が立てられた。

「異国の人々よ、ラケダイモン(スパルタ)の人々に伝えられよ。祖国への愛に殉じたわれらは皆、この地に眠ることを」

これがかの有名なレオニダスの戦いの一節です。この碑文は、昔習ったときは次のような文語調でありました。

「旅人よ、行きてラケダイモン(スパルタ)の人びとに告げよ われらが命を守りてここにたおれたりと」

書名
 著者 
出版社
涼しい脳味噌
正・続
養老孟司
文春文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1998.10.10
正500・続448円
服部滋/2006.9.30.
感想

正直言ってこれまで養老氏の本には触れてきませんでした。それは養老氏が解剖学者でありますから、死体のことが出るのではないのか?死体の置かれている解剖室などへ入ったら間違いなく卒倒するであろうからでした。恐る恐る、また無分別に手にした本書は『涼しい脳味噌』の続編でした。ところがこれがべらぼうに面白い!氏は書評を兼ねたエッセイを集められたとのことだが、その守備・攻撃範囲のなんと広いことか、解剖学を専門に修めた人とはとても思えない博学の人。脳の働きを極めた人が見る世の中、人生観、生き方はこうも違って見えるものなのか、とつい疑ってみたくもなる。がことごとく、そうか、そうだったのか、と頷いてしまう。とはいえ短いコラムの集まりであるから一貫した筋というものはない。書評子はたまたま続編を手にしただけですが、是非とも正・続併せ読んで確かめてもらうしかないでしょう。『涼しい脳味噌』とあるからには夏の読み物としては絶好でした。しかしもう秋です。脳はそれこそ cool でありたいものですね。

書名
 著者 
出版社
角川俳句(雑誌)
有馬朗人ほか
角川書店
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2006.9月号
860円
服部滋/2006.9.30.
感想

角川書店が毎月1回発行する雑誌『俳句』の 9月号は、なかなか良くできた特集を組んでいます。【喜怒哀楽の詠み方】と題して「うれし」「かなし」等を使わずに感情を詠む!とあります。わたしたちは、どうしても嬉しい、悲しい、美しい、といった言葉を直接句のなかに入れがちですが、それらの言葉を使わないで喜怒哀楽を何かに託することによっていっそうの余韻が伝わるものです。本号はその句例を豊富に挙げながら連想させる試みです。例えば、
 "萬緑の中や吾子の歯生え初むる" 中村草田男 は「萬緑」で躍動感を覚え「歯生え」で喜びが伝わるようです。
 "短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)" 竹下しづの女
なんかは、母性の感情の吐露を漢字で当てたところに「泣きやんでおくれ」と願う感情を表わしています。そうかといって、感情語を織り込んだ名句もあります。"焚火かなし消えんとすれば育てられ" 高浜虚子 
がそうですね。でもこの「かなし」は必ずしも自分が悲しいとはいっていないのです。焚火の「かなし」として表現しているのですね。
このようにこの特集号は俳句を学ぶ者、好きなひとびとにとって大変味わいのある雑誌となりました。このほか、書評子の私淑する有馬朗人氏が、「マルコポーロの夢」として50句も巻頭句に特別作品として掲載されているのも喜ばしい限りです。

書名
 著者 
出版社
ロビンソン変形譚小史
物語の漂流
岩尾龍太郎
みすず書房
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2000.3.10
2,200円
服部滋/2006.9.16.
感想

ロビンソン物語ほど世界文学の中で最も改作・変形の多い物語はないでしょう。ファウスト、ドン・キホーテ、フランケンシュタインの変形が100前後と言われるのに対して、ロビンソン変形譚は1,000もあると言われています。この著書はその変形のさまざまなジャンル、歴史を綴ったユニークな本であり、実にあらゆる角度から考察し、意外なところに意外なロビンソンが隠されているのに驚きます。経済学にももちろん登場しますし、植民地進出に関連づけられてもいます。またユートビアの世界と比較されたりもします。これらをまとめて著者が次のようにいうとき、このロビンソン物語はすぐれて今日に生き続けているといえましょう。
現代文明とロビンソン物語(あるいは小説という形態)の根深い同型性、また汚染・破壊が進行する地球上のどこかに生活せざるをえない現在の我々の宿命の表現があるのだろう。そうであるかぎりロビンソン物語はまだ可能性をもっているといえる。(p.184)

書名
 著者 
出版社
ロビンソン・クルーソーを探して
高橋大輔
新潮社
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1997.7.30
1,500円
服部滋/2006.9.16.
感想

