臨済宗建長寺派 稲荷山と号し 文治4年(1188)に、源義家の曽孫である足利義兼(頼朝の忠臣で豪勇の士として名高い)が開基となり、退耕行勇律師を招いて創建。京都の極楽寺に対し、鎌倉の極楽寺と称し、真言宗の寺であった。正嘉年間(1257〜59)に、建長寺を開山した蘭渓道隆の弟子月峯了然が住職になってから臨済宗となり、寺名も浄妙寺と改称された。宝暦6年(1756)に足利貞氏(尊氏の父)が中興開基してから代々足利氏の保護により南北時代に最も栄え、至徳3年(1386)に足利義満が五山制度を定め鎌倉五山の第五位に加えられた。七堂伽藍が完備し、23の塔頭もあったが、火災などにより漸次衰退し、現在は総門、本堂、客殿、庫裏、収蔵庫など伽藍を形成している。本堂左手の枯山水庭園、喜泉庵があり、境内は国指定史跡となっている。(拝観料100円)
桜並木の正面の瓦葺きの山門をくぐり、ビャクシンやカエデなど良く手入れされた樹木を左右に見ながら進むと丸みのある銅葺き屋根の本堂があり、どっしりとした青銅色の屋根が風格を感じさせる。本堂の前中央に歌額が架かっている。 はるばると まゐいりておがむ 観世音 ほとけのおしへ 弥陀の浄土へ 本堂内には、大きな「方丈」の掲額があり、本尊として釈迦如来坐像が祀られてある。七堂伽藍の時代には、現在の本堂が方丈であったと推測される。
![]() 本堂裏の墓地の中央に、代々の住職などの石塔群と、足利貞氏の墓といわれる明徳3年(1392)銘の宝篋印塔(市文化財)が建っている。 (注) 足利貞氏(1273〜1331)の 父は家時で、子が尊氏
石窯ガーデンテラス 散策路を出て境内の左側の坂道を上ると、洒落た洋館の「石釜ガーデンハウス]がある。80年近い歴史を刻んだ洋館を改装して、石窯で焼くパンを提供するカフェ&レストランとして2000年5月にオープンした。庭に咲く四季の花を眺めながら食事やお茶を味わい、客席からガラス張りのパン工房でパンが作られていく様子をみることができる。 |