荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)

鎌倉市二階堂74


福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に日本の三天神と称される神社で、関東を中心に各地に分社がある。由緒には、「当社は、古くは荏柄山天満宮とも称されました。荏柄の社号は、天平7年(735)の相模国封戸租交易帳などに見える荏草郷の”えがや”が後に転じて”えがら”となり、”荏柄”と表記されたものと考えられています。また、長治元年(1104)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建ててその画像を納め祀った縁起に始まります。」と記されている。

学業成就を祈願する参拝客が多く、
拝殿の左右は、合格祈願の絵馬で覆われている。



学問の神様として有名な菅原道真公(845〜903)が祀られているが、道真公の霊を「天神」として崇める信仰は、道真の没後間もない10世紀中頃に起こったといわれる。寛平6年(894)唐の国が乱れたことから道真公の決断で、遣唐使の派遣を停止し、第五十九代宇多天皇に重用されて右大臣となって、藤原文化の業績が信仰の対象となったようである。




源頼朝が治承4年(1180)に幕府を開いた後は、幕府の鬼門の守護神として広く崇拝し、更めて社殿を造立したという。建長2年(1202)には、二代将軍頼家が大江広元を奉幣使として道真公三百年祭を行ったとの伝えが残る。境内は国の史跡で、中央に拝殿、その奥に14世紀に建てられた鶴岡八幡宮若宮の社殿を移した鎌倉に現存する最古の木造建築物の本殿があり、国重要文化財になっている。社宝に天神像の彫刻・絵画などがある。



参道から境内に入る階段の上右手には、赤と白の花を咲かせる「想いのまま」と呼ぶ梅の木がある。
拝殿の両脇には菅原道真が愛したといわれる梅の木が植えられ、春先には白や薄紅の花をつける。

醍醐天皇から右大臣の地位を召し上げ、九州の太宰府へ左遷する詔が下り、道真が都を去る時自宅の梅の木を眺めて詠んだ和歌がある。



  東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
 あるじなしとて 春を忘れそ

境内の右側には、樹齢九百年といわれる高さ25m、胴回り10mの御神木、大銀杏が立っており、天然記念物に指定されている。冬の季節にも、たわわに実をつける万両、上を向いて実をつける千両、やぶこうじとも呼ばれる十両、葉が細長いのが特徴の百両など赤い実をつけた植物を見ることができる。
境内の左手奥に、漫画家の清水崑や横山隆一らが建立した「絵筆塚」と「かっぱ塚」がある。昭和16年から33年まで鎌倉材木座、小町に居住し、戦後朝日新聞に連載された似顔絵漫画で名声を博した清水崑が、晩年に長く使い慣れた筆を昭和46年2月に納めたことに由来し、毎年十月に清水崑を偲び讃え、庶民愛用の筆を供養する祭事として絵筆塚祭が行われており、夕刻からは灯を入れる「絵行灯」や、漫画家による「似顔絵コーナー」などが設けられる。

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