視聴率ばかりを気にするテレビ、刺激的な見出しの割には中身の薄い新聞、最近のジャーナリズムはこのような風潮に犯されているように「ハテナ」は感じます。そんななかでもう15年も前に岩波新書から出された『アメリカのジャーナリズム』(藤田博司著1991.8.)のなかで”問われるジャーナリズム精神”の言説が光っています。著者は次のように言っています。
・・・・・・視聴者の「知るべき」ニュースより「知りたがる」ニュースが優遇される。しかしニュース報道から否定的な情報が締め出され、肯定的な情報ばかりが伝えられるようになれば、現状肯定的な報道が支配的となり、権力の腐敗や社会悪を監視するというメディアの役割が著しく弱体化することは避けられない。そうなれば「三流のこそドロ」の背後にホワイトハウスの陰謀を突き止めた『ワシントン・ポスト』のウォーターゲート事件の取材の再現は、ほとんど望めなくなる。
(藤田博司:『アメリカのジャーナリズム』 岩波新書 p.215.より)
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