英国のアメリカ植民地について、スミスはどのように考えていたのでしょうか。アメリカの独立についての考察のために敢えて『国富論』の出版を遅らせたスミスではありましたが、こうして刊行された『国富論』の最後の文章は次のような表現で締めくくられています。
大英帝国のどの領土にせよ、帝国全体を支えるために貢献させられないというのなら、いまこそ大ブリテンは、戦時にこれらの領土を防衛する経費、平時にその政治的・軍事的施設を維持する経費からみずからを解放し、未来への展望と構図とを、その国情の真にあるべき中庸に合致させるように努める秋(とき)なのである。 (大河内一男監訳『国富論』)
しかしこれでは植民地問題の重要性を認識はしていたが、具体的な提案とはなっておりません。結局スミスの「アメリカ問題」は『国富論』以降の課題となって持ち越されるのです。しかも晩年のスミスは『国富論』よりも『道徳感情論』の推敲に力を注ぐようになっていきます。D.ウィンチという学者は、晩年のスミスについて次のようなエピソードを認めています。
スミスは彼の出版社に次のように語っている。”『道徳感情論』の最も重要な追補は、義務の感覚・・・と道徳哲学の歴史についての最終部です。”このとき、彼は62歳で〔スミスは1790年67歳で死去〕、”余生を極めて用心深く””ゆっくりと、ゆっくりし過ぎるほどの仕事”しかできなくなった、とこぼしている。 (D.Winch Riches and Poverty 1996)
このように、晩年のスミスは『国富論』よりもむしろ『道徳感情論』の推敲に力を注いだ節が見られます。ここからスミスを、「孤高の哲学者」(' a solitary philosopher ')と描くこともできましょう。
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