人間は自然に任せば、”万人の万人による”戦争状態となる、と説いたのはトマス・ホッブスであり、したがって国家なしに市場経済の秩序は成り立たずと言います。これと反対に国家のない自然状態を一応の平和状態と見るのが、ジョン・ロックであります。ロックは人々が各人の所有を尊重しているからです。つまり人々が所有のルールさえきちんと認め合えば市場の秩序は予定調和的に形成されると見ているわけです。この二つの考えには、市場の平和を国家の管理に委ねるか、それとも自由に任せるか、というジレンマが潜んでいるように見えます。またこのようなジレンマには市場に対する倫理観が欠如しているようにも見られます。この点を正しく指摘したのは、やはりアダム・スミスでありました。スミスは「共感に基づく経済取引から市場倫理が生まれる」と考えたからです。スミスのいう共感とは、単なる同情ではありません。相手の状況に同情するだけではなく、相手が自分に対してどう見ているかをも想像するところに共感という他者志向の視点を持つものであります。これが「公平な観察者」を力説するスミスの考えです。このような他者志向的な市場観に立つとき市場倫理が生まれるのです。
しかし現実にはこのような理想的な市場が見られるようには思えません。せいぜいK.R.ポパーが次のような例を引いているような
寛容さ程度のことが行われるのが現実でありましょう。
「もし理想の民主主義を夢想するとすれば、それは、議会の候補者が誇らしげに、自分は昨年31もの過ちに気づきそのうち13訂正することができたが、自分の対立候補は、同じく13の過ちを正したとは言え、気づいた過ちはたった27しかなかった、と主張することによって票を得ることができるような民主主義であろう。そして、それが寛容のユートピアであることは言う必要もないのである。」
このポパーの言は何と皮肉に聞こえるでありましょうか。