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前夜からの続き

第296夜から第300夜まで

第296夜 - アファーマティヴ・アクション

日本語訳として適切なものはないのですが、「差別撤廃のための法による積極的行動」という運動があります。日本では「男女雇用機会均等法」などです。これは差別を受けてきた人種や女性、身体障害者といったマイノリティに対して割当枠をもうけて優先的に就職や就業させる法による政策です。教育への機会の公正化などアメリカでは最も多く議論されているものです。
ところがこんな困った例がアメリカで起きたそうです*。東洋人がカリフォルニアの有名なハイスクールに入ろうとしたが、東洋人への「アファーマティヴ・アクション」による割当の枠がいっぱいになってしまったので、成績が良くても入ることが出来なくなってしまったケースです。これでは本来人種差別の撤廃を促進しようとしているのに矛盾を生じてしまう、東洋人への割当枠がなければ、その成績の良かった子は入れたのに、という矛盾が生じてしまいます。このような逆差別問題は実際にアメリカで問題になったそうであります。今度は逆に、大学入学試験で、黒人やカラード・ピープルに対して有利な条件が設定されている場合、白人の受験生が、この黒人と同じ点数をとったにもかかわらず、白人が入学を許されず、黒人が、その有利な条件ゆえに低いハードルで入学した、これは憲法違反ではないかと落っこちた白人が訴えを起こし、その白人の主張が通ったのでした。
現実のアメリカで人種差別撤廃のために「アファーマティヴ・アクション」が有効であることは認められていますが、こういった事例には頭を抱えてしまうのです。その中、日本でも推薦入学や社会人枠なんていう方法が議論になって来るかもしれません(ダイジョウブ々々・・・日本では少子化により入試学生全員入学となりましょうから。アレトコレトハ話が違う?)。
* この事例にまつわる議論は、土屋恵一郎氏の『正義論/自由論』から多くを引用させて  いただきましたが、日本の事情について触れられてはおりませんので、最後の項は「ハテナ」的思考です。

(参考 土屋恵一郎 同上書)

第297夜 - 自然は飛躍せず

経済学の分野には数多くの格言、警句、諫言、箴言、銘句、標語、ユーモアに満ちた寸言が見られます。この言葉もマーシャルの余りにも有名な言葉です。これには二つの側面から解釈できます。一つは、生物的な進化に見られるように連続的過程から発想されたもので、その連続性を重視したものです。もう一つの考えは、数学での微分法から来ています。部分には連続関数と極限の発想があるからです。マーシャルはひどく連続性という観念を強調しています。その場合のモデルとなるのでは数学言語と生物学言語の二つでありました。そしてその連続性が経済生活にも作用するとして、「自然は飛躍せず」というセリフが生まれたのでありました。

第298夜 - ワレ、発見セリ

アルキメデスが流体静力学の基本原理を発見したときのように、経済学の世界でも似たようなことが起こりました。時は1769年夏、ジェレミー・ベンサムは「最大多数の最大幸福」という言葉を発見したとき、彼はこみあげてくる精神のエクスタシーのうちで、ワレ、 発見ユーレイカ セリと叫んだのでした。ベンサム(1748-1832)が文明社会にひろめた「最大多数の最大幸福」というキャッチフレーズは、先陣があり、それは「いかなる国家であれその構成員の多数者の利益と幸福 good and happiness が国家にかかわる全ての事柄が決定される際の基準となる」というものでこれを巧みに宣伝普及させたのは抜け目のないベンサムならではの感がします。以来このフレーズは、功利主義と言う言葉ととも今日まで広く使われて有名です。

(参考:土屋恵一郎 『ベンサムという男』より)

第299夜 - パノプチコン

ベンサムという男は随分変わった言動の人でした。最大多数の最大幸福というフレーズの他に、「パノプチコン」(Panopticon:一望監視装置)という監獄を設計した人物としても有名です。40歳の頃でした。この変人?は、ガラス屋根でできた放射線状に配置された囚人棟を設計したのでした。監視する側からは全ての囚人が見渡せますが、しかし囚人からは自分が監視されているのかどうか分からないような構造になっています。
この構想は現代に引き継がれてあの有名なフーコーの『監獄の誕生』を生みました。多くの人間を監視する近代のシステムは何も監獄だけでなく、工場、病院、学校などにも取り入れられているのです。さらには、今日の IT 時代では、常に個人情報の漏洩、プライバシーの侵害、盗聴、監視システム装置等々、看守も監視塔も見えない一種のパノプティコンの中に閉じこめられているかもしれないのです。その点では変人ベンサムは時代の先を見通していた凄い人ということができましょう。

(参考:土屋恵一郎 同上書より)

第300夜 - 部分均衡と一般均衡

アダム・スミスの唱えた自然価格という考えは、部分均衡に立つものでありました。売り手と買い手との間の競争の結果、市場価格が自然価格に引き寄せられるというもので、自然価格は一見均衡価格に似てはいますが、あくまでそれは一つの商品での「部分均衡」の領域に止まりました。これをすべての市場で同時に均衡が成立する可能性を証明したのがレオン・ワルラス(1834-1910)でした。ワルラスの出現以来「一般均衡」論として経済学は画期的に発展していくことになるのです。ワルラスの業績は、すべての市場で同時に均衡が成立する可能性を証明したことにあります。たとえばワルラスはオークション(競売)の考え方を取ります。あらゆる商品の価格が「競売人」(auctioner)によってセリに掛けられるようにすべての売りと買いの希望価格を比較して、すべての市場がマッチするかどうかを見、適合しなければ、すべての売りと買いをマッチさせそうな別の価格を宣言するのです。一般均衡というと、あたかも自然に価格が整合的に決まる静学体系のように思われるでしょうが、そこには均衡解を巡って激しいせめぎあいが見られ、適合点に収斂する連続的な模索の過程が行われるのです。ワルラシアンはこれを「タトヌマン」模索と呼んでいます。

(参考:ロバート・ハイルブローナー『私は、経済学をどう読んできたか』より)

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