著者は王立地理学協会(ロンドン)や探検家クラブ(ニューヨーク)の会員で無二の探検マニアであります。デフォーはロビンソン・クルーソーをフィクションとして書きましたが、そのモデルを探し、アレクサンダー・セルカークの実話こそがロビンソン物語のモデルだったことを明らかにします。第一にその無人島は何処にあったか、右図の赤い印がそうです。マス・ア・ティエラ島であったのが、1966年にチリ政府は観光客誘致を見込んでこの島を「ロビンソン・クルーソー島」と改名してしまいました。そこで著者は単身この島に渡ってロビンソン物語の残した跡はないか、と探検します。その結果をお知らせするとこれからお読みになる方の興味を半減することになりますので、断言はしませんが、モデルであったセルカークの足跡は掴めたことが判ります。ロビンソンのモデル探しとしては成功したようですし、この小さな島の様子も面白く描かれていて、ちょっとした探検物に仕上がっているといえましょう。

書名
 著者 
出版社
ロビンソン・クルーソー
デフォー
集英社文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1995年(原作は1719年)
680円
服部滋/2006.9.7.
感想

おそらく世界中で少年から大人まで最も広く読まれているのは、この小説でしょうか、文学史上また精神史上の傑作といえましょう。ではなぜロビンソン・クルーソーがこんなに人気を占めるのでしょうか。第一に、孤島でのクルーソーを支えているのは何かということです。ただ単に自分だけの工夫でどのように自活していくかを綴ったものだけではなく、イギリスの近代化を支えてきた清教徒たちの近代合理主義の精神が織り込まれているからなのでしょう。第二に、もちろん冒険の楽しさが語られているからでもありましょう。第三に、ロビンソン・クルーソーは本当にいたのかが、問題になります。デフォーは完全にフィクションとして書きましたが、あまりに本当らしくて、この孤島は何処にあるのか、クルーソーのモデルは誰か、ということが人々の関心の的となったのです。第四に、この物語は果たして現代にどう関わるのか、ということが絶えず問われているのです。そしてこれらの謎探しは実は多数存在するのです。その事例を二つほど次回でご紹介しましょう。一つは孤島のモデルはどこか。二つはロビンソン・クルーソー以降の物語はどのように展開されたか、という話題です。

書名
 著者 
出版社
マネー・ハッキング
幸田真音
講談社文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1999.11.15
667円
服部滋/2006.8.30.
感想

またまた幸田真音の小説を採り上げました。今回の長編小説は、ハッカーを問題にした面白くも反面ぞっとさせられます。こんなことが実際にあるでしょうか。フィクションであると言い聞かせつつ一気に読んでしまいました。ハッカーの語源は単にハックする、つまりたたき壊すとか切り刻むという意味だけではないようです。遊び心を満足させるためにいたずらをする、内緒でこっそりコンピュータを動かしてみたり、独自のプログラムを組んでテストしてみたりしてそのうち仲間だけにしか通用しない隠語の一つにハックというのがあったんだそうです。そしてその作品をハックって呼んだのだそうです。それがもっと悪質になったものがクラッカーというんだそうです。さらにスニッファーと呼ばれるものがあってこれはパスワードを盗むのが専門のハッカーなんだそうであります。さてこの小説のコアはある外資系の銀行に忍び込んだハッカーがその銀行のディーラー名を使ってディーリングを行い、大儲けするというストーリー。着想が面白いのは主人公(3人の仲間の共同作業)が銀行になり代わって銀行のシステムに侵入し、銀行はそれに気付かず、大儲けするという設定です。したがって儲けたお金はもちろんハッカーである主人公の懐には入らないのです。つまりハッカーに狙われた銀行そのものが儲けを外部に持ち出さない。ただ一つの例外は儲けた資金の一部をアフリカの難民へ寄付するというおまけまで付いたお話。こんなことって本当に起こりうるの?ぐいぐいと引っ張る作者の筆力に押されてウンウンとうなづきながら読んでしまった感がします。そして最後に、それでは損をした人は一体だぁ〜れ?という読後感が残ってしまいました。

書名
 著者 
出版社
有閑階級の理論
ヴェブレン
小原敬士訳
岩波文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
原書:1899
邦訳:1961
903円
服部滋/2006.8.30.
感想

このところ進化経済学や制度学派の台頭が目立っています。本書は制度学派の祖といわれるソースタイン・ヴェブレン(1857〜1929年)が『企業の理論』とともに著した代表作で、100有余年経った今日でもなお色褪せない古典的名著であります。ヴェブレンが名付けた”製作本能”(”職人技本能”とも言われます)や”衒示的消費”などは余りにも有名な言葉です。人間は本来製作という本能を持つが、次第に略奪によって犯され特に金銭的な略奪文化が蔓延ると本性として有する製作本能が鈍る、あるいは社会からは低くみられてしまう、として現代の資本主義社会を批判します。また、有閑階級が出現しますと、見栄の消費や余暇が目立ちヴェブレンはこれらを衒示的消費とか衒示的閑暇とかと呼びました。人間が本来持っている製作本能も財貨の獲得と蓄積につれて金銭的な成功を求めるように変わっていきます。そしてここに金銭的見栄の動機が発生します。また閑暇というものは必ずしも怠惰や無為を意味するものではなくそれは時間を非生産的に消費するものである、とヴェブレンは定義します。そうするとこれらの金銭的所有や閑暇の消費が一つの社会的存在となって幅を効かせます。ヴェブレンはこれを総括して有閑階級という制度が生まれたと言うのです。そしてこの有閑階級が資本主義の文化の一局面を形成するとしてその批判を行ったわけでした。

