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前夜からの続き

第291夜から第295夜まで

第291夜 - 前向き?

日本人がよく使う言葉に”前向きで検討します””前向きで対処します”という表現がありますが、この「前向きの姿勢」を英語でどう言うのでしょうか。結論から言えば、"forward looking posture"なんだそうであります。実はこれ直訳なんですね。何ら具体的なことを示してもいないにもかかわらず、それが通用するようになった事情を鳥飼さんは次のように述べられているのです。

〔この表現は〕けっして英語らしい自然な表現ではないのだが、皮肉なことに、これがいつのまにか外国人の間で定着するようになり、いまや、会議でこの英語表現が聞かれることは珍しいことではなくなったのである。うっかり英語らしい英語にして誤解を生むよりは、と苦肉の策で直訳したのが、かえって効果的だったのであろう。

(鳥飼玖美子 『歴史をかえた誤訳』より)

第292夜 - アポロ11号よりの第一声

人類初の月着陸を果たしたときのアームストロング船長の第一声は、次の言葉です。

”This is one small step for man, but a giant leap for mankind."
(これは一人の人間にとっては小さな一歩ですが、人類にとっては大きな飛躍です)

この名句も鳥飼先生に掛かっては、厳しいお達しとなります。"man"の前に"a"がないからです。"a"がない"man"は「人類」という意味になり、"mankind"と同じだというのです。英語圏にある人でも興奮してしまったのか、こういうセリフを言ってしまうものなのか、と。しかし、聞いているアメリカはもちろん全世界に通じたとなるとそんなに厳しく言わないでよ、通じればいいじゃん!と「ハテナ」共はつい思いがちになるのですが。

(鳥飼玖美子 同上書より)

第293夜 - ケーキの分け方

お誕生会に5人の友人が出席しました。Happy Birthdayと書かれたみんな大好きなケーキを仲間の一人が切ることにしました。ただ切る人は自分の分け前を最後に貰うという、ごく当たり前の役割でした。さて、ケーキは5人にどのようにして切り配られるのが一番良い方法でしょか。回答を先に言ってしまえば、ケーキは均等に切られる、ということです。誰もケーキは大好きでしたので、本心では皆、人より大きいところを食べたいと思っています。最後にケーキを食べる人はもし大きさを違えて切ってしまえば、自分よりも前に必ず誰かがその大きいところを食べてしまい、自分には一番小さな部分しか残らない。そこでナイフでケーキを切る人は、自分が最大限食べられるためには、ケーキを均等に切るしか方法がないのです。均等に切った部分が彼(最後の)にとっては、一番大きい部分となるからです。
この事例は、平等と競争を考える上手い例題だと思われます。自由に競争させると、皆が争って一番大きい方を奪い合うことでしょう。しかし、平等の立場からはこの行為は否認され、最後のケーキまで均等に切られるような原理が働くのです。その最後のケーキを切る人は何もことさら意識してあるいは計算して切るわけではありません。こうして社会での平等という観念のなかには知らぬうちに正義という原理が存在しているのです。

第294夜 - 無知のヴェール

前夜のケーキのお話しを、原理的に説いたのがロールズの『正議論』での「無知のヴェール」という言説であります。ロールズはこんな風に言っています。
誰も社会のうちで自分がどの位置にあるかを知らない。彼の階級も、彼の社会的身分も、また彼が、生来の資産と能力、知能、体力といったものの配剤にあずかる運を持ったかも知らない。さらに仮定するなら、彼は自分がいだいている善の観念がなんであるかを知らず、自分に固有な心理的傾向がなんであるかも知らない。正義の原理はこの無知のヴェールの陰で選択される。これが保証しているのは、諸原理の選択において、自然の運の結果や社会的環境の偶然の結果によって、誰も有利になったり不利になったりすることはない、ということである。すべての人が同じ状況のうちにあり、誰も自分の固有な状況に都合よく諸原理を立てることができないのだから、正義の諸原理は公正な合意と交渉の結果であるのだ。
ホント〜?だって世の中には不平等だらけではないか、と憤慨する方もいるでしょう。しかし、人間の生来的な本質を「無知のヴェール」に置き、そこから平等、正義の根本原理に迫ろうとするロールズの姿勢には、たとえ世の中がどうなっていても、その原理に少なくとも共感するものがあると「ハテナ」は思っています。

(参考 土屋恵一郎 『正義論/自由論』寛容の時代へ 岩波現代文庫より)

第295夜 - 銀のスプーン

高貴な身分に生まれた者を「銀のスプーン」を咥えて生まれてきた、と言います。また、赤ちゃんの誕生日に銀のスプーンを握らせると幸せになるという言い伝えもあり、いろいろに装飾した銀のスプーンが販売もされます。
ロールズは、たとえ銀のスプーンを口に咥えて生まれてきた者であっても、その自らの幸運の結果である有利さを、不利の条件のうちに生きている者に配分すべきだと説きます。ロールズの考えには、元来生まれながらの資質というものを否定します。天才も否定します。もし天才が存するとしても、多くはその人間が生まれた環境、幸運に由来するのだとし、その才能は社会の「共通資本」なのだから、才能がないゆえに不利な立場にいる者のために配分されなければならない、と説くのです。もともと人間には生まれつきの能力の差なんてない、あったとしても極くわずかに過ぎないもの。それが能力の差を生むのは、取り巻く環境や、分業によって無理やり差をつけられてしまうのだ、だからこそ、機会の平等や教育、平等な自由の権利を受けられるようにすべきなのでしょうね。

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