前夜からの続き

第371夜から第375夜まで

第371夜 - ゲティスバーグでの演説

再び阿川尚之さんのお話。阿川さんは国際的なロイヤーとしてアメリカと日本の間を忙しく往復していた頃のことです。カリフォルニアに出張の折、珍しく一日の暇ができたので、阿川さんはハンティントン・ライブラリーを訪れます。そこではリンカーンの特別展示が開催されていました。ワシントンでのリンカーン記念堂等北部で有名ですが西海岸でのリンカーン展はあまり催されないようです。そのなかで阿川さんはリンカーンの自筆になるゲティスバーグ演説に目を留めます。

「87年の昔我らの父祖はこの大陸に、自由を基調とし、人は生まれながらにして平等であるとの理念を旨とする、新しい国家を打ち建てた。
 今我らは、大きな内戦を戦っている。内戦はこうして生まれた新しい国家が、いやそもそも自由と平等を旨とする国家なるものが、一体長く存続しうるものかを試している。
 我らは今日、その戦争が戦われた戦場にこうして集うた。
 我らはその戦場の一部を捧げるためにやってきた。この国とその理念が永らえることを信じて命を捨てた者たちに、永遠の眠りの場所として捧げるために。彼らの行ないは、そうするにふさわしいものであったのだから。
 しかしより深い意味で、この戦場を捧げ、聖め、奉ることは、我らにはできない。
 生き永らえた者も命を落とした者も、ここで戦った勇者たちがすでにこの戦場を聖めたのだから。我らがつけ加えうるものは、何もない。ここで我らが述べることを、人々は気にもとめまい、長く記憶もすまい。しかし勇者たちがここで行ったことを、世界は決して忘れない。
 生き残った我らがなすべきは、ここで戦った者たちが志なかばでやり残した貴い仕事に、新たな決意で取り組むことである。生き残った我らが取り組むべきは、行く手に控えている偉大なる使命をなし遂げることである。名誉の戦死を遂げた者たちが、最後の力をふりしぼって果たそうとした使命を、我らは一層の献身をもって果たさんとす。
 そして、ここに決意を新たにせん。勇者たちの死を無駄にはせぬと。神のもとでこの国は新しい自由の生命を授かると。人々の人々による人々のための政治は、決してこの地球上から消えさることはないと」

これがあの有名なリンカーンのゲティスバーグの演説です。自筆の原稿を食い入るように見る阿川さんの姿が想像されていとおしい。何よりもその場で読める英語力が羨ましい。そしてこよなくアメリカの良き理解者としてその知性と暖かさ、識見には頭が下がります。

(参照:阿川尚之『変わらぬアメリカを探して』)

第372夜 - 福祉国家の危機

昨年(2005年)11月9日の衆議院解散選挙は、俗に郵政解散と言われましたが、「ハテナ」は、各党のマニュフェストに大きく欠けているものがあると強く感じていました。それは二大政党である自民党にも民主党にも、「福祉国家」というスローガンが見られず、どちらも「小さな政府」を掲げて闘ったからでした。福祉国家=大きな政府というイメージを避けたからなのでしょうか。それに代わって市場主義を唱える保守主義あるいは新自由主義がイデオロギーとして先行してしまっているように思われたのです。果たして福祉国家というとそれは「大きな政府」がイメージされ選挙で戦えないという思いこみが先走ってしまったのではないでしょうか。こうみればもう間違いなく福祉国家の危機といってもよいでしょう。そのなかで海外諸国はその潮流にどう対処しているのでしょうか。実は、福祉国家の危機とは、1980年代のイデオロギー先行論ではもはや解決できず、1980年代に入ると現実の問題として、福祉の縮減、高齢化による年金・医療コストの削減を求める国際市場の圧力が、福祉国家の維持を困難にするという動きのとれない現実味を切実に目の前にさらけ出したのでありました。
では本当に福祉国家の再生とか再構築ということはもはや不可能なのでしょうか?次夜以降で少し考えてみることにいたしましょう。