書名
 著者 
出版社
偽造証券
幸田真音
新潮文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2000.9.1.
各667円
服部滋/2006.8.17.
感想

本書もまた意表を突くプロットで読者をグイグイ引き込んでしまう経済小説です。銀行が担保として保管している証券を意図的に偽造証券と差し替え、本物は市場で換金されて犯人の懐に入る、というストーリーで組み立てられた小説です。精巧に出来た偽造証券を本物とすり換える、そして銀行はその預かり証券の定期検査をしながらも見抜けないという盲点を衝いた犯罪です。誰がどのようにしてそんなことをやり、それが出来るか、ということをここで言ってしまえば興味は半減しますので、敢えて伏せましょう。筋書きを追うことのほかにもう二つの新鮮味がこの小説にはあります。一つは、女性の活躍。舞台には3人半の仕事を持った女性が登場しそれぞれ個性的、魅力的な姿が描かれています。3人半と言いましたがこの「半」ということも読んでくださればわかります。二つ目は、ニューヨークの生き生きした姿が随所に見られて楽しいのです。例えばニューヨークの「シリコン・アレー」っていうのが出来ていることをこの小説で遅まきながら知りました。かつては西海岸のシリコン・バレーと言われていたのが、ここニューヨークの細長い一帯(アレー)にコンピュータのソフトウェア関係の会社が集中しているのです。これも小説から学ぶ経済知識の余得でしょう。

書名
 著者 
出版社
傷 上・下
邦銀崩壊
幸田真音
文春文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2001.5.10.
各514円
服部滋/2006.8.15.
感想

作者は米国系銀行や証券会社で、ディーラーや外国債券セールスを経たのち、作家に転向したので実務の豊富な経験から自在にその知識を織り交ぜて飽きさせない長編を書き上げました。その上本書には辣腕の美人取締役を抜擢させエンタテイメント性を盛り上げているのも作者が女性であるからでしょう。もちろんフィクションの世界ですから現実とは違う面もありそれなりに誇張もあるでしょう。しかし業界用語やディーリングの仕組みなどが判り結構金融の勉強もかねてお勧めしたい書です。ただ一つだけどうしても謎が解けませんでした。それは本書の初めに、ある人が死のメッセージとしてN.U.H.の文字を残して自殺するくだりです。作者はこう書いています。
”そうだ、ニード・ユア・ヘルプだ。あれは助けてくれの意味だったのだ。・・・”と語るシーン。直感的にここに事件の鍵があると見て終わりまで読んできましたが、結局謎解きではありませんでした。"Need Your Help"は N.Y.H の筈です。なのにN.U.H は略語として使われている。最近のメール略語は次から次へと新語が出てきてお手上げです。英語ペラペラならでの作者の独壇場ですね。物語のあらましは敢えて語らないほうがよいでしょう。結末を知ってしまえば興味は半減するからです。
多分に面白く読ませてくれる作家のサービス精神が溢れていますが、あのバブルのときの銀行の姿勢を垣間見るようで、やりきれない思いを持ちながらも一気に上・下巻を読み終えてしまいました。
”Only Yesterday”−ほんの昨日のことーのように感じられます。

書名
 著者 
出版社
e の悲劇
IT革命の光と影
幸田真音
講談社文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2004.5.15.
448円
服部滋/2006.8.15.
感想

このところ幸田真音の企業小説にはまっています。実務生活から離れてしまったので金融や証券の世界が見えなくなったこと、それに最新のテクノロジーを書いた専門書にはお手上げの状態になってしまいました。それでも少しはその世界を垣間見るには小説の世界から学ぶのが手っ取り早い!それで一押しの作家は幸田真音さん、という訳です。本書は四つの短編をまとめたショートストーリーに近いもので手軽にいわゆるITの世界に入っていけます。もちろんフィクションの世界ですから多少の誇張とエンタテイメント性はあるでしょう。しかし例えば次の引用文などは真実味があってハタッと胸を打ちました。ある信託銀行での新人研修で聞いた上司の言葉を思い出すくだりです。

・・・どんなときも、人は、その人に乗り越えられるだけの試練しか与えられないものなんだってね。だから人は、必ずそれを克服できる能力があると信じていいんだって」

なるほど〜。ひとは何かをやり遂げたいと長く思い続ければそれはきっと実現するのだ、という風に読めば納得できますね。

書名
 著者 
出版社
学問の力
佐伯啓思
NTT出版
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2006.4.27.
1,600円
服部滋/2006.7.29.
感想

