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前夜からの続き

第236夜から第240夜まで

第236夜 - 進化その1:ショウジョウバエの化学戦

雄は他の個体の精子を殺し、雌の産卵スケジュールを早める作用を持つといわれます。つまり雄が用いる化学兵器は殺虫剤と同じ作用を雌に及ぼすのです。一方雌は雄の毒性を無害化しようとする防御システムが進化してきます。すると雄もまたその毒性を強めるようになります。ライスという学者(カリフォルニア大学サンタバーバラ校の生物学者)は、1996年に、ショウジョウバエの、このような「死の輪舞」が演じられる様子を再現しました。
他方ライスは、この雌雄間の軍拡競争を休戦させる実験を行いました。それはショウジョウバエに一夫一妻制を導入する実験でありました。1999年に雄一匹に雌一匹をあてがい、生まれた雄にはそれぞれ一匹づつの雌をあてがうという操作を続けました。その結果、雄は他の雄との競争にさらされることがなくなり、有毒物質を持つことの進化的意義が消えてしまったのでした。このため雌もその解毒剤を進化させる意義を失ったのです。
このライスの実験は、ショウジョウバエがずいぶん平穏な生活をエンジョイできるようになった、と思われます。が、反面、放任状態にしていくと休戦状態などはとても実現できません。生物学者が介入しない限り、ショウジョウバエは自己保存を優先した軍拡競争に走ることになります。

このことは、人間の世界にも暗黙に存在しているのではないかしらと「ハテナ」には想像されます。政治の世界では軍拡競争や核拡散の動き、また経済の世界では凄まじい競争、その結果互いに強い毒性を持ったぶつかり合いが見られる一方、戦争や競争の少ない世界では、ちょうど無菌者が免疫を持たないように、必ず毒性の強い相手から攻撃を仕掛けられるのが心配になります。

(上の例や引用は、カール・ジンマー(2001) 渡辺政隆訳(2004) 『進化大全』 ダーウィン思想:史上最大の科学革命 を基にしました。)

第237夜 - 進化その2 : 働きバチの利他行動

前夜ではショウジョウバエの一生、それは性をめぐる闘争の激しさを思わせる事例でした。しかしその反対の事例もあります。ミツバチの巣です。それは一匹の女王バチ、数匹の雄、そして2万から4万匹の雄の働きバチで構成されています。そして働きバチ自身は繁殖はせずに蜜集めや巣内の清掃、女王が産んだ幼虫の世話などをして一生を送ります。巣を守るために決死の攻撃も敢行すると云われます。ウィリアム・ハミルトンという学者によりますと、長い目で見れば、働きバチは自分の遺伝子の利益になる行動をとっているのだとされます。それは、女王バチが息子と娘を異なるやり方で産み分けているからです。雄は未受精卵から生まれ、雌は受精卵から産まれるのです。ということは、雄はすべての遺伝子について1個ずつのコピーしか持っていないことになります。これに対して雌バチは一つの遺伝子につき父方と母方二つのコピーを持つ娘を産み落とすのです。このような状況下で、働きバチは自分の繁殖は差し控え、巣のために働くようになるのです。つまり利他行動をしているのだとハミルトンは解明するのです。
これはダーウィンたちを悩ませてきた生物の利他行動という逆説にメスを入れたのでした。利他行動は、その行動をとる個体にとっては利益をもたらさないかもしれません。しかし利他行動をとる個体の遺伝子のコピーをたくさん残すということでは有益かもしれないというのです。
しかし何となく悲しいような侘しいような進化論ですね。クローン人間のような遺伝子によるコピーが、たとえ利他的、或いは社会的に貢献するとしても、そんなコピーが世にはばかるのは一体人類にとって幸せかどうか?前夜とは対照的な事例です。 ”おもろうてやがて悲しき鵜飼かな”

(前夜のジンマー『進化大全』を参考にしました)

