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前夜からの続き

第226夜から第230夜まで

第226夜 - 漱石の苦悩 1

明治時代の日本の近代化ーそれは文明の発展の一方で日本人の心の立ち遅れが見られるー、その乖離を鋭く衝いたのが夏目漱石でありました。物質と精神の相克、矛盾に悩み続けたのが、「ハテナ」の漱石を読む視点になっています。最近改めて漱石全集を第1巻から読み進めるうちに、意外にも第4巻にその姿を見てとりました。同巻(岩波書店)には小説「虞美人草」が収められています。外交官試験に合格した宗近一(はじめ)君と父君との会話のさわりを引用しましょう。

(父): 「西洋は八釜(やかま)しい。御前の様な無作法ものには好()修業になって結構だ」
(宗近一(
はじめ): 「ハヽヽヽ西洋へ行くと堕落するだろうと思ってね」
(父): 「何故(
なぜ)」
(一): 「西洋へ行くと人間を二
通り拵へて持って居ないと不都合ですからね」
(父): 「二
通とは」
(一): 「無作法な裏と、綺麗な表と。厄介でさあ」
(父): 「日本でもさうぢやないか。文明の圧迫が烈しいから上部(
うわべ)を綺麗にしないと
社会に住()めなくなる」
(一): 「其代り生存競争も烈しくなるから、内部は益(
ますます)無作法になりまさあ」
(父): 「丁度なんだな。裏と表と反対の方角に発達する訳になるな。是からの人間は生きながら八つ裂の刑を受ける様なものだ。苦しいだろう」

会話はまだまだ続きます。次夜でまた読みましょう。

第227夜 - 漱石の苦悩 2

前夜の『虞美人草』の会話の続きです。4行ほど飛ばします。

(一(はじめ): 「ことに英吉利(いぎりす)人は気に喰はない。一から十迄英国が模範であると云はん許の顔をして、何でも蚊()でも我流(がりゅう)で押し通そうとするんですからね」
(父): 「だが英国紳士と云って近頃大分評判がいいぢやないか」
(一): 「日英同盟だって、何もあんなに賞(
)めるにも当たらない訳だ。弥次馬共が英国に行った事もない癖に、旗許(はたばかり)押し立てて、丸で日本が無くなった様ぢやありませんか」
(父): 「うん。何所(
どこ)の国でも表が表丈に発達すると、裏(うら)も裏(うら)相応に発達するだろうからな。ー なに国(くに)許ぢやない個人でもさうだ」
(一): 「日本がえらくなって、英国の方で日本の真似でもする様でなくっちゃ駄目だ」
(父): 「御前が日本をえらくするさ。ハヽヽヽヽ」

悩める漱石は小説のなかにも、日本の近代性、否文化の後進性を嘆いているのです。おっと、本来の『虞美人草』のヒロインー幻の美女ー、藤尾のことにちっとも触れないでけしからん、と漱石ファンの方からお叱りを受けるかもしれませんね。

(漱石全集第四巻 岩波書店 p.348-350)

第228夜 - ギマンの理論 

もし全能の神がいるとすれば、神様は人の運命を全てお見通しの筈です。たとえばこの「ハテナ博士」の老後はどうなる?ということも知っているはずです。でも神様はそれを「ハテナ」に伝えようとは決してしないのです。これを神様は欺いているとして「神の欺瞞」の理論といいます。なぜでしょうか? もしこの「ハテナ」が老後の資金を全て失って困窮の末に死を迎える、ということが判ってしまったとすれば、もう「ハテナ」は生きる気概もなくなり自棄(やけ)を起こして惨めな毎日を送るという始末になる、あるいは反対に宝くじにでも当たって大金持ちになるとお告げがあれば、「ハテナ」は有頂天になって毎日放蕩三昧の生活を送るかもしれません。そう、神様は私たちを欺いて未来のことを決して告げないのです。
山崎怜氏は、これを次のように解説しています。

貧しい若者が安楽と繁栄における快適性に魅惑されて上流の富者になるべく勤勉に励み努力のかぎりを尽くして生涯を歩むが、年老いてもそれほどゆたかになるわけではない。しかしそういう若者たちの精励のお陰で経済と社会は発展し歴史は前進する。人間は自然に騙されてこそ世の中の進展に貢献する・・・・・・。

アダム・スミスは『道徳感情論』のなかでこのことを巧みに表現しています。が、次夜のお楽しみといたしましょう。

(山崎怜 『アダム・スミス』 より)

第229夜 - アダム・スミスの欺瞞の理論

さていよいよ本番!アダム・スミスの「欺瞞の理論」の登場です。以下は『道徳感情論』のなかに出てきます。

自然がこのようにわれわれを騙すことはいいことである。人類の勤労をかきたて継続的に運動させているのはこの欺瞞である。人類をしてはじめて土地を耕作させ、家屋を建てさせ、都市と公共社会を建設させ、人間生活を高貴で美しいものとするすべての科学と芸術(アーツ)を発明させ改良させたものはこれである。地球の全表面を全く変化させ、自然の原始林を快適で肥沃な平原に変え、人跡未踏で不毛の海洋を生活資料の新しい資源とし、地球上のさまざまな国民のための一大交通の公道を作らせたのである・・・・・・。

欺瞞というと言葉の響きは悪いですが、「ハテナ」にはなかなか正鵠を射た議論と思えます。でも欺瞞というイメージの悪さでしょうか。このような文脈でスミスを論じる人は意外に少ない気もいたします。

(アダム・スミス 『道徳感情論』 山崎怜 『アダム・スミス』)

第230夜 - 腐敗を嘆くスミス

経済学の創始者とされるアダム・スミスは、一般には自由放任、共感、第三者の公平な観察者、自然の秩序と調和、利己心と利他心、分業の利益、競争による発展、等々のキーワードが浮かびますが、「ハテナ」の観るアダム・スミスは、究極的には腐敗の徹底的批判、追及にあった、と考えています。最晩年にスミスが手を入れた『道徳感情論』の推敲には特にその思いが強く出ているようです。最後の第6版(実際は第7版まで刊行されましたが、7版は殆ど改定されていませんので、通常は6版をもって最終稿とみなされています)のなかで、新たな章を設けたり、以下のような言葉の端々に示されるように、スミスがいかに社会の、また商人の腐敗を糾弾していたかがしのばれます。

富裕な人びと、上位の人びとに感嘆し、貧乏で卑しい状態にある人びとを軽蔑あるいは無視するという性向によってひきおこされる、われわれの道徳諸感情の腐敗について(新たな章)

この「腐敗」は、「知的、社会的および勇敢な徳性」の衰退をこえてはるかに深刻な問題だと憂うのでした。

人類のうちの大群衆は、富と上位への感嘆者であり崇拝者である・・・・・・が、こうした性向は、

階級の区分と社会秩序を確立するにも維持するにも、ともに必要であるとはいえ、同時にわれわれの道徳諸感情腐敗の大きな、そしてもっとも普遍的な原因である。

(アダム・スミス 『道徳感情論』)

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