前夜からの続き

第336夜から第340夜まで

第336夜 - 市場、国家、共同体

わたくし達が関わっている社会なり制度は、大きく市場、国家、共同体の三つに属しており、それぞれの制度の強弱によってその影響を受けています。またこれらを支える理念や思想もかなり明確にとらえることができます。
第一の市場を強調する理念は、市場経済がグローバルに展開すると、国家の権力も社会共同体間の信頼も弱体化して、市場こそ万能であり市場システムの自立性を何よりも重要視する考え方であります。これをリバータリアニズム(Libertarianism 自由至上主義)と言います。この考えを究極にまで推し進めれば何とアナーキな資本主義(無政府資本主義)にまでゆきついてしまいます。
第二には国家の役割を強調する理念です。市場経済では個人の利益が尊重され優先されます。これではむしろ社会の不安やリスクが大きすぎるので、これらを排除する国家の権力が必要である、という考えです。規制緩和などの自由市場を生み出すのも実は強い国家が必要なのです。市場の効率性を図るためには市場自身ではなく実は政府の強力な権力を必要とするというある種のパラドックスが存するわけです。レーガノミックスやサッチャリズムが行ったのは実は「国家」と「市場」の結合でありました。このような理念はしばしばネオコンサーバチズム(Neoconservatism 新保守主義)といわれます。
第三は、逆に市場のグローバル化が今や「国家の退場」をうながし、市場のもつ不確実性やリスクを、地域社会や多様なセーフティネットによって緩和しようとする考え方であります。「市場」と「社会共同体」の結合を目指すものといえましょう。「第三の道」などがその典型例です。これをコミュニタリアニズム(Communitarianism リベラルな共同体主義)と呼んでいます。

以上に大きく分けましたそれぞれの考え方や理念は、どれも絶対的に信奉されるものではないでしょう。時代によりそれぞれ長短の特徴を備えた相対的な考えである、と考えられます。けれどもこの三つの考え方の基底には、それらを主張する論者が潜在的な価値や倫理、信頼をどう見ているか、を見据えていかなければならないと思われます。

(佐伯啓思『倫理としてのナショナリズム』を参考にしました。)

第337夜 - 進化→進化・・・・・・進化?

エイズウィルスがはじめて発見されたのは1980年代はじめのことでした。そしてその年代の末にはもう世界的に蔓延していることが判ったのです。これまでの悲惨な歴史は、1300年代にヨーロッパで猛威を振るった黒死病があります。しかしこの腺ペストに感染した患者は数日で死んでいったのに対し、エイズウィルスは感染から発症まで10年とか15年もかかるのです。なぜでしょうか。これはエイズウィルスが猛烈な進化の適用機能を持っているからだといわれます。生物の細胞に進入したウィルスは、自分の遺伝物質を用いて寄主のタンパク質生産工場を乗っ取って自分のコピーを大量に作ってそのうえでなお新たな寄主を探すのです。たった1個のウィルスが人間の体に感染して1個の白血球に侵入すると、わずか24時間で何十億個にも増殖します。
一方、人間の免疫システムは、感染した白血球を認識し、それを壊すことでウィルスの排除に取りかかります。しかしエイズウィルスは自ら進化して免疫システムから逃れてしまいます。人間の免疫システムがこの新しい系統のウィルスを探知するのには時間がかかるので、やっと探知できた頃にはまたもや免疫システムをすり抜ける別の系統が新たに発生する・・・・・・。この攻防は際限なく続くのです。抗エイズウィルス剤が開発されてもその影響を受けない系統に進化してしまう。そのウィルス毎に新しい薬を何種類も投与、それも一度に投与しなければなりません。それでも新しい薬に耐性を持つ突然変異体が生ずるかもしれません。そして人間の英知は、この進化を止めさせることができるか、或いはこのウィルスの感染から免れる遺伝子を発見し防御できるか、が試されようとしています。

(参考:カール・ジンマー『「進化大全」ダーウィン思想:史上最大の科学革命』より)

