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前夜からの続き

第206夜から第210夜まで

第206夜 - 「事おわりぬ」の意味

経済学とは直接関係はありませんが、よく引用されるのはゲーテの『ファウスト』です。ファウストの死に当り、メフィストは次のように語ります。

 どんな快楽にも飽き足らず、どんな幸福にも満足しない。
 次から次と欲しいものを追っかけまわした男だった。

 時計はとまった。
       とまった。真夜中のように黙っている。

 針は落ちた。
 落ちた。仕事はすんだ

この赤色の言葉は、原文では、Es ist vollbracht です。ところが新約聖書「ヨハネによる福音書」でこの言葉は十字架のイエスが最後に言った言葉として邦訳では「事おわりぬ」となっています。イエスの死で事おわったと理解してはなりません。「事が成就した」という意味なのです。つまり仕事がすっかり完了したという意味なのです。
この点で『ファウスト』の訳者手塚富雄氏は
仕事はすんだと的確に訳されています。

第207夜 - 天知る、地知る、我知る、 なんじ 知る。ナンゾ知ルモノナシトイワンヤ

後漢の 楊震 ようしん という人の逸話です。楊震は任地に赴くため途中で昌邑という土地に宿をとった。そこへ旧知の間柄であったこの地の長官である王密が訪ねてきて金十斤を楊震の前に供えた。楊震は「これは何のつもりか」と尋ねます。王密は「太守様への心ばかりの儀礼でございます。何卒お納めくださいますよう」。楊震はこのような物を受け取る筋合いなど一切ござらぬ、ととりつく島もないきびしさ。王密はやっとのことで喘ぎ喘ぎこう言います。「夜中でございますれば、誰もこのことを知っております者はありません」と。途端に楊震の口から表題のようなはげしい叱声が飛んだのです。

・・・誰も知らぬとは、よくも申したな。天が知っている。地が知っている。私が知っている。汝が知っている。これでも知る者がないと言うのか。

王密は恥しさと恐しさで思わず身が竦んでしまった、という、格言であります。

(村山吉廣 『中国の知嚢』より)

第208夜 - コーヒー・ハウスの経済学

アダム・スミスの親友だったディヴィッド・ヒュームは、スミスの『国富論』の刊行を催促する手紙をスミス宛に出しております。大変興味ある内容ですが、今夜はその書簡の日付と宛先に注意してみましょう(内容は次の夜話で)。第一に1776年2月8日付となっております。その直後の同年3月9日、遂にあの『国富論』が出版されたのでした。そしてまた7月4日はアメリカの独立宣言が出されます。これはアメリカ革命American Revolutionと呼ばれる歴史的な日であります。この意味で1776年は非常に重要な年となりました。第二に注目したいのは、宛先が、Charing cross London の British Coffee-house 宛アダム・スミス様となっていることであります。スミスの自宅宛でなくコーヒー・ハウスになっているのです。イギリスには当時郵便制度が発達していなかった? いやそうではありません。もともとイギリスでは郵便制度はかなり早い時期から整備されてきました。しかし戸別配達制度は確立されていなかったのです。そこでコーヒー・ハウスに留め置きにしてそれを取りに行くというかたちがとられたのです。つまりコーヒー・ハウスは郵便の集配所としての機能を果たしたのです。コーヒー・ハウスは憩いの場であり、ひとびとの交流の場でもあり、私設郵便局であり、そして新聞、雑誌から郵便に至るまでさまざまな情報の発信・受信の基地であったことが、この一通の書簡から伺えるのです。

第209夜 - ヒュームの手紙

前夜でお約束したディヴィッド・ヒュームのアダム・スミス宛書簡を紹介いたしましょう。まずは全文を訳しておきます。

Dear Smith

 私も貴方と同様筆不精ですが、貴方について心配するあまり筆をとります。
 だれから聞いても、貴方の著作は相当以前に印刷されているというのに、いっこうに公告が出されておりません。どうしてなのでしょう? もし貴方が、アメリカの運命が決まるまで待つというのでしたら、相当永く待つことになるかも知れません。貴方はこの春にわたしたちと一緒に暮らすお積りと伺っています。しかしわたしたちはそれ以上のことは聞いていません。なぜなのでしょう? 私の家の中での貴方の部屋はいつも用意されています。私はいつも家におります。貴方がこちらに来られるよう願っています。
 健康については、私はこれまでも、現在も、そして多分これからも可もなく不可もない状態にあります。先日体重を測ってみましたところ、5ストーンも減っているのに気づきました。もし貴方がこれ以上遅らせるならば、私は多分あとかたもなく消え失せているでしょう。
 バクルー公爵が私に語っておられますように、貴方はアメリカ問題に大変熱中されているようです。私の考えはといえば、問題は、一般に考えられているほど重要でないように思われます。貴方にお会いするか貴方の著作を読んでもし私が間違っているならば私は多分私の誤りを正すでしょう。わたしたちの海運と一般商業の方が、わたしたちの製造業よりも大きな打撃を受けるでしょう。ロンドンという町が、私がそうなったように、あの町がその大きさにおいて衰えるならば、その方がいいじゃあありませんか。悪い不潔な体液に充ちた大男以外のなにものでもないのです。

David Hume

この手紙から当時のさまざまな出来事が判る(コーヒーハウスもそうでしたね)貴重な資料だと「ハテナ」は思っておりますが、今夜は長くなりますので、次の夜からぼつぼつお話していくことといたしましょう。

第210夜 - アダム・スミスの「アメリカ問題」

まず前夜の手紙の真ん中やや下の第3パラグラフにご注目ください。”バクルー公爵が私に語っておられますように、貴方はアメリカ問題に大変熱中されているようです・・・”のところ。バクルー公爵はスミスを家庭教師として雇い入れた人です。スミスは『国富論』の草稿を完成させてから出版までの3年(1773〜1776)の長い間、アメリカ問題に頭を痛めていました。普通に考えれば初めて膨大な経済学の体系を完成させたのですから、一刻も早く公刊したいのが誰でも抱く願望でしょう。しかしスミスはこの点に関しては極めて慎重でした。国富論の刊行を遅らせてまで植民地についての自分の一般論を完成させたかったのでした。この点をヒュームは心配して、前夜のような手紙のなかで出版を急がせたわけです。”アメリカの運命が決まるまで”待ってなんかいられないよ、とスミスに迫っている、ヒュームの友情が見え隠れするエピーソードでありましょう。

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