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前夜からの続き

第311夜から第315夜まで

第311夜 - 文明から野蛮へ

通常の歴史は経済史であれ、社会史・政治史であれ、野蛮な、或いは粗野な時代から、洗練された文明社会への進歩を語っています。しかし他方で高度に文明化すると却って野蛮な時代へ逆戻りするかもしれません。18世紀終わりから19世紀初めにかけて活躍したイギリスの詩人バイロン(George Gordon Byron: 1788-1824)の次の詩はそのことを次のように述べています。

  それは過去の同じ復習。
  最初に自由、つぎに栄光、それが挫折すると、
  富、悪徳、腐敗、最後に野蛮

商業が栄え市場が大きくなり過ぎると、自由な市場が独占によって侵されると強く憂れいたのは、他ならぬ「見えざる手」で知られる調和論者のアダム・スミスその人でありました。

第312夜 - 箴言で綴る金融政策の難しさ

1982年に連邦準備制度議長に就任したアラン・グリーンスパンは18年の長きに亙って金融政策の舵取りを行ってきました。5期も務めた例は米国史上前例がありません。ニューエコノミーとも称される現代のアメリカ経済金融情勢の激変するなかで彼の評価は高く買われていますが、同時に金融政策の舵取りがいかに難しいかをも示しています。わが国の日銀総裁の舵取りの失敗は、古くは昭和44年に就任した佐々木直氏の金融緩和策や、「平成の鬼平」と言われた三重野康総裁のバブル退治のための金融引締めとその結果長引く不況の始まりを導いた責任者とも言われています。
このように中央銀行として重大な責務を担う金融政策の舵取りは、果たしてどれが正しいのかどうか、どの局面で適切な対応をすべきかどうか、は非常に難しく一概に決められず矛盾した理論や政策がしばしば見受けられるのであります。そこで金融政策について以前から皮肉に満ちた多くの警句や 箴言 しんげん が見られます。これらの一部を紹介しましょう。

・金融政策は紐であって引っ張ること(金融引締め)はできるが、押すこと(景気刺激)はできない
・金融政策は俊敏であるべきにもかかわらず、いつも小出しで遅すぎる: too little, too late
・金融システムを危険に曝すから大きな銀行は潰せない: too big to fail
・セーフティ・ネットがあるがために銀行の大胆な行動を起こし金融システムを危険に陥れる: モラル・ハザード
・経済学者は一方では(on one hand)、他方では(on the other hand)といって言を左右にして煮え切らない: 片腕の経済学者(one-armed economist)はいないものか

かなり皮肉の効いた箴言ですが、要はいずれも金融政策の信憑性や説明責任、透明性などに納得できない人たちの不満のあらわれなのでしょうね。

(参照: 箴言の数々は、武田茂夫『信用と信頼の経済学』より引用しました)

第313夜 - 『小僧の神様』の経済学

志賀直哉の名作『小僧の神様』を見事に経済学的に解明したのが中沢新一氏です。彼は「交換」と「贈与」と「純粋贈与」という三つのキイー概念を使って分析します。
秤屋に奉公する小僧の仙吉は、ずっと思いこがれていた屋台のすし屋へ思い切って入っていきます。ふところには4銭しかありませんでした。のり巻きがなかったので鮪(まぐろ)をつまんだが、六銭だよと云われて小僧は黙って手にしたすしを、台の上に戻して店を出ていきました。
この模様をじっと見ていた紳士がいました。若い貴族院議員Aです(この小説は1920年の作品です)。なんとかこの子に腹一杯すしを食べさせてやりたい、と思いました。ある日のことAは秤を買おうとして秤屋でその小僧を見つけます。彼は買った秤を運送屋にあずけ、仙吉を知り合いのすし屋に連れて行き、お金をたっぷり渡してあの小僧さんに好きなだけ食べさせてやってくれと頼んで、自らは去っていきます。あとに残された仙吉は、心ゆくまですしを頂きました。
さて、このあらましから中沢氏の持論が始まります。まずA氏から。Aはせっかく同情して行ったことに寂しい気になったしまうのです。何故か?それは自分のしたことが善意だという変な意識があって、ほんとうは心からそうしたのではない、と裏切られあざけられた感じに囚われてしまうのです。一方小僧の方はどうか?あの客はいったい誰なんだろう、と。到底それは人間わざではない、神様かもしれない、と考えるのでした。題名の『小僧の神様』はここに由来していると思われます。