いかめしいタイトルですが、中身は学問論などではありません。おそらく終章の「学問の故郷」に関連づけて書名としたのでしょう。そのうえ本書はいわゆる「書下ろし」でなく、いわば「語り下ろし」で綴られた特異なスタイルをとっています。論者がテープの前でしゃべったことを書物にまとめるという実験的な試みから生まれたのが本書です。聴衆も生徒も居ない、居るのはテープ収録のための研究室の院生がつきあっただけだそうです。著者は京都大学大学院教授で社会経済学、経済思想史が専門です。語り口は柔らかくて素直に理解できますが、そうかといって軽い読み物では決してなく例えば次のように考え込まさせる内容となっています。
第四章で著者は「現代はなぜ思想を見失ったか」と問いかけます。アメリカでリベラリズムが一貫して流れているのは「自由」と「民主主義」の国だからです。リベラル・デモクラシーとも、「理念の共和国」とも言われます。そしてアメリカはこの理念を普遍的な価値として実現しようとするところに彼らの正義があるのです。このリベラル・デモクラシーの普遍化を掲げようとするとき、奇妙なねじれ現象が生じます。例えばイラク戦争は、アメリカにとっては民主主義の普遍化=イラクの民主化というのが正義となります。しかし考えてみればこうした抑圧された人民を解放するという思想は、実はきわめて進歩主義的な思想なのです。ということはアメリカの保守派はむしろイラクやアラブ民族の伝統や文化を守る立場にあるのに戦争をする進歩派ではないか、という矛盾を生ずることになりましょう。そうして著者は日本の立場についてこの矛盾を指摘します。日本がアメリカと強い絆を強めることは実はアメリカの進歩主義に同調することなのにそれを推進しているは保守派であると。こうして著者は本当の保守とは何か、を問い論じていきます。おそらく著者は保守の立場を、その国の伝統のなかにある善きものをゆるやかなかたちで維持してゆこう、社会秩序を大きく変えないで、少しずつ変えていくのが保守だと見ているようです。
このようにやさしい語り口にもかかわらず、じっくりと深く考えさせる思考の書といえるでありましょう。

書名
 著者 
出版社
探偵ガリレオ
東野圭吾
文春文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2002.2.10
514円
服部滋/2006.7.18.
感想

最近のミステリー小説で面白いものはないかと今流行作家の東野圭吾の本を書店で拾ってきて読んだのがこれです。久し振りに手にしたミステリー物はしかし、昔と違って随分と傾向の変わった推理ものになったなあ〜と変なところで感心したのです。たかが一冊くらいで全体を押し測るなかれ、とお叱りを受けるかもしれませんが、第一に、トーンが軽いのです。以前は社会派ミステリーや、動機に人間関係の複雑さを炙り出したものが多かったのに対し、本書は軽いタッチで読めてしまうのです。人物描写や動機の心理的側面、事件を起こした時代背景などは中心に置かれず、あくまで推理を楽しむという風潮になってきたのかしら、と思わせます。第二に、本書は謎解きの面白さにもっぱら焦点をあてて事件を推理する短編集なのです。作者が工学系の大学出身だけにそのトリックが科学の知識の意表を突いていて面白い、いな、殆どその点だけに絞った軽快なミステリーです。夏の蒸し暑い夜をビール片手に楽しむのも一興でしょう。ゴテゴテした深刻味を追わず軽く流して読むには格好のミステリーといえましょう。ひたすらトリックの面白味を楽しんでいただきたい本です。

ついでに同じ作家の『予知夢』を参考までに掲げておきましょう。これも謎解きシリースの同類項です。

なお、作者の東野圭吾は、2006年、『容疑者Xの献身』で直木賞を授賞しました。この本を書評子はまだ読んでいません。近く機会がありましたらご紹介させていただきましょう。

書名
 著者 
出版社
世界システムの世界史
黒田明伸
岩波書店
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2003.1.28.
2,600円
服部滋/2006.6.27.
感想

