浄土宗、内裏山霊嶽院九品寺号す 寺域は、元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉攻めの時に本陣をはった場所の一つで、建武3年(1336)に、新田義貞が戦の攻防で倒れた双方の武士を弔うためここに寺を創建し、帰依した風航順西和尚を京都東山から招いて開山した。山門に掲額されている「内裏山」と本堂の「九品寺」は義貞の筆跡で、直筆の額は本堂にある。
浄土宗三部経のなかに、阿弥陀仏が説法された極楽往生を願う人の生前の行いによって定められた9種類の往生の有様がある。上品、中品、下品のそれぞれに上生、中生、下生があり、合わせて九品とされいる。上品上生(じょうぼんじょうしょう)は最高の往生である。この九品から寺名が付けられ、義貞公がこの地を内裏として陣営を設けられたことから寺号が内裏山となったという。 境内の正面に本堂があり、左に庫裡がある。本尊の阿弥陀如来立像は、聖徳太子の作で水晶の玉眼を持っており、鎌倉市重要文化財となっている。本堂には、法然上人、善導大師像が祀られている。境内から発掘されたという石造薬師如来坐像は、永仁4年(1296)の作といわれ、県重要文化財に指定されている。寺宝となっている承応4年(1655)銘の石像の閻魔大王坐像、奪衣婆坐像はともに鎌倉国宝館に展示されている。
月影の いたらぬ里はなけれど ながむる人の 心にぞすむ
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