ここでこのことを中沢氏は経済学的に解明していきます。まず市場で言う「交換」の働きは全くありません。それぞれ価格のついた商品が市場で交換されることは貨幣でもってその商品が一応価値どおりで売り買いされると考えられそれらの商品の所有者は誰かを問わず非人格的に交換されます。「ハテナ」はこれを貨幣の「物神性」と名づけたいのですが・・・。
他方、Aの行為は「贈与」と考えられます。しかし、この小説からして何故「贈与」が後ろめたい気にさせるのか?Aは仙吉にご馳走することでなんの見返りもない「贈与」という行為を行ったのが、却ってAを苦しめることになるのでした。Aの心の中ではそれはおまえは他人から賞讃されたくてそうしたのではないか、等々。とするとこの「贈与」を越える何かが求められねばなりません。小僧にとって「神様」の行為であったように。そこで中沢氏は「贈与」を越える「純粋贈与」という概念を持ち出し、「贈与」では物質性をもったモノを受け取るが、「純粋贈与」はモノそのものを否定し最後まで隠れて人間に何かを贈りつづけるものだ、そしてそれは確かに人間の世界に存在すると説くのです。なるほど「贈与」の世界は実際にはお返しが存在しますね。たとえば「香典返し」のように。このようなモノを超えた「純粋贈与」があってそれが次第に増殖し続けるのだとすれば、これは経済学では解けない本質です。がしかし、解けないからといってその存在を否定あるいは無視することもできますまい。むしろ人間の行為やそれによって動く社会の営みの根底にはそういう純粋贈与的な理念があって社会や経済を目に見えないところで動かしているのではないか、そんな風に「ハテナ」は考えるのです。

(参考:中沢新一『愛と経済のロゴス』)

第314夜 - ワシントン・コンセンサス

アジア経済危機の前後からしきりにこの言葉が流行りました。これはアメリカの財務省やIMFや世銀といったワシントンにある組織に集まるエリート達が合意することで思いのままに世界を操っているという批判でした。アジア経済危機の際の傲慢な姿勢や、どのような誤りを犯したかが非難されることになったのです。例えば1997年のタイ・バーツの暴落とその原因、或いはインドネシア・マレーシア・韓国へのIMFの介入などを巡ってアジア型開発経済にヨーロッパ型の介入やグローバル化の名のもとに進められるやり方への激しい批判が起こったのでした。マレーシアのマハティール首相は名指しでジョージ・ソロスを非難したのは今なお記憶に新しいところです。けれども特定の犯人探しでなく、ワシントンのエリートたちが合意で決める方式のあり方そのものが問われることになりました。アメリカ国内でも、ノーベル賞のスティグリッツ教授(Joseph E.Stiglitz)は自身世界銀行の上級副総裁を務めた経験からこれらの行動を批判しています。
ここで「ハテナ」が考え込んでしまうのは、政策決定のあり方なのであります。例えば中央銀行の金融政策の決定は決して国民の合意を得たものではありません。貨幣はもっとも私的なものでありながら公的には独占的にその量やそれに掛かる金利(公定歩合)を決定します。なるほど表向きには中央銀行の公的使命を果たしているといえましょうし、国民の信認を得ているともいえるでしょう。しかし実際に決定し実行するのはエリートたちです。とすれば貨幣の決定権を彼らに譲り渡していることになります。わたしたちが精々できることは競争のなかから生まれた金融サービスのどれを選択するかくらいでしょう。とするならばワシントン・コンセンサスのように強いエリート集団の独占的な政策に振り回されたあのアジア危機の二の舞を味わされることにもなりかねないと危惧するのであります。

第315夜 - 人間の社会と市場経済

I.イリイチという学者は、『シャドウ・ワーク』を著したことで有名です。イリイチは「生き生きとした共生を求め」ることを強く主張しました。”コンヴィヴィアリティ”といい、産業的な生産性とは正反対な意味を持つ言葉です。お互いに自律的な生を分け合いながら拡充していくという生き生きとした表現として用いられています。少し氏の言葉を引用してみましょう。

・・・人間の経済というものは、原則として人間同士の社会関係、すなわち地域のコミュニティのなかに埋まっているものだというのがそれである。ところがいわゆる近代化とともに経済が市場経済として社会から「離床(disembed)」−例のW.W.ロスロウの”離陸”などと混同してはならないーして、遂に経済システムのなかに人間社会が埋没するというような状態が現出するにいたった。・・・それゆえ、「市場経済を社会のなかへふたたび埋めこむ(reembed)」という作業こそが、現代の最大の歴史的課題であるとされる。

わたくしたちは好むと好まざるとを問わず、市場経済のなかにたっぷりと浸っています。なんでも市場が決める、市場に聞け、といういわゆる市場至上主義に対するイリイチの批判がそこに見出されるのであります。

(参考: I.イリイチ 『シャドウ・ワーク』ー生活のあり方を問うー より)

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