18世紀のオーストリア女帝を肖像にしたマリア・テレジア銀貨は、1780年、つまりマリア・テレジア最後の在位の年になって自国ですら流通しなくなったのに、一体その通貨が何故遠く離れたアフリカや西アジアの特定地域で20世紀に至るまで選好されたのでしょうか。それは簡単だよ、その銀貨に含まれる銀の量が多かったからだ、と。果たしてそうでしょうか。他の高品位の銀貨は存在しています。なのにマリア・テレジア銀貨は、それら高品位の銀貨よりも高い相場で流通していたのです。このお話しは著書の第一章から始められていて読者の知的好奇心をそそります。国家権力にも拠らず、素材価値からも独立して流通した謎はどこにあるのでしょうか。結論を言いますとこの著の魅力は失われましょうが、そのさわりだけでちょっと言ってしまいますと、マリア・テレジア通貨の鋳造を他国に売ったのでした。最初に買ったのはイタリアのムッソリーニでした。鋳造差益が見込まれることもあり、鋳造を始めてその出荷を管理しようとする思惑(ムッソリーニの場合はエチオピア併合策として)がありました。次いでイギリス、フランス、ベルギーがマリア・テレジア銀貨の鋳造を開始し、以後植民地進出、世界大戦などにからんで第二次大戦開始まで続きます。何とインドにまで広がっていくのです。しかし著者の結論は独自でして、それは通貨の「回路」がそうさせた、と言うものです。マリア・テレジア銀貨流通の実態は、面としてではなく、各地域を線として結ぶ大きな回路として流通した、その回路は容易には他の通貨の回路にリンクされえないものでした。マリア・テレジア銀貨を選好させた要因は、受領する個々人の判断でも、発行した主体の機能にあるのでもなく、マリア・テレジア銀貨が流れる回路そのものの存在にあったというものです。この外にもユニークな事例を駆使して著者はシステムとしての貨幣史を眺めた末に、「貨幣の非対称性」、さらには市場そのものの「非対称性」を読み取って汲めども尽きない興味を起こさせてくれます。やや専門性の高い決してやさしい本ではありませんが、貨幣の世界に関心のある方にはとても魅力的な一書であるといえましょう。

書名
 著者 
出版社
経済学88 物語
根井雅弘編
新書館
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1997.2.15
1,400円
服部滋 / 2006.6.20
感想

17世紀のペティから21世紀のスティグリッツまでおよそ一度は目にし耳にしたことのある著名な経済学の名著を1冊2ページにまとめて解説した88の物語。コンパクトな紹介のためやや判りにくいところもありますが、これを手がかりに原典に当たることができましょう。たとえばNo.1 のペティの『政治算術』は経済統計学の起源となるほか社会科学の数量的方法分析の先駆者として解説され末尾に原典と解説書が付されています。またNo.88 のスティグリッツ『ミクロ経済学』は、長い間経済学教科書の王座を占めていたサムエルソンに代わる新しい教科書として現代的な課題を紹介して本書を閉じています。88に著書を絞ったためその撰に漏れた者ももちろんあります。例えばヒューム、パレート、ナッシュなど。また残念ながら日本の著書は一冊もない!森嶋通夫など候補にしても良かったと欲もでますが、88 物語とした編者のこだわりのもとでは致し方ないでしょう。こうして204頁の薄くてしかし内容の濃い本書が登場しました。
因みに、JJKの「友の会サロン」ページのなかの「経済学物語」は、このタイトルをヒントにして、88ならぬアラビアンナイトの「千夜一夜物語」にならって一千の物語を目標に綴られ進行中てす。

書名
 著者 
出版社
小説ヘッジファンド
幸田真音
講談社文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1999.3.15
514円
服部滋 / 2006.6.10
感想

米国系銀行や証券会社において作者が実際に経験したディーラーや外国債券セールスの豊富な知識をもとに国際金融市場でのヘッジファンド、裁定取引を生々しく描いた臨場感あふれる小説です。飽くなき利潤を求めて動くマネーの非情さを描くと同時に主人公たちの人間性をも追及してマネーの権化と化す人間や市場の傲慢さに対する警鐘をも鳴らしています。ストーリーの組み立ての妙、テンポの速さ、につられて一気に読みました。作家生活に転向後初めての作品とのこと。実務経験から生まれるこの舞台には一入の思いも感じられます。作者のペンネームは、始めは真音=マネーでいいアイディアだと思っていたのでしたが、この本で、実はそうではなく、”Mine” (買った!)という業界用語に由来するそうです。因みにその反対は ” Yours” (売った!)ですね。Money と Mine の両方の意味を持たせていると書評子はこじつけています。それほど痛快で面白い企業小説であります。

書名
 著者 
出版社
幻滅の資本主義
伊藤誠
大月書店
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2006.3.20
2,100円
服部滋 / 2006.5.30
感想

現在の資本主義をさまざまな角度から鋭く指摘する批判の書です。著者は東京大学教授を経て現在國學院大學教授。その間ニューヨーク大学、ロンドン大学等々海外大学の客員教授を務め2003年に日本学士院会員となるなど経済学分野での第一人者であります。本書はマルクス経済学からみた資本主義の諸欠点を鋭く突き警鐘を鳴らす異色の書といえましょう。現代の資本主義は新自由主義的思想に則った政策、すなわち市場経済至上主義下での国内諸政策の矛盾やグローバリゼーションのもたらす世界システムの行方を案じ、これを書名のとおり「幻滅の資本主義」と題して批判していきます。資本主義体制にどっぷりと浸かった者の眼からは見えない、あるいは気がついても真正面から採り上げようとしない風潮にあって、その流れの外から直視し問題点を抉り出す視点は、かえって資本主義の持つ欠点がよく見えてくるのでしょう。その意味でこれらの指摘を真摯に受け止め、本書の警告に耳を傾ける貴重な機会を提供してくれます。

