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前夜からの続き

第261夜から第265夜まで

第261夜 - ヴォルテールの寓話

ヴォルテール(1694〜1778)というフランスの思想家は、何とも奇妙な風刺作家でもあり、岩波文庫に収められた『カンディード他五篇』は、皮肉とエスプリを随所にちりばめながら、幸福のパラドックスを物語風に語っています。今夜からしばらくお付き合い願うとして先ずそのなかの「この世は成り行き任せ―バブーク自ら記した幻覚」という物語をご紹介いたしましょう。大分端折っていますがご了解ください。

 世界の諸帝国をつかさどる精霊のなかで最高の地位にあるイチュリェルは、ある朝、スキタイ人*でこの物語の主人公であるバブークに次のようなお告げをします。

「バブークよ、ペルシャ人のばかげた振舞いと行き過ぎた所業を調査し報告
せよ。それにもとづいて、あの町を懲らしめるか、絶滅させるかを決めよう」

バブークはラクダに乗って一度も行ったことのない町へ旅立ったのでした。

  *スキタイ人・・・前6世紀から前3世紀に強大な遊牧国家を形成した黒海北岸のイ
           ラン系民族

まず商人のところに行き、気に入った品を買います。商人は実際の値段よりうんと釣り上げて彼に売りつけました。家に戻りますと友人がどのくらい金をごまかされたかを教えてくれました。ところが、家のドアをノックして当の商人が入ってきて、バブークが店の売り台についうっかり置き忘れていた財布を届けに来たのでした。
「こんなことがありえるだろうか」と、バブークは叫びました。「安ピカ物を実際の値段の4倍で売りつけて恥じなかったのに、その後でこんなにも誠実で私心のないところを示してくれるとは」
商人は答えました。「あなたにこの財布を届けに来ない者はいませんよ。でも、わたしの店であなたがお選びになった品を実際の値段の4倍で売ったと言う人がいたら、その人は嘘をついたことになります。わたしはあなたに10倍の値段で売ったのですからね。・・・(中略)・・・しかし、これほど公正なことはありません。こんなたわいない品物に値を付けるのは、人間の気まぐれだからです。
そうした人間の気まぐれというやつのおかげで、わたしが雇っている百人の職人も暮らして行けますし、わたしにしたって立派な家と便利な馬車と数頭の馬をもっているというわけですよ。・・・」

以上からお察しのとおり、ヴォルテールのこの物語には、二つの風刺が込められていると「ハテナ」には思われるのです。一つは、物の値段なんて人間が気まぐれに付けるものよ、というわけです。経済学なら百人の職人を雇っているのだからそれらの投下労働によって物の値段が決まる(労働価値説)、またその値段のお陰で商人は立派な家や馬車を持てるのは利潤があるからだ(剰余価値説)と説明するでしょう。
二つ目は、人間が気まぐれに値段を付けることによって「産業を刺激し、繊細な趣味、資本の流通、豊饒を保ってくれるのです・・・」とのたまう商人の言い分に”ナルホド”と感心したりすると、経済学者先生にお叱りを受けるでしょうか。

(ヴォルテール 『カンディード他五篇』(1739〜58) 植田祐次訳 岩波文庫より)

第262夜 - ザディーグの物語 1

岩波文庫に収められている三つ目の物語は、「ザディーグまたは運命」と題されています。ザディーグという主人公の名前は、アラビア語で真実を、或いはヘブライ語で正義の人を意味するとされています。粗筋は次のとおりです。
アラビアの王様、モアブダル王−もっともヴォルテールが作り出した架空の王様ですが−の時代(『千夜一夜物語』の仏訳が1704年から刊行され始めたので同時代の物語でしょう)に、ザディーグという名の青年がいました。ザディーグは裕福で好ましい容姿に恵まれ、また公正、誠実のうえ気高い心をそなえてもいたので、自分は幸福になれるものと信じて疑いませんでした。ところが博識であればあるほど、また教養もあるほどザディーグは幸せになるどころか不幸せな目に遭っていくのでした。
実に沢山なザディーグに関する物語がありますが、まず、アリマーズという名の「ねたみ屋」のお話から始めましょう。彼はザディーグが「仕合わせ者」と呼ばれているという理由で、ザディーグを破滅させようとしました。悪をなす機会は一日に百回もあるが、善をなす機会は一年に一度しかないと言われているように、「ねたみ屋」は虎視眈々と狙っていました。(「ねたみ屋」にとっては一年に一度の善がザディーグを破滅させることになるというあたりはヴォルテールの皮肉でしょうか)
ある晩餐会の席で、ザディーグは王への賞賛と、同席した婦人を褒めそやす即興の詩を紙に書いたのですが、特定の婦人宛に捧げるのはよくないと思ってその紙を二枚に破り、庭の茂みに投げ捨てました。これを知ったねたみ屋はさんざん探したあげく紙片の片方をみつけました。それは実にうまく破られていて、次のような王に敵対する世にも恐ろしい言辞でした。

