英勝寺(えいしょうじ)
扇ヶ谷1−6−13

浄土宗 東光山英勝寺

寛永11年(1634)に、英勝院尼が開基となり、大田道灌の屋敷跡に念仏堂を建て、玉峰清因尼(頼房卿の息女小良姫)が開山したのが始まりで、鎌倉で唯一の尼寺である。

(注)英勝院殿長誉清春
徳川家康に仕えた大田道灌の曾孫・進六郎康資の息女お勝の方が家康の測室となり、後に水戸家初代の水戸中納言頼房の准母となった。家康の没後は落飾(薙髪出家)して英勝院尼となった。寛永19年8月、65歳で入寂。

第一祖の玉峰清因尼(90歳で入寂)以来歴代の住職は水戸家やその縁辺の子女が入山し、徳川家の加護を受けたため水戸様の尼寺とも呼ばれた。しかし嘉永6年(1853)に六代目清吟尼が入寂後は水戸家からの住持は途絶え、その後は徳川家の支援によって維持され、明治28年より松平家から住職を迎えていた。大正8年以降は東京青山善光寺から住職を招聘しているという。現在の住職は十二世の法導(はうどう)尼。



惣門は通常は閉鎖されており、境内の拝観は通用門から入る。山門は寛永20年(1643)に徳川頼房の長子の讃岐高松藩主松平頼重が建立し、後水尾上皇宸筆の「英勝寺」の扁額を掲げてあったが関東大震災で倒壊してしまった。解体されたままの山門は、県指定文化財として再建されることになっているという。

仏殿は、寛永13年(1636)の建造で、曼殊院良恕法親王の「寶珠殿」の扁額があり、軒下の蟇股には十二支が刻まれている。裳腰と呼ばれる二層の屋根があり、徳川家の三つ葉葵の紋が輝やいている。内部には、三代将軍徳川家光寄進による運慶作の阿弥陀如来、向かって右の観音菩薩と左の勢至菩薩の三尊像が安置され、天井とその周辺には、極楽を思わせる華麗な装飾が見られ、水戸徳川家の三つ葉葵や太田家の桔梗の紋、鳳凰の絵などが格式の高い尼寺の姿を伝えている。なお、現在の仏殿の梁牌には、「寛永20年に徳川頼房が建立した」との銘があるので、その時に改築されたようである。

鐘楼は袴腰付きの優雅な楼閣形式で、寛永20年(1643)43)の建立。 梵鐘には銘文が刻まれてあり、その末尾に「寛永二十年五月吉日 法印林道春撰 治工大河四郎左衛門吉忠」と記されており、今もその音を伝えている。

本堂脇の唐門は寛永年間の建立で、欄間にぼたんの彫り物などがある。内部が非公開で寛永19年(1642)に没した英勝院を祀る祠堂(霊屋ー金箔が施された位牌が祀られてあるという)は、室町末期桃山風の装飾が施されている。唐破風の平唐門をくぐり、一段と高い山麓に三間堂の祠堂(廟・水戸光圀建立)が建っている。

鎌倉市指定の天然記念物「ワビスケ」が有名で、垂れ桜、梅、ミツマタ、ツツジ、彼岸花、萩、ヤブツバキなど四季折々の花がある。中庭には、見事な竹林があり、その中を巡回することが出来る。

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