書名
 著者 
出版社
ザ・マネー

世界を動かす”お金”の魔力

アンソニー・サンプソン

小林薫訳

テレビ朝日
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1990.5.1(原著は1989)
2,500円
服部滋 / 2006.5.24
感想

原題はThe Midas Touch です。ギリシャ神話で小アジアのフリュギアの王だったミダス(Midas)が酒の神を接待したとき、お礼に何でもひとつだけ望みをかなえてやろうとその酒神からいわれ、ミダス王は自分の身体に触れたものすべてを金にかえてほしいと答えました。いざその願いが叶ってみると、飲み物や食べ物までたちどころに黄金に化けてしまいますので、困り果てた王は酒神に救いを求めようやく元の身体にもどった、というお話しです。著者のサンプソンは、この神話から表題を採っています。イギリスのジャーナリストで著作家であるサンプソンは、独特のレトリックを使って、ミダス王のように世界を駆け回るザ・マネーの呪縛を解明していきます。序文の見出しで、”金のため以外に物を書くのは愚者のみである”(サミュエル・ジョンソン)と皮肉たっぷりに述べながらも、”金だけがすべての世界を動かす”というピュブリリアス・シルス(紀元前1世紀)の格言を冒頭に掲げ、マネーをめぐる醜い争い、人間の業、社会の金のつながりを抉っていきます。舞台は主として1980年代で少し古い事例となってしまいましたが、著者の警告は今日にも十分通用するものです。表紙のミダス王の黄金のマスクがいかにも象徴的ですので、わざと表紙の帯びを取り除いてスキャナーに撮りました。全体を通じて少し気になるのは、訳者が本文中ですべて”金”としているのは”お金”のこと、金属の”金”がすべてではありません。したがってここでは表題そのものの”マネー”としたほうが良かったのではないか、と思います。

書名
 著者 
出版社
銀齢の果て
筒井康隆
新潮社
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2006.1.20
1,575円
服部滋 / 2006.5.2
感想

何とも凄い本がでました。最近の著者は何でも老人文学とでもいうジャンルを切り開きたいと思っているようです。この代表作が本書でありましょうか。どのページを開いても始めから終いまでブラックパロディの連続です。そのうえ山藤章二氏の装幀・挿画がユーモラスでもう何ともいえない喜劇、否悲劇であります。物語は、高齢化が進む日本において政府が老人バトルを進め、爺さん婆さんが殺しあうという設定のもとに途方もない壮絶な闘いが繰り広げられます。作者はこれを老人相互処刑制度、俗にシルバー・バトルと名付け、「今や爆発的に増大した老人人口を調節し、ひとりが平均7人の老人を養わねばならぬという若者の負担を軽減し、それによって破綻寸前の国民年金制度を維持し、同時に少子化を相対的解消に至らしめるためのものです」と述べ、さらに、ある老人が「わしゃ若い者の厄介になどなってはおらんぞ」「財産がある」と言ったのに対し、厚生労働省のお役人は、こう答えるのです。「それそれ。その財産を老人が持ち続けるということも、子供たちの苦労の原因なのですよ。つまりこの制度の根本思想は、老人は老人であることそのものが罪であるという思想なんです。」と言わしめていて、おそらく作者はそれをとんでもないパロディに仕上げて近未来の老人問題を皮肉り、揶揄してバァ〜と隠れています。そのバトルの内容たるやまさに壮絶、凄惨、だが稚拙、滑稽そのものでここにいちいち紹介するわけにはとてもいきません。ではどうして書評に採り上げたの?まあ老人問題をこういう風にパロディ化して世の中の出来事を思い切り風刺し、鬱憤を晴らすのもカタルシスになるのではないでしょうか。いやそれにしてもコワイ〜タスケテ〜!

