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前夜からの続き

第301夜から第305夜まで

第301夜 - 労働市場が築地の魚市場と違うわけ

よく社会科学でお目にかかる「暗黙」の契約という言葉があります。例えば労働経済学などに用いられて、「暗黙の契約理論」などと言われます。これは雇用が完全に流動的な労働市場で需要されるのではなく、雇主は被雇用者が途中で辞めたりしないようにまた将来性を見込んで採用しようとします。一方被雇用者は、雇主に長期の安定した雇用を保証してくれることを期待して、たとえ仮に多少賃金が安くても雇用契約を結ぼうと欲します。両者の間で暗黙の、つまりいちいち雇用契約書に書かれていなくとも、了解のもとに雇用関係が結ばれます。もし完全な労働市場で労働力を調達するのであれば日雇い労働市場での相場が賃金水準となってしまいましょう。労働は、新鮮なフルーツが市場で売買されるようにはいかないのです。ここに雇主と労働者の暗黙の合意がある、という理論が展開されます。
さて、この暗黙という次元での考えはいったい誰が言い出したのでしょうか?次夜で説明しましょう。

第302夜 - 暗黙知とは?

暗黙の契約を原理として捉えるとき、それは単に言葉の問題ではなく、それどころか言葉をも越える、思考の結果として深い意味をもっています。では「暗黙知」とは一体どういう世界でしょうか。
人間の知識(=人知)というものは、わたくしたちが語り合い表現するところのもの以上の多くのことを知り得ることができます。けれども、教師がどんなに知識を伝えようとしても、それを受け入れる生徒の知的努力がなければ教師の期待ははずれてしまいます。このギャップは知的努力によって埋められるほかはありません。マイケル・ポラニーは『暗黙の次元』において次のように述べているのは大変示唆深いものがあります。
「言葉を用いたとしても、我々には語ることのできないなにものかがあとにのこされてしまう。それが相手に受けとられるか否かは、言葉によっては伝えることができずにのこされてしまうものを相手が発見するか否かにかかっているのである。」
音痴である「ハテナ」には、確かに超一流の演奏家がいくら名演してもそれを聴く耳を持っていないから猫に小判です。立派な教師が教えることを理解できなければ同様に馬の耳に念仏でしょう。だから逆説的に言って「ハテナ」などは、われわれは「教わる能力」があるからこそ教師のお説が生きてくるのだ、と威張って?います。こうしてポラニーは次のように結論づけるのです。
「人間が知識を発見し、また発見した知識を真実であると認めるのは、この能動的形式、あるいは統合こそが、知識の成立にとって欠くことのできぬ偉大な暗黙の力である」。

(参考:マイケル・ポラニー 『暗黙の次元 言葉から非言語へ』)

第303夜 - 暗黙から信頼へ

市場が機能すれば全てうまくいく、という予定調和的な古典派経済学はエレガントのようで実はそうではありません。むしろ逆かもしれません。佐伯啓思氏が述べるように、古典学派の価格の伸縮性の前提は、却って市場を不均衡にするという、パラドックスに陥ることになります。「すなわち、経済的均衡は常に社会的安定を意味しているとは限らない。むしろある意味では市場の不均衡が社会的安定の条件ともなりうるという事態がある。なぜなら社会的安定の核にあるのは、事実としての公正概念であり、暗黙に共有されたある種の相互性への信頼だからである」。
「ハテナ」が考えるに、市場経済は、貨幣や労働や自然といういわば市場外の要因によって支えられているシステムなのです。市場外にあって市場メカニズムを支えている理念が存しています。市場経済に理念が外から内に内生化されるとき、市場は正常に機能するものだと考えています。その理念とはすべての経済相互間に存する「信頼」であると思われます。

(参考:佐伯啓思 『隠された思考』−市場経済のメタフィジックスー)

第304夜 - この解答で不可?

ある新書版の本を読んでいましたら、こんなお話しが出ていました。経営意思決定の授業でのお話しです。経済学では「授かり効果」というんだそうであります。たとえばあなたの会社がリストラであなたの年収が100万円の減収になってしまいました。また、会社の業績が悪化したためにこれまで約束されていた100万円の昇給が取り消しになったとします。同じ100万円でも、当てにしていた昇給が取り消しになった場合と、100万円の減収になった場合とを比較しますと、あなたの落胆振りは、減収になった場合の方が大きいと考えるでしょう。すでに得ているものの100万円をなくす場合の方が、当てにした100万円が得られなくなる場合よりも落胆度は大きい筈だと考えますね。ところがその授業を受けた経営学の学生にとっては、そう答えては落第なんです。二つの価値は同じであると答えないと単位がもらえない、というのだそうです。そんな馬鹿な!何だかおかしいとお思いになりませんか?「ハテナ」にも判りかねます。

(参考:山岸俊男 『安心社会から信頼社会へ』 p.153-p.154より)

第305夜 - コーヒーと経済学

わたくしたちボランティアの仲間にはコーヒー愛飲家が沢山いてなかには出勤時の朝、暖かく美味しいコーヒーを焙煎して振る舞ってくれます。このコーヒーと経済学物語とは大いに関係があります。イギリスは17世紀中頃から商人たちが富を貯えだしました。そして取引所近くのコーヒー・ハウスに集まっていろいろと商売の話をしていました。そのなかで17世紀末につくられたジョナサン・コーヒー・ハウスにはあまり芳しからぬエピソードが残っています。それはこのハウスが反乱の温床として利用されたからでした。しかし一方では、この店が株取引の中心として、折からの投機熱の高まる「泡沫時代」に浮かれた人々の集まった場所ともなりました。特に1771年に設立された南海会社を契機としてバブル(いわゆる南海泡沫事件)が起こったときはこのジョナサンにはすさまじい数の人間で溢れかえっていた、と伝えられています。
良い事例もあります。それはロイズ・コーヒー・ハウスでした。あの世界的な保険会社のロイズは、この小さなコーヒー・ハウスから始まったと言われています。1688年頃に作られたこのタワー ストリート のコーヒー・ハウスの経営者としてエドワード・ロイドの名前があがっていますが、これが今日のロイズの元をつくった人物なのでした。

(参考: 小林章夫 『ロンドンのコーヒー・ハウス』 18世紀イギリスの生活史より)

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