第338夜 -明治初期の啓蒙思想家ー加藤弘之の場合

明治維新後日本のあるべき姿を確立しようとして、国体論が盛んになりました。そのなかで王権という国のかたちを問う議論がありました。この議論は、日本に限らず世界のいたるところにあり、また歴史的にもギリシアの神政政治(テオクラシー)、すなわち、古代の祭政一致に見られますが、文明が進むにつれ、神の概念は次第に希薄になってあるいは分離されていきます。日本では著名な学者の本居宣長、平田篤胤らは神を尊び神国日本が受け継がれていき日本の国体論が定着した感がありました。このとき、加藤弘之という人は、この時代(明治初期)に敢然と国体批判を行いました。諸国家の例を挙げ、例えばプロシアのフリードリヒ2世が、「自分は国家第一等の高官たるにすぎない」と、君主国であっても啓蒙された君主はこのように言うのでした。ルイ14世の「朕は天神の現出せる者なり」と言うのとは全く逆の考えを持つようになりました。加藤弘之も、「人民おのおのの自由の精神を備えてこそ、・・・国家の安寧を得、国力も盛強をいたす・・・」と敢えて述べたのです。今日では当たり前のことのようですが、この時代(明治初期)にあってこのような発言をすることには大変な勇気が要ることでした。ところが自著の『国体新論』や『真政大意』を自ら絶版にしてしまったのです。何故でしょうか?立花隆氏は大変興味ある分析をされています。結論からすれば、やはり右翼や軍部などの国体論を前にして自著を絶版にせざるを得なかった当時のファナティクな潮流が強かったからだ、とされています(立花氏は『天皇と東大』第3章で「初代学長・加藤弘之の変節」と題しています)。
加藤弘之は文部大臣、外務大丞を歴任し、天皇の侍読をつとめるほか、東京大学総理、帝国大学総長をもつとめた人でした。

(この項は、立花隆氏の次の大著を読んで引用させていただきました。立花隆『天皇と東大』大日本帝国の生と死 上 文芸春秋 p.83-85. p.105. 等々)

第339夜 - イギリスには憲法がない!?

えっ!ホント?正確にいうとイギリスは成文の憲法典を持たない、ということであります。つまりイギリスでは判例法と、制定法・慣習の集積でもって憲法が構成されている、のであります。だから憲法は英語で constitution というのです。成文法としての憲法を持たないから、したがってイギリスには最高裁判所に該当する機関もないのです。よく日本で合憲、違憲の論議がかまびすしいのですが、イギリスにはそもそも憲法典がないのですから、憲法に照らして合憲違憲を判断する最高裁判所は要らないわけです。ではイギリスではどのように審議されるのかといいますと、それは上院(House of Lords)が最上級審として事に当たります。
また、現存するイギリス法体系を整合的に説明する政治思想もありません。何故なら、イギリスの法は、古代ゲルマン法制から封建制、絶対制、市民革命に基づく民主主義、そして現代の混合経済体制下での民主主義が支配する時代を通して継続してきているからです。これがイギリスにおける憲法の中立性といわれる所以であります。

(参考:神戸史雄『イギリス憲法読本新版』より)

第340夜 - イギリス憲法の二つの原則

では判例・慣習などから構成されるいわゆるイギリスの憲法にはどのような原則が盛り込まれているのでしょうか。以下二つの原則があると言われております。

@ 王権と王制の存在
これは曰く言い難しの感がしますが、王の機能というものはあたかも汲めども尽きぬ泉の如く機能していると申し上げるより仕方がありません。確かに臨機応変に王の機能が移管・委譲されてきましたものの、そうかといって王の機能のすべてが委譲され尽くしてしまったのではありません。その機能の発揮と抑制の調和は、まさにイギリス国民の英知によって支えられているといってよいでしょう。

A 国会の優越性
イギリス国会は王権を制約できる制定法を作ることができます。故に主権(sovereignty)はイギリス国会にありといえます。しかしこの権利はあくまでイギリス国内法での主権で国際法からは批判されますので、sovereignty の代わりに supremacy という言葉が使われます。国会の優越性といわれる所以はここにあります。

またイギリスには三権分立というのは成立しません。正確には、国会が優位に立つ立憲王制であります。しばしば誤解されるのは、イギリスは議院内閣制であると思われている向きもありますが、この用語はイギリスにはないのです。日本の統治構造は議員内閣制であり、「その範をイギリスにとっている」というのは誤解であります。

(参考:神戸史雄 同上書より)

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