,

前夜からの続き

第216夜から第220夜まで

第216夜 - 進化と経済学

最近流行となった経済学の新しい部門に「進化経済学」(evolutionary economics)があります。これは経済制度や経済システムに進化論を採り入れて、経済学は進化していくという観点を持つ一つの制度派経済学ともいえましょう。けれども「ハテナ」には、経済学の長い歴史に進化が生じ変異していく過程が今ひとつよく判らないのです。例えば、昔の貨幣が巨石や貝殻から今日の貨幣に進化してきた、といえば尤もらしく聞こえるでしょう。進化の過程には随分と長い時間が掛かるように思われます。進化論者は、例えば次のような比喩をもって語りかけています。

・・・・・・人間がこの宇宙に滞在している時間は、ほとんど信じられないくらい短いという事実である。そうなると、人類の歴史など自然史のスケールの大きさとはくらべるべくもない。地球上に生命が出現して以降の40億年を夏の1日にたとえるとしたら、現代人と同じ形態をした人類が登場し、複雑な言語、芸術、宗教、取引が起源し、農業が開始されて都市が誕生し、歴史の記録が残されるようになったここ20万年は、1匹のホタルが日没直前に放った光に相当する。
              
(カール・ジンマー(2001)渡辺政隆訳(2004)『進化大全』より)

とすれば、経済学を進化論で説明することは、一瞬のはかない命であり、私たちはとっくに死んでしまう、という皮肉を言っても許されるかもしれませんね。

第217夜 - ロミオとジュリエットの恋

”娘はまだ世間知らずでして、
まだ14の声も聞いておりませぬ。
夏の盛りをもう二度ほどすぎませぬと、
花嫁にふさわしい娘ざかりとは思えませぬ。”

これは、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』でのセリフです。実際ジュリエットは14歳の誕生日のころにロミオを夫として迎えたのでした。
一体どうしてシェイクスピアは、ジュリエットの結婚年齢を14歳と設定したのかが今夜の謎なのであります。何故なら、当時の世間の結婚年齢は以下の表に示されるとおり、女性は20歳前後といったところでしょう。

  新郎の平均年齢 新婦の平均年齢
カンタベリー主教区、1619-60年における結婚許可申請者数
(1007組)
26.65
23.58
1625年ごろより1650年ごろに至る貴族の結婚
(新婦510人、新郎403人)
25.99
20.67

(ラスレット:『われら失いし世界』より抜粋)

ラスレットによりますと、シェイクスピアは観衆が関心を抱くような年齢の差異を誇張したのだと言うのですが、これは余り説得的ではありません。この碩学をもってしても偉大な芸術家というものは、その想像力のおかげで観察を鋭くし過ぎる、としか言っておらず、事実ラスレットは、「女性の結婚年齢や性的成熟といったことが実際にはどうなのかということには何の考慮もせず、少年と少女の愛と結婚についての劇を書いたのだと考える方がもっともらしく思える。」

はて、判ったような判らぬような甚だ歯切れの良くないご意見であります。

むしろ社会経済史家ラスレットが別のところで、次のような皮肉な資料を重視しているほうが説得的でありましょう。

男の方はほぼ17歳で、女性の方は14歳であった。若い愚か者の、結構な昔からよくあるカップルだ。 (1623年7月6日製糸工とある娘の結婚についての教区牧師の記録)

第218夜 - マルサスの『人口論』における自然の大饗宴

岩波文庫に収録されているマルサスの『人口の原理』は初版(1798年)ですが、以下に引用する文章は第2版(1803年)に現われます。訳者の一人であり優れた解説者でもある大内兵衛氏は、さすがに見逃すことなく引用しています。ただ文体が古いので一部を判りやすく書き換えています(もちろん原文に当たりながら)。