第238夜 - 進化その3 : チンパンジー互恵的利他行動

今夜はラトガース大学の生物学者ロバート・トリバースが名づける「互恵的利他行動」についてご紹介しましよう。彼はこう言っています。「利己的に振る舞うよりは、血縁関係のない個体どうし助け合ったほうが長い目で見て生存のチャンスが増えるならば互恵的利他行動が進化する」と。
「ハテナ」はこれでやや安心します。何故なら互恵的利他行動は、脳が発達した動物でとくによく進化しそうであると言っているからであります。個々の個体を識別し、誰に借りがあって、誰に貸しがあるかを覚えていられるならば、互恵的利他行動で自分も恩恵を受けられるという脳の発達した動物であります。その事例としてチンパンジーが挙げられます。
チンパンジーは、恩恵を与えた相手を覚えていて、裏切った相手は二度と助けなかったり、罰したりさえするそうです。また、血縁関係のない個体どうしが協同し、相手を助け、ときには相手のために自己犠牲的な行為までする、というそうで、これで少し人間社会に近づいてきました。
しかし、以上の三つの事例には、進化論からみて夫々利己的・利他的行動が現われるものの、そもそも遺伝子決定論には依然としてむなしい思いが残るのであります。本能の現われだけでわれわれ共同体が果たして解明できるのでしょうか?本能を制御しつつ社会生活のマナー(生活様式)を維持させることこそ、持続可能なわたくし達の文明社会なのではないでしょうか。事実この本の著者は、第10章を以下のような言葉で締めくくっているのであります。

生物学者で満杯の酒場でこんな疑問〔ハテナの注解:人間の行動にまで雌雄間の競争や、互恵的利他行動など〕を口にしようものなら、喧々囂々の議論が巻き起こることは必定である。人をめぐる議論が微妙な問題をはらむのはなぜなのだろう。それを理解するには、人間の本性の由来を理解するのが先決である。

(前々夜のジンマー『進化大全』を参考にしました)

第239夜 - 合理的な愚か者

いまA嬢とB夫人が、ともにミルクを求めて市場に赴く。両人の予算制約は同じなので、ミルクが競りにかかったときには両名とも、あるところまでは同じペースで競り上げる。しかしミルクはA嬢の手に渡った。そしてミルクは、「肌の健康のために」彼女の浴槽に湯水のごとく注がれる。そしてミルクを競りおとせずに黒パンとオムツ布だけを手に帰宅したB夫人は、自らパンを口に運ぶ余裕もあらばこそ、乳を求めて号泣する乳児を、母乳の出ない胸に抱きしめて天を仰ぐ。

1998年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン(Sen, Amartya)、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ学寮長をつとめるセン教授の著書、Choice,Welfare and Measurementを訳した大庭健・川本隆史の解題のなかに見られる、功利主義批判の例です(同著は『合理的な愚か者 経済学=倫理学的探求』として訳出されました)。この例のなかには、功利主義あるいは総和主義への痛烈な批判が込められています。何故ならば功利主義的近代経済学は、この事例を次のように説明するからです。AもBも等しい予算制約のもとで、Aは多くのミルク、Bは多くのパンと僅かな布を選択した。対等の立場で競りに臨んだ以上、両者ともに、それぞれの選好にもとづく満足を最大化したのである、と。そのような経済学の思考に激しく批判の矛を向けたのです。
センは1933年にインド・ベンガル地方に生まれ、あのベンガル大飢饉(1943年、300万人の死者を出したと言われる)を経験し、優れた数理経済学者でありながらこの原体験をもつセンは、貧困や開発あるいは福祉に強い関心をもってさまざまな貢献をされています。

第240夜 - 馬の蹄鉄はいつごろから用いられたか

随分前に岩波書店の『図書』で見たことが今なお引っかかっています。それは時代劇の映画などでカッポカッポと威勢良く馬の走る心地よい音は、実は草鞋を履いた馬だったのでそんな音は出なかったのだそうであります。次の引用文をご覧ください。

”・・・馬に草鞋を履かせる方法だが、蹄鉄はアメリカの初代領事タウンゼント・ハリスが1856年に紹介するまで日本で用いられることはなく、明治初期の東北地方ではいまだに馬に草鞋を履かせていたのである。”

もしこれが本当だとすると例えば関が原の戦いや、黒沢明監督の映画に出てくる戦いの場面で登場する馬は、そんなにカッコ良く馬蹄の音は聞こえないはずです。ほんとにそうかなぁ〜と未だにこだわっているのは「ハテナ」の悪しき好奇心かもしれませんね。

(参考: 富士川義之「アジアに魅せられた英国女性ーイザベラ・バードー」より。1986.11. 岩波書店『図書』)

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