書名
 著者 
出版社
「愛と死をみつめて」その後
河野実
展望社
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2006.3.3
1,400円
服部滋 / 2006.4.27
感想

ミコ(大島みち子)とマコ(河野実)の400通に及ぶ書簡集が1963年に出版され、ミコが同年に亡くなってから、43年の歳月を経てその回想録とでもいう本書が出版されました。現著者はもうすでに65歳になります。「愛と死をみつめて」が世に出たときは、大変なブームを巻き起こし、映画にもなり主題歌でも一躍有名になりました。だからその後のマコがどうなっているかは、当然の関心を呼んだはずです。でも敢えて沈黙を守り、やっとその重い扉を開いたという感がします。この書はミコへの鎮魂歌でもあります。歳月を経て始めてミコへの追憶が蘇るのです。その間マコへの世間の関心は、同情、憧れ、から非難に変わっていったのでしょう。ベストセラーとなったことへの金銭的な嫉妬、ミコの死から5年後、読者ファンの一人と結婚したことで、マスコミの騒ぎや、ファンからの非難もあったはずで、以後永らく絶版とし、ようやく2004年に復刊されました。マコが結婚するかどうかは本人の意思次第ですが、マスコミやファンがそれを許してくれなかったのでしょう。永い沈黙を破って出版された本書はそのことへの弁解めいた口ぶりは一切出ていません。冒頭からミコの眠る播州平野へ足を運びます。一台のワンマン・ディーゼルカーに乗って。このワンマンカーは再び最終章にも登場する大変象徴的なイメージを残します。これを読めばミコの死後結婚したことへの蔑視や嫉妬は自然と解消するでしょう。決して言い訳に書いたのではないこと、今なお深い鎮魂の思いが伝わってくるはずです。

河野さんは、その後、1968年(昭和43年)に、読者ファンの一人と結婚しました。現在の河野さんは、国際ビジネスコンサルタントや経営コンサルタントの仕事に携わるかたわら、講演やセミナーの講師として活躍されています。

書名
 著者 
出版社
愛と死をみつめて
ある純愛の記録
  大島みち子
  河野実
大和書房
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2006.2.15
552円
服部滋 / 2006.4.22
感想
主人公の一人、ミコこと大島みち子さんは、1963年に不治の病により永眠しました。1963年というと東京オリンピックが開かれたのが1964年ですから、日本がまさに高度成長期を迎えようとする頃であります。何故その頃の二人の愛と生の手紙を読み返す気持になったかは、書評子にとって二つの理由があります。一つは先日二夜にわたってこの物語がテレビドラマ化され久々に涙を流したこと。そしてもう一つは、それにも拘らずおおかたのテレビ評や雑誌などで不評を買っていたのでそれに反発したかったこと、であります。後者の理由は、いまさら大人の草g剛(普通は草なぎ剛と表記されてます)と広末涼子の純愛でもないだろう、というものでした。けれども何故か泣けてきてしようがありませんでした。そこで本書を購入して一気に読み切りました。高年のわたくしが何故感動するのでしょう。それはきっと高度成長期の只中にあった自分をこのドラマ(背景に当時の日本のまさに成長期に入ろうとする姿が映し出されています)に重ね合わせて観たこと。連日報じられるニートなど殺伐とした今日の若い世代と比較してまるで信じられないような純愛の世界があったんだ、と思い起こされたからだと思います。なお、生き残ったマコ(河野実)の『「愛と死をみつめて」その後』も書評で採り上げる予定です。

書名
 著者 
出版社
地下の国のアリス
ルイス・キャロル
安井泉訳
新書館
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2005.2.25(原書は1862年)
1,400円
服部滋 / 2006.4.18
感想
前回で紹介しました『不思議の国のアリス』の原本にあたります。同じ物語ですので重複紹介になるかもしれません。けれども、この本は文庫版ではなく、童話向きに作られた大判でとても装丁のきれいな本ですのでこれにもう一度触れてみる価値は充分にあります。挿入されている絵も大きくページを飾るイラストも大変美しくてまさに童話、メルヘンの世界へいざなってくれます。たまには文庫本でなくこういう贅沢に作られた書を眺めることは、大人にとっても心やすらぐ気持にさせられます。この物語は主人公のアリスがお姉さんの膝の上に乗って、川辺で寝ている間に夢見る不思議な世界。作者はあちこちの子供たちからせがまれ、それに応えて優しい童話を残しました。ですから年寄りが読んで何になる?といぶかる方もおりましょう。でも書評子にとっては、最近つくづく子供、否孫の世界に思いを馳せるとき、この童話の魅力にはまっていくのです。硬くなった頭にアリスの占める位置はありませんが、それでも自分の幼年期とだぶらせ、孫たちと接するとき、アリスの世界で遊んでいるような錯覚をふと覚えます。その点では年寄りもたまには童心にかえってみるのもいいですね。

