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前夜からの続き

第306夜から第310夜まで

第306夜 - コーヒーの起源

ついでに同上書によって、コーヒーなるものの誕生を調べましょう。小林氏は、あの有名なイギリスの哲学者フランシス・ベイコンの書物の中にコーヒーなるものの記述を見つけ出していますので、そのまま引用させていただきます。

トルコではコファ(coffa)というものを飲んでいる。これはやはり同名の豆を材料にして作ったもので、すすのように黒い色をし、強い香りがするのだが、あまりよい香りとはいえない。この豆を粉にし、水に入れて煮沸して飲むのだが、コファ・ハウス(coffa-house)という、わが国でいえばタヴァン(酒場)のような場所で人々は飲んでいる。この飲みものは頭と心を休め、消化を助けるのである。

このコファの語源は、アラビア語のカーファ(qahuah)という酒の名からとられたものとか、エチオピアの地名のカッファ(Kaffa)から来たとかいう説もあっていろいろですし、ベーコンのいうようにコーヒーが薬用になる、その反対に倦怠感や麻痺を伴うという有害説までまさに諸説紛々としていますが、いちいちの紹介は割愛しまして、日本へやって来たコーヒー事始めだけを一部引用しておきましょう。初めて日本へコーヒーが紹介されたのは、やはり長崎の出島からでした。ただ江戸時代では、カウヒン、カウヒイ、カウヘイなどと呼ばれ漢字では古闘比伊、可否、歌兮などと書かれていました。コーヒー店ができたのは明治19年、日本橋に洗愁亭という名でした。また、その2年後には下谷黒門町に可否茶館が開かれたそうです。ちょっと粋な名前ですね。

(参照: 小林章夫 同上書より)

第307夜 - 良貨が悪貨を駆逐する?

ふつうはグレシャムの法則として有名な「悪貨が良貨を駆逐する」と言われています。国王などが財政難のために鋳造される通貨や金や銀の含有率を低くして、発行する鋳貨の量を増やして財政難を免れようとします。このために純度の低い鋳貨(=悪貨)がまかり通って純度の高い鋳貨(=良貨)は影をひそめてしまう、と解釈されていますね。ところが皮肉屋の「ハテナ」は待てよ、これは逆ではないか、と思ってしまうのです。何故なら純度の高い鋳貨と純度の低い鋳貨とが市場に出回っていると、これら二つの鋳貨を持つ人は純度の低い鋳貨の方を先に使い、純度の高い鋳貨はできるだけ手許に置いておこうとするのが自然ではないか。とすれば手許にある純度の高い鋳貨は市場に出回らず、純度の低い鋳貨のほうが活発に出回ることになるでしょう。良貨を手許に置く結果、むしろ「良貨が悪貨をはびこらす」のではないかと、かように考えてしまいます。こんなことを言ったらヒンシュクを買うことになりはしないか、とビクビクしながらもやはりグレシャムの法則にこだわるのであります。

第308夜 - 良貨が悪貨を駆逐する例

前夜と事情や事由がことなりますが、「「良貨」たる官銭が「悪貨」たる私鋳銭を駆逐していた」という叙述に出会いました。これは11世紀から18世紀の中国で行われた事例です。鋳造権を持つものは額面以下の素材価値の通貨を発行して差益を得るもの、という常識、つまりグレシャムの法則に逆らうような現象が生じたのは何故か、と著者の黒田氏は問いかけています。その訳は、「銅貨の私鋳は、金銀貨の場合と比べて経費がかかるわりに利益を生まない。銅貨が不足しているならばそれでも利益をみこめるが、大量の良貨の供給はその条件を奪ってしまうからである。」と述べられています。

(参照:黒田明伸 『貨幣システムの世界史』<非対称性>を読む p.59-60)

第309夜 - キャッシュ(cash)の語源

前夜での黒田氏の『貨幣システムの世界史』はなかなか意表を突いていて面白い貨幣史です。その中に、ジャワの通貨(万暦通宝)として流通していた小銭がカイシイと名づけられそれらは1590年から中国のチェンに取って代わったことが紹介されています。このチェンは「銭」の発音にほかなりません。一方のカイシイ caixa が cash の語源となった、と述べられています。今日キャッシュ、キャッシュと親しく呼ばれている現金が実はジャワにその源を持っており、また caixa そのものはヒンドウ語に由来することが判って実に興味深く読むことができました。

(参照:黒田明伸 同上書 p.119-120)

第310夜 - インフレが良いかデフレが良いか?

かつて「ケインズ革命」といわれ、経済学者は誰でもケインジアンであるとまで一世を風靡したJ.M..ケインズでしたが、今日ケインズのケの字も見られないのは一体どうしてなのでしょう。不況に強いケインズ政策が今日まで長く続くわが国の不況に対して政策の処方箋はおろか全くといってもいいほど顧みられない最大の理由は、ケインズ流の大規模な公共事業支出による景気浮揚策が、財政赤字の巨大化の今日適用されえない、それどころか政策当局も与党・野党を問わず小さな政府を標榜しているからでしょう。また主流派経済学もケインズに反して市場中心主義の思想をとり政府の介入を極力避ける流れとなっています。
しかし、ケインズの思想はそう簡単に捨てられたものではないと「ハテナ」は思っています。ディラードの次の解説は、含蓄あるケインズの哲学を今に残していると思われます。

ケインズはインフレーションにもデフレーションにも反対したけれども、「貧困化した世界では、金利生活者を失望させることより失業を惹き起こすことの方が一層悪いことである」から、適当なインフレーションは比較的害が少ないものとみなしている。過去においては常に物価は長期的上昇(インフレーション)に向かう趨勢にあった。そしてこのことは良い結果となった。なんとなれば「貨幣の減価は新人を助け彼等を死の手から解放した。古い富の犠牲において新しい富に利益を与えた。蓄積資本に対して新企業を武装させた。・・・それは昔獲得した富の固定した分配を弛緩させる影響を与えるものであった。・・・この手段によって各時代はその先祖の相続人の財産権を一部剥奪することができたのである。」 ところが、デフレーションは「過去の死の手」をして富を生産する企業家を阻害せしめる。ケインズはいう、もしイギリスがデフレーション政策を引きつづいて抱懐していくならば、金利利得者階級の手中に入る国民所得の割合はますます大きくなってゆくだろう。生産階級の肩にかかってくる負担は耐え難いものとなるであろう。そしてその結果は社会全体の福利にとっては有害なものとなるであろう。

(参考:D.ディラード『J.M.ケインズの経済学』より)

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