アダム・スミスの『道徳感情論』のなかで、ある名も知らない人の墓碑銘が引かれています。
「私は元気であった、私はもっと元気になりたいと思った、そしていまここに私はいる」
さて、この意味をどう捉えるべきでしょうか。スミスは言います。ちょっと前後の文脈からは理解し難いところがありますが、「ハテナ」はこう解釈しています。人が不幸かどうかを注意深く観察すると、圧倒的に大部分の人びとの悲運は、いい時のことを知らなかったことから生ずるのだ、といい、その人たちはこの墓碑銘が記すとおり、失望や困苦にたいして、改善しようと努力し、そしていま眠っている、と。元気であり、元気になりたい、と努力し、そして今は静かに墓のなかにいる。つらかったかもしれない人の生き様が伝わってくるように思えるのですが。もし間違っていたらごめんなさい、スミス様。