書名
 著者 
出版社
不思議の国のアリス
ルイス・キャロル
柳瀬尚紀訳
ちくま文庫
出版年月
価格
投稿者 / 日付
1987.12.1(原書は1865年)
580円
服部滋 / 2006.4.11
感想
アリスの国にはまってしまいました。70歳代の頑固な老人がどうしてこのようなおとぎの国の物語に夢中になるのでしょう?言い訳は孫に聞かせるためといっても、本人は結構楽しんでいるのです。「不思議の国」は「鏡の国」より7年ほど姉に当たります。理屈ではこの世に有り得ない想像の世界・・・ところが結構お年寄りにも読めるのが新発見でした。高齢化するととかく何事も理屈で勝負する。その重荷(?)に耐えかねメルヘンの世界をさまようのも結構楽しいものです。さて本書は、かわいい少女の夢物語。夢のなかで奇妙な生き物たちとおしゃべりしたり、探検したりします。白兎、鼠、グリフォン、蜥蜴、モルモット、海亀たちとの交流です。恥ずかしながらグリフォンってどんな動物か知らなかったので辞典を引きますと、griffon(仏),griffin(英)は、鷲(or鷹)の翼と上半身、ライオンの下半身を持つ伝説上の生き物とあります(フリー百科事典『ヴィキペディア』より)。
この著者ルイス・キャロルは数学者であることも驚きです。古典学者の娘(Alice)を喜ばせるために書いたと扉書きに記されています。ついにキャロルはアリスへ求婚することになったとか。本当かどうかは詮索しないほうが良いでしょう。そんなことより純粋にメルヘンの世界に浸りたいものです。

書名
 著者 
出版社
コイン・トス
幸田真音
講談社
出版年月
価格
投稿者 / 日付
2004.6.15.
1,600円
服部滋 / 2006.4.6
感想
正直言ってこの本を採り上げることに書評子はとまどいを感じています。もとより幸田真音の”隠れファン”であります書評子は、近刊の本書をもっと早く紹介すべきでありますが、その一方でこの本を開くなり、これは難しいなあ、とも感じたのです。その理由は、あの2001年に起こった米国同時多発テロの世界貿易センターを題材にしているからです。そしてそれは小説であり、極言すればエンターテイメント性を持っているからであります。こんなに重いテーマでビジネスや恋など書いていいのかしら?と率直に疑問を持ったのでした。ところが最後に作者は、”私自身のコイン・トスーあとがきにかえて”でこのように述懐しています。プロローグから200枚足らず書いたところで、ニューヨークの知人からのメールを開いたら、”世界貿易センターに小型機が突っ込んだ”と。直ちにCNNのテレビをつけあの凄まじい崩壊を見たという。そして著者自身も作家になる前に、人生の一時期を国際金融市場の現場で過ごした経験を持っている。その事件に作家としての限界を感じ、自分が描こうとした世界にどんな意味があろうか、と自問したという。そんな作者が一度は放棄しようとしたこの小説を完成させたのは読者からの連日続く励ましのメールだという。約1年の中断を経てようやく完成した、とも述べられています。その間何度もニューヨークを訪れ、泣きながらグラウンド・ゼロの前に立ったとも書かれています。本書をお読みになろうとされる方は、したがって”あとがき”から入っていかれたほうが良いかもしれません。でないと書評子のように疑問を抱いてしまうからです。

書名
鏡の国のアリス

著者
ルイス・キャロル  柳瀬尚紀訳
出版社
ちくま文庫
出版年月/価格
1988.1.26(1刷) 原書は1872年
読者/投稿日
服部滋/2006.4.4.
感想

事情あって、キャロルの作品の中に確かに出ていた次のような言葉を捜したくて、「・・・の国のアリス」を取り揃えました。その言葉は、”止まっているためにも自転車を一生懸命漕がなければならない”という趣旨でした。幸いにも一発で見出したのがこの『鏡の国のアリス』でした。柳瀬訳ではこんな風に記されています。「さあ!さあ!」クイーンは叫んだ。「早く!早く!」すさまじい勢いで突っ走るものだから、しまいには宙を滑りゆく心地で、地面に足がふれる感じもなく、そしていよいよアリスが疲れきったちょうどそのとき、いきなりこの疾走が終わりとなった。(中略)アリスはあたりを見まわして仰天した。「なんてこと、あたしたち、ずーっとこの木の下にいたみたい!ぜんぶさっきと同じだもの!」(中略)「あのう、あたしたちの国では」アリスはまだ少々あえぎつついった。「たいていはどこかほかのところへ着くんですーさっきみたいにながいことすごく走ったなら」「なんとものろい国じゃのう!」クイーンはいった。「よいか、ここではじゃな、同じ場所にいるだけでも、あらんかぎりの早さで走らねばならぬ。どこかほかの場所にいきたければ、少なくともその二倍の早さで走らねばならぬ」(47ページ)
目的の箇所(赤字のところ)は無事見つけることができましたが、キャロルという作者はこの「アリス」ものにおいて随分と奇妙な物語を展開しています。パロディというよりはメルヘンといったほうが適切です。童話作家としての経歴を持ちますが、オックスフォード大学の数学講師でもありました。名作の誉れ高い「アリス」ものの世界へ一度はご招待してみたいと思って採り上げます。ところでこの引用、どうするの?何かの機会にこのレトリックを使えるかなあ〜