天台宗で、金龍山釈満院と号す 鎌倉三十三観音第二番札所 後醍醐天皇が、征夷大将軍足利尊氏に命じて、元和3年(1333)5月21日に滅亡した鎌倉幕府第十四代執権北条高時以下の北条氏一族の怨魂の弔いと、鎮護国家の円頓大戒弘通(一遇を照らす人の養成)の道場として北条得宗邸跡に、北条氏の菩提寺であった東勝寺を移して祀った寺で、開基は後醍醐天皇。開山は天台宗座主五代国師、円観恵鎮守、慈威和上で、建武2年(1335)の創建。七堂伽藍、二ケ院、三十六坊を有し足利氏の寺として栄えたが、天文7年(1538)に火災に遭い衰えた。時の住職が徳川家康に関東における天台律宗本山としての保護願いを言上したといわれる。 参道を進むと正面に、寛政十戍牛歳十月と刻まれた一対の燈篭、その脇に東久邇宮
本堂右奥の入口に、「一隅を照らす此れ即国宝なり」と伝教大師の聖句の札が掲げられてある。縁結びの天女の間には国重文指定の普川国師准賢和上座像を中心に、開山の慈威和上、閻魔大王、伝教・弘法大師像などが安置されている。 |