このうえなき大罪により
揺るぎなき玉座に鎮座し
公衆みな和合するに
敵ただこれひとりぞ

ねたみ屋は生涯ではじめて幸福を味わいました。彼は残忍な喜びにひたりながらザディーグ直筆の風刺詩を王のところに届けました。ザディーグは投獄され、財産も没収され処刑場へ引かれて行きます。さあ、その結末は? 次夜をお楽しみください。

第263夜 - ザディーグの物語 2

前夜からの続き。ザディーグが死を覚悟していたとき、王様の飼っていたオウムが庭の茂みに落ちていたもう一枚の紙片を桃の実といっしょにくわえて王様の膝の上に届けました。詩が好きだった王様は、前の紙片を覚えていてこれと繋ぎ合わせました。突き合わされた詩は次のようなものでした。

このうえなき大罪により 大地の混乱するさま見たり。
揺るぎなき王座に鎮座し、 王は万能を服従させたまう。
公衆みな和合するに 戦を挑むはひとり恋のみ、
敵ただこれひとりぞ 恐るべし。

王はただちに、ザディーグを釈放しました。それからは王のザディーグへの評価は高まる一方でした。王妃もまた彼に好意を持ち始めました。

これでめでたしめでたし・・・となるのでしょうが、ヴォルテールの風刺はまだまだ続くのです。ずいぶん端折らざるを得ませんが、ザディーグ物語をもう少しいたしましょう。

「ハテナ」のひとり言; 上の詩は前半部分だけでも、また全体でも韻を踏んでいるところに素晴らしさがあるのでしょうが、フランス語を知らないのでその良さを味わうことができないのが情けない!

第264夜 - 寛容の士

5年ごとに行われる盛大な祭典では、この間に最も寛容な行ないをした者を公表するのがバビロンの習わしでした。高位の高官と祭司が審査に当たります。選ばれたなかには次のようなものがありました。
@ 一人の判事が自分には責任のないある誤解のせいで、ある住民を敗訴させたことから、その住民が失ったものに相当する彼自身の全財産をその住民に与えた。
A 恋人を救うよりその母親を救うほうを選んだ。(ちょっと説明不足ですが、大ざっぱに黙認してください。ヴォルテールらしい皮肉が入っています)

審査官が受賞の対象にしたのは上のような事例でした。しかし、王様はこう言われました。
「・・・ザディーグは、わたしを驚嘆させるようなことをした。数日前、わたしは重用していた大臣コレブを解任した。わたしが激しく彼への不満をもらすと、廷臣たちはみなして王が優しすぎると言い立てた。彼らはわれがちにコレブについて実にひどい悪口を言った。わたしがザディーグに彼の考えを尋ねると、彼は勇気を奮って大臣を褒めた。・・・(中略)・・・君主の激怒の的となって解任された大臣のことを一介の廷臣が好意的に話した例は、これまで読んだことがない。・・・(後略)・・・」

かくして王とザディーグは共に賞賛されたのであります。ザディーグは言いました。「では、ついにわたしは幸福になったのか!」と。どっこいそうはいきません。ヴォルテールはさらに風刺の度を強めるのです。次夜をどうぞ。

第265夜 - 嫉妬

王様はザディーグを宰相にしました。ザディーグは詩の片篇を拾ってくれたオウムにお礼を言います。「美しい鳥よ」と語りかけるのでした。「わたしの命を救い、わたしを宰相にしてくれたのはおまえだ。・・・しかし、これほど奇妙な幸福は」と、彼はつけ加えました。「きっといずれ消えうせてしまうのだろう」。「そのとおり」と、オウムは答えました。さあ、これからが大変です。
ザディーグは毎日、その俊敏な天性の才と善良な心を申し分なく発揮しました。が・・・。
ザディーグの不幸は嫉妬に始まりました。彼の不幸は、彼の幸福そのもの、とりわけ彼の人徳に原因があったのです。彼の若さと魅力は知らず知らずのうちに王様の令室アスタルテをとりこにしました。そして王様の欠点は、だれよりも嫉妬深いということにあったのですから、もうたまりません。王様は、妻のスリッパが青く、ザディーグのスリッパも青く、妻のリボンが黄色く、ザディーグの縁なし帽が黄色いことに気づきました。王の処刑を恐れたザディーグはエジプトへ向けて逃亡しました。ザディーグは王妃のいる宮殿を振り返り、こういって嘆くのでした。

「いったい人間の一生とはなんだろう。おお、徳行よ!おまえはわたしにとってどんな役に立ってくれただろう・・・(中略)・・・わたしがしてきたよいことはどれも、いつだってわたしにとって不幸のもとになったし、わたしが権勢を極めたのも、世にも恐ろしい不幸の深淵へ落ちるためでしかなかった。もしわたしが他の多くの人たちと同じように悪人であったら、さだめしいま頃はわたしも彼らと同じように幸福になっているだろうに」
(この引用はヴォルテール『カンディード他五篇』岩波文庫 p.132〜133. その前後は同文庫を参照)

ザディークは一転して流浪の身となり、エジプトへの途上でさらに奴隷にまで落ちるという波瀾万丈の人生が彼を待ちかまえているのでした。が今夜はここでお終い。

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