すでに(誰かに)所有されてしまっている世界に生まれた者は、もし彼が両親から正当に要求し得る生活資料を得ることができず、またもし社会が彼の労働を欲しなかったならば、彼はどんなに小さな食料であってもそれを要求する権利を持たない。実際、彼がいまいるところに生存する必要はないのである。自然の大饗宴において、彼のために用意された空席はない。自然は彼に去れと言う。そしてもしその饗宴の客の誰かからあわれみの情をうけないなら、自然は直ちにその命令を実行する。

このように人口の増大によってあぶれた人に与えられる席はないと冷徹な眼でもってマルサスは記述しています。この凄さ、激しさに世間は彼を嫌悪し、「アダム・スミスは万人が賞讃するが誰も読まない本を残し、マルサスは誰も読まないで万人が悪罵する本」を残した」のでした。
けれどもマルサスは、この人口の原理にもかかわらず、いかにして人々を幸せにし、貧困や悪徳をなくそうと懸命に闘った人でした。そして増大する人口に対し、道徳的抑制と、自分の責任に応じて結婚を遅らせ、自らもまた39歳の晩婚でありました。

第219夜 - マルサス;貧困の原理

アダム・スミスが富の原理を明らかにしたとすれば、マルサスは貧の原理を述べたものと言えるでしょう。マルサスの『人口の原理』は、いわゆる人口論のみの書ではありません。さんざん悪評を受けながらも、マルサスは人類の幸福を真に願っていた人でした。それは『人口の原理』の正式の表題に表われています。第1版のそれは、
『人口の原理に関する一論、それが社会の将来の改善におよぼす影響を論じ、さらにゴドウィン氏、コンドルセー氏その他の論者の空論を批評する』
というかなり論争的な表題でありましたが、第2版では、
『人口原理に関する一論、それが人類の幸福におよぼした過去および現在の影響を観察し、さらにそれが引起こす害悪の将来における除去、または軽減についてのわれわれの展望を研究する』
と変わったことによく表われています。(赤字は「ハテナ」によるものです)

(参考:ロバート・マルサス 初版『人口の原理』岩波文庫)

第220夜 - マルサスの罠

上の図は、D.ウィンチの著書、Riches and povertyのなかにある挿図です。描かれている人物は肉屋の亭主で、こんなことをつぶやいています(おおまかに訳します)。’私には8人の子供がいる。もし夫々が8人の子供を持つとすれば、64人になる。そして同じように夫々が子供を持つと512になる。同様に512人は4096人に、さらに32768人に、それから262144人、2097152人へ、それもまた8人子供を持つと、16617210人へ・・・。なんとまあ、やせこけた家族に与える十分なパンなどあるのかね。’

これはマルサスの人口法則を皮肉ったものです。もっとも最後の計算は、2097152×8で16777216人となり、上の16617210人と違っています(計算間違いかしら)。これは、生活資料は算術級数的にか増えないが、人口は幾何級数的に増え、遂には食物が人口を支えきれず、困窮、餓死、間引き、堕胎、罪悪等をもたらす、というマルサスの人口法則です。

ところが実際には、このような乖離は生じません。長期的には生活資料と人口とは均衡しているのです。つまり、文明が進んで、ひとびとは生活資料の効率的な生産・改良を進める一方で、人口を抑制しようとする賢明さを持っているからです。今日では逆に少子化問題として人口減の悪影響すら懸念されるほどです。「ハテナ」はこれらを考察して、「マルサスの罠」と呼びたい、その訳をもう少し理論的に整理してみましょう。最低生活水準を越えて人口が大きくなれば、余分な人口は淘汰されます。また反対に、人口が最低生存費水準よりも小さくなれば、人口は増加しますから、結局人口は最低生存費水準に均衡して増加も減少もしなくなるのです。この均衡水準をマルサス的均衡の状態、或いはマルサスの罠と呼ぶわけです。そしてマルサスの罠にはまれば、一人当たりの所得は最低生存費であるから、所得の一部を貯蓄にまわす余裕はありません。所得はすべて消費されてしまうのです。

(参考:D.Winch(1996), Riches and poverty より)

第221夜から第225夜までへ

経済学物語へ戻る