日蓮宗 四条山収玄寺
文永8年(1271)9月13日、日蓮聖人が龍の口刑場で法難の際、宗祖とともに殉死の覚悟を決した四條金吾の屋敷跡に、金吾の滅後、捨身護法、法華色読の霊地として文政年間(1818〜30)一寺が創立され、収玄庵と称したが、大正末期の本堂改築を機に寺号も収玄寺と改称した。 開基、圓守院日勇上人、開山、妙詣尼。本尊は、久遠の本師釈迦牟尼仏及び日蓮聖人尊定の曼荼羅。
北条氏、江間光時の家臣であった四条金吾(永仁4年ー1296、67歳没)は、鎌倉、佐渡、身延と終始一貫日蓮に給仕し、法華信者の鑑として厚い信頼を受けた。 境内に東郷平八郎書の”四条金吾邸跡の大きな石碑が建っている。なお、毎年3月15日には四条金吾頼基公のご命日祥当法要が営まれている。 境内には多くの花木・野草の類が植えられており、花の寺としても知られている。 |