はじめに
昔は新しい年を迎えるために門松を立て、縁起のよい初夢「一富士 二鷹 三なすび」の夢をみることを期待したといわれています。この縁起は、駿河の国の高いものは「一に富士山、二に足高山(愛鷹山)、三は初なすびの値」からきているといわれています。更に、四は扇(おうぎ)、五は多波姑(たばこ)、六は座頭(ざとう)と続くそうです。
初夢は江戸中期からは1月2日に就寝して見る夢を指すのが一般的で、この日の宵になると、宝船に乗った七福神の絵に「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」(永き世の遠(とお)の眠(ねぶ)りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな)という回文(前から読んでも後ろから読んでも同じ言葉)の歌が書いてある紙を「おたから〜、おたから〜」と売る声がした言われます。この七福神の乗った宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると良い初夢を見ることができ、それがその年に福をもたらすと伝えられています。
福の神の信仰は、西宮の夷三郎、叡山の三面大黒天から始まりましたが、今でも関西の商家では二神を祀る習慣が残っているようです。次に竹生島の女神の弁才天が加わり三神となりました。なお、日本では「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記するようになったといわれています。京の庶民は三神では物足りないのか、毘沙門天を加えて四神としましたが、更に布袋和尚を加えて五神としました。室町時代になって名数とすることが流行したため、福禄寿、寿老人を無理やり加えて七福神にしたとの説があります。こうして、恵比須、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人、の七神が揃いましたが、徳川時代初期に徳川家康の相談役で、上野寛永寺の開祖、天海僧正が人心を鎮める行政の方策として家康に進言し、江戸市中に七福神を祀る寺が建てられ、各大名が見習って全国に広まったとの説も有力です。
七福神とは、福徳の神としても信仰されている恵比須、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊の七神で、仁王般若波羅蜜経に説かれる七難即滅(太陽の異変、星の異変、火災、水害、風害、旱害、盗難)、七福即生、満姓安楽、帝王歓喜によって七神仙を限定したといわれています。インド、中国、日本の神々が交ざっており、商売繁盛、家内安全、長寿、開運などを願う人々に信仰されています。
七草が終われば門松の枝を切って敷地内に植え福を待つ慣わしがあったといいます。三河国の才蔵が福を招く芸を始めてこれが万歳という名のもとに今に残り、獅子舞が各家庭を訪問して福を授けたり、正月の行事は一年の好事を祈って行われました。このような習慣も次第に薄れてきていることに一抹の寂しさを感じますが、全国各地の七福神初詣だけは今なお、広く庶民に愛され盛んに行われています。
恵比須
商売繁盛・大漁・豊作の神
日本神話の伊邪那岐命(伊弉諾尊)と伊邪那美命(伊弉冊尊)の三男で、蛭子、夷三郎、夷神ともいわれています。アシ船に乗せられて海に流され着いたこところが攝津(兵庫県)の西宮で、この地に鎮座して商売繁盛、大漁、豊作の神となりました。風折帽子に狩衣、右手に釣竿、左脇に大鯛を抱え、「釣りして網せず」と言われ清廉の心を象徴しています。西宮神社は、全国に3,500あるえびす宮の総本宮で、第一殿に、「西宮大神」として主祭神の「蛭子命」を祀っています。毎年の1月10日に福男が選ばれる「本えびす」は、午前6時の開門神事に2,000人の若人が参加し、その様子はテレビで放映され有名になっています。
国の重要無形文化財に指定されている大阪文楽や淡路島の人形浄瑠璃は、四宮神社の「えびす舞」が源流といわれています。佐賀県には、古くから長崎街道沿いの街角や商家の片隅に約400体の恵比寿像があり、JR佐賀駅のホームに「恵比寿のその数日本一」の旗を掲げた「恵比寿像」が鎮座しています。
大黒天
出世開運・五穀豊穣の神
古代インドのヒンズー教の破壊神シバの別名で、漆黒の体に怒りの形相をしており、仏教に帰依してサンスクリット語で、偉大な黒い者という意味のマハーカーラ(麻詞迦羅)と呼ばれるようになりました。唐(中国)で学んだ最澄が帰国した時に大黒天を持ち込み延暦寺の仏法の守護神としました。その後天台宗の多くの寺の厨房に大黒天が置かれるようになり、鎌倉時代になって大国主命と合体し、丸い頭巾を被り、狩衣を纏い、左肩に袋を担いで右手に福槌を持ち米袋の上に立つ優しい福神に変身し、出世開運、五穀豊穣の神となりました。
毘沙門天
病魔退治・財宝守護の神
古代インドの神、帝釈天の四天王の一将で、ヒンズー教では、財宝福徳を司る神となりました。用明天皇2年(587)に崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が起こり、蘇我氏派の聖徳太子は四天王に戦勝祈願し、戦に勝てば寺院を建てると誓願しました。勝利の後、難波(大阪)に四天王寺(天台宗、現在は和宗総本山)を建立し、東西南北を守る神の持国天、広目天増長天、多聞天(毘沙門天)を祀ったと日本書記に書かれています。
北方を守り、仏法道場を守護する役目の毘沙門天は、仏法を聴聞することから多聞天とも呼ばれており、武闘の神として京都に鞍馬寺にも祀られ庶民に信仰されています。
弁財天
芸能・財福の神
古代インドの薩羅蘇代底(サラスヴァティー)で、河の女神であり、七福神唯一の女性です。七福神信仰が盛んになる前は、土地豊饒の農業の神として尊信されていました。やがて琵琶を抱えて音楽を司ることで芸能と財福の神として吉祥天とともに広く人々の信仰を得るようになりました。
江の島にある江島神社は、市杵島比売命(弁財天)を祀る琵琶湖の竹生島神社(明治の神仏分離令で弁才天社から改称)と安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられています。
福禄寿
幸福・長寿の神
宋(中国)の仙人、南極星(老人星の寿命を司どる)の化身で、道教の思想である富、幸福、寿命などを象徴的に擬人化しています。頭が長く、ほぼ二等身の体型で、白い髭、杖に一巻の経巻を結わえ、白い鶴を身辺に伴い年齢は千歳以上だといわれています。福は幸福、禄は高給、寿は長寿につながると信仰されています。
寿老人
不老長寿・無病息災の神
老子が天に昇り南極老人星になったという道教の思想から発想された中国の神で、長い白髪、長い頭の仙人姿の小柄な老人で千五百歳の長寿だったという怪人です。巻物をつけた杖を持ち、千年以上生きている鹿を連れていいます。
布袋尊
開運・子宝の神
9〜10世紀頃に、唐(中国)の明州(浙江省)に実在した禅僧で、名を釈契此(シャクカイシ)といい、自ら弥勤菩薩の化身と称しました。太って背が低く、腹が大きくどこででも眠る怪人で、常に布袋を肩に背負って喜捨を求めて諸国を遊行し、童子と戯れ、豪雪の中に寝でもその身体h阿濡れることもなく、時に晴雨や吉兆を余知、人の吉凶を言い当てたという逸話があります。後梁貞明3年(917)に寂滅しましたが、人々は弥勤菩薩の化身と信仰しています。