第373夜 -福祉国家の類型

先進国の福祉国家像は大きく三つに類型することができます。
 @自由主義的福祉国家・・・アメリカ、イギリス
 A保守主義的福祉国家・・・フランス、ドイツ
 B社会民主主義的福祉国家・・・スウェーデン
さて、日本は上の三つの類型のうちのどれに当たるのでしょうか。日本が福祉縮減の方向を示し始めたとき、これらの類型との比較によって、日本型福祉の構造が明らかになるものと思われますが、実はその類型にぴたっと入らない新たな要因が1990年代に生じてきたのです。

第374夜 - 福祉縮減をもたらす三つの要因

どうしても福祉縮減に至らざるを得ない要因が発生しはじめ、これが福祉国家の生成を困難にしております。それは次のように主として三つの要因が現れ始めたからでした。

@新自由主義の台頭
 これは1980年代のレーガノミックスやサッチャリズムによって相対的に「小さな政府」指向が強まっていったからです。それまでのケインズ主義的な需要喚起策がサプライサイド重視の経済学に代表される新自由主義理論によって厳しく批判されるようになりました。つまり国家を通した需要創出効果への信頼が揺らいできたことにあります。当時の日本は福祉の肥大を「英国病」と呼んで批判したのは記憶に新しいところです。これを打開すべく、保守党のサッチャー政権は、労働の規律強化や所有意欲の奨励等によって徹底して労働組合と労働党の孤立を図り、その結果イギリスの左派勢力は福祉国家解体を防ぐことができなくなったのです。

Aグローバル化の影響
 福祉国家を進めるとどうしても労働コストが高くつきます。高い労働コストを嫌う資本は安い労働力を求めて国外へ逃避していきます。それを回避するため各国はできるだけ労働コストを引き下げようとするので寛大な福祉国家政策は見直しされざるをえなくなったのです。新川敏光氏はこの現象を、福祉国家の縮減を目指す「最底辺への競争」(a race to the bottom)と名付けています。

Bすすむ高齢化
 福祉国家の危機を最も理由づける原因として今日高齢化が挙げられるのは周知の事実です。特に下表の通り、日本の高齢化が最も顕著に示されています。

各国の高齢化率

    1980   2000   2020   2040
フランス
14.0
16.2
20.1
25.1
ドイツ
15.5
16.0
21.6
30.7
スウェーデン
16.3
17.4
23.0
26.8
イギリス
14.9
16.0
20.0
25.6
アメリカ
14.9
12.7
17.0
22.4
日本
9.1
17.2
27.2
31.5

資料:新川敏光『日本型福祉レジュームの発展と変容』p.355より

特に日本は、高齢化の進展が著しく、1990年代に入っての福祉縮減の一番大きな要因はこの高齢化が推進力を果たすようになりました。

(以上は、いずれも新川敏光氏の『日本型福祉レジュームの発展と変容』を参考としました。)

第375夜 - イギリスの福祉国家の変容

社会保障制度における歴史的な一歩は、ビスマルクによる1881年の労働者災害保険法案に始まるとされています。しかし、イギリスではそれよりはるか以前に、工場法(1802年)や、新救貧法(1834年)などが生まれており、社会福祉発祥の地といってもおかしくはありません。
 また経済学史的にみても、1920年にピグーによって「厚生経済学」(The Economics of Welfare)の大著が刊行され、以後、J.R.ヒックス、カルドアなどによって新厚生経済学へと引き継がれていきました。イギリスに生まれた厚生経済学は今日、さらにバーグソン=サムエルソンによる社会的厚生関数(Social welfare function)、アローの社会的厚生関数の(不)可能性定理、フォン=ノイマンのターンパイク定理(Turnpike theorem)、パレート最適再配分(Pareto optimum redistribution)へと発展し、ロールズの正義の理論(Theory of justice)にも繋がる系譜を持っています。
 それにもかかわらず、かなり大きな制度変更を経験したのもまたイギリスでした。1978年に労働党によって導入された報酬比例年金が縮小され、代わって民間保険の拡大がサッチャー時代に画策されたのです。ニュー・レイバーのブレア政権ですらその政策をさらに進めていきます。従来の国民所得比率年金を廃止し、公的年金を低所得者に限って提供するのみで、老後保障を基本的に個人年金に委ねることとなりました。年金の「民営化」は、福祉国家の元祖イギリスで、保守党、労働党にわたって実現したことは、いかに新自由主義路線が根強いかを物語っているといえましょう。

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