店頭に並ぶ商品にはどれにも値札(価格)がついています。ではその価格はそれに値する正当な価値を持っているかとなると、必ずしもそうとは言えません。商品が売れて初めて価値を持つ、つまり交換価値を持つ前の状態といえるかもしれません。たとえばデパートにあるあらゆる商品の値段がついているのにまだ購入されてはいません。ということは交換されない商品に価格がついているのです。とすると交換されて初めて価値が生ずるとすればこのような店頭価格は果たしてものの価値を持ったものといえるのでしょうか?「ハテナ」にははなはだコダワリを持つ問題です。こんなことばっかり考え込んでいますと、それこそ次のような皮肉を込めた批判が返ってきそうです。それは1972年に経済学部門のノーベル賞を受賞したケネス・アローの人生哲学を示した一文です。
あらゆるものの価格を知っていて何ひとつ価値を知らぬ人間を冷笑家(シニック)という。万物の中にばかげた価値を認めながら何一つとして市場の価格を知らぬ人間を感傷主義者という。
(ケネス・アロー 「私にも鷹と鷺の区別くらいは付く」のなかの引用文より。 M..シェンバーグ編 『現代経済学の巨星』下 より)