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前夜からの続き

第266夜から第270夜まで

第266夜 - ザディーグ謎を解く

途中のお話を大分省略して進めていきましょう。このときザディーグは、途中で出会った隠者との二人旅を続けていました。バビロンの町へ入ってザディーグは、戦士に志願するため大司祭が仕掛ける謎の問題に挑戦します。これはこういうものでした。

「この世界のあらゆるものの中で、もっとも長くまたもっとも短く、もっとも迅速でまたもっとも遅く、もっとも細かく分割できながらまたもっとも広大で、もっともないがしろにされながらまたもっとも惜しまれ、それがなければなに一つ行なうことができず、ちっぽけなものをすべて飲み尽くし、偉大なものをすべてよみがえらせるもの、それはなにか」

他の者たちは、それは運だといい、あるいはこの世だと、あるいは光だと言いましたが、ザディークは、それは時間だと次のように答えたのです。

「これほど長いものはありません」「なぜなら、それは永遠の尺度であるからです。これほど短いものはありません。なぜなら、われわれのあらゆる企てにはそれが不足しているからです。待つ者にとってそれほど遅いものはありませんし、楽しむ者にとってそれほど速いものはありません。拡大すれば無限にまで広がり、縮小すれば限りなく分割されます。すべての人がそれをないがしろにし、それを失うとだれもが惜しみます。それがなければなに一つ行なわれず、それは後世に残すに値しないものをすべて忘れさせ、偉大なものを不滅にします」

名解答ではありませんか。ザディーグはさらなる試験にさらされますが、今夜はこれでおしまい。

第267夜 - ザディーグ次のテストへ

次の質問は、このようなものでした。

「感謝もせずに受け取り、わけも知らずに楽しみ、なにをしているかも分からずに他の者たちに与え、失っても気づかないもの、それはなにか」

ザディーグは、それは命だと答えました。こうして次々に発せられる質問に安々と説明していくので、人びとは、これほど思慮分別のある人物はいないとして祝福され、一方前夜で登場しました「ねたみ屋」は激昂と恥辱のあまり死んでしまいました。

(ヴォルテール 『カンディード他五篇』 「ザディーグまたは運命」より)

第268夜 - パングロス博士

さてここで岩波文庫の表題である「カンディード」の由来に触れておかねばならないでしょう。この物語の主人公のカンディードはフランス語の candide という形容詞に由来し意味は「純真な、無邪気な」というのだそうであります。(岩波文庫同書p.493.訳注)
いっぽう「ハテナ」がひたすら同情する人物が登場します。その名はパングロス博士。カンディードのお師匠さんです。その説は最が付くほどの性善説(最性善説)の持ち主であります。ではパングロス博士の言い分の一端をご紹介しましょう。ナンセンス!?

「事態が現にあるよりほかの仕方ではありえないということは、とうの昔に証明ずみである」。「なんとなれば、すべては一つの目的のために作られている以上、必然的に最善の目的のためにあるのだから。よいかな、鼻は眼鏡をかけるために作られている。それゆえ、われわれには眼鏡がある。脚は明らかになにかを穿く目的で作り出された。それゆえ、われわれには半ズボンがある。石は切断され、城を建てるために形成された。・・・(中略)・・・したがって、すべては善であると主張した者たちは愚かなことを言ったものだ。すべては最善の状態にあると言うべきであった」

とこうのたまうのでした。ヴォルテールは何かに託して誰かを批判または風刺していると思えるのですが、浅学の「ハテナ」には特定できません。「ハテナ」に言えるのは精々次の3点くらいです。@目的と手段の混同を皮肉っている。A論理的な詭弁にひっかかってはいけない。パングロス博士すなわちヴォルテールの得意技。ほんとうは性善説を批判しているのではないかと。Bそれにしても性善説ってどこか悲しいね。だって裏切られたとき、性悪説ならさもありなんとさして動揺しないのに対し、性善説に立つと悲しみの極に落ち込んでしまうから。

(ヴォルテール 『カンディード他五篇』のうち「カンディードまたは 最善説 オプティミスム 」より)

第269夜 - ドラッカーの描くケインズとシュムペーター

ドラッカーの名著『マネジマント・フロンティア』のなかに出てきますが、この限りではドラッカーはシュムペーターの方を買っているようです。でも余りにも名文なので、前書きを省いてその箇所のみをズバリ引用しておきましょう。

・・・かくしてケインズとシュムペーターは、西洋の伝統において最も良くしられている二人の哲学者の対決を再現した。それはプラトン描くところの華々しく才気あふれた魅力ある弁論家たるパルメニデスと、鈍重にして醜いが英知あるソクラテスとの対話である。二つの世界大戦の間にあって、ケインズほどに華々しく才気あふれた者はいなかった。これに対してシュムペーターは平凡に見えた。しかしシュムペーターには英知があった。才気は日々を手にする。しかし英知は不朽である。

(ドラッカー 『マネジメント・フロンティア 明日の行動指針』 より)

第270夜 - なぜ公的経営はうまくいかないのか

郵貯を始めとする民営化論議が大はやりですが、何故公的な経営はだめなのか、少し歴史的な推移をドラッカーに学んでみましょう。ドラッカーは、マネジメントについてこれまであまり知られていない事実があるとして、次の点を指摘しています。それはマネジメントの理論や原則をはじめて体系的に適用したのは、民間企業ではなくて公的機関であったというのです。
アメリカではじめてマネジメントを体系的かつ意識的に採り入れたのはアメリカ陸軍であったと指摘しています。そして1908年に始まるシティ・マネージャーの誕生です。シティ・マネージャーとは、選挙で選ばれ政治に責任をもつ市議会が政策を決定し、そのマネジメントは、政治的に中立の専門家、すなわち、シティ・マネジャーに委ねるというものなのです。そのころ企業では上級業務執行者であるマネジャーの肩書はまだ使われていませんでした。代わりにオーナーとヘルパーという言葉が使われていたのでした。それが伝えられたのは病院であり、マネジメントが企業で使われたのはゼネラル・エレトリック(GE)においてでした。
ドラッカーは言います。今日においてもマネジメントは企業以外の世界に多く見られると言います。さらに現代の組織体の中で最もマネジメントの意識が高いのは軍であろうとさえ言っているのです。ドラッカーは続けて次のように述べるのです。

40年前(*この著は1986年に訳書が出ましたので現在からは約60年前となります)、当時の新職業たるマネジメント・コンサルタントたちは、将来の客は、企業だけであると考えた。だが今日典型的なマネジメント・コンサルティング企業の客のうち、半分は企業以外である。つまり政府機関、学校や大学、病院、美術館、専門家団体、ボーイスカウトや赤十字などの地域団体である。そしてビジネス・アドミシストレーションの修士号保持者たち、つまりMBAは、美術館、市、連邦行政管理予算局などにおいて、ますます優先して採用されている。

日本ではどうして公的な機関のマネジメントがうまくできないのでしょうか。考えさせられる問題です。

ドラッカー 同上書より)

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