前夜からの続き

第376夜から第380夜まで

第376夜 - 労働のアンビバレンス

労働は効用価値学説からみると、生産物の効用に対比される費用とされ、したがって労働はマイナスの効用と見なされてきました。アダム・スミスにも労働は「労苦と骨折り(toil and trouble)」であるとの叙述があります。その一方でスミスは労働を必ずしも辛いものだけであるとは考えておりません。スミスは「富」の源泉は労働である、と言い切っております。だが、労働をもっと広く考えて労働者のものだけでなく、資本家の労働も含める場合にそれを「勤労」(industry)と呼び換えました。さらに、スミスは「労働」を肉体労働に限定せず、哲学者を哲学者にするのも労働、あるいは分業であるといい広い意味での労働を「勤労」と置き換えました。こうして時代とともに「勤労」は「工業」となり、「労働」と分離されて使われるようになりました。だが一方市場での均衡が議論されるにしたがって、「労働」は投下労働から資本によって購買される支配労働に変わっていき、この支配される労働は賃労働に転落することにもなりました。だからスミスにおいては労働は二重に捉えられています。これを労働のアンビバレンスととらえ「ハテナ」は表題を「労働のアンビバレンス」と表現したのです。
 さて、いったい労働はなぜ厭わしいものになったのでしょうか?確かに昔は労働が基本的な条件を満たさなかった時代には、生きるためにやむをえない「労苦」となったことがあり、労働はマイナスのイメージにまとわれた陰の部分でありました。この労働観に対して他方、それを批判的に、あるいは積極的に労働の意義を認めようとする考えも現れるようになりました。古くはマックス・ヴェーバの、「プロテスタンティズムの教義」で、職業労働への専念を唱える学説であります。またホイジンガーという人は「遊び」こそ人間の本質である、として労働の反面を強調しました。最近になって注目されているのは、ハンナ・アーレントです。彼女は、「労働」「仕事」「活動」に分類し、知的活動や人々の交流などに重きを置くようにしました。労働を「労苦」でなく、自然の中における人間の生の営み、すなわち、「活動」として捉えなおす動きであります。
 「労働」を「活動」へ転換するには、次の三つの事柄が重要であると指摘されています。
@「労苦」のなかに目的設定と目的意識を取り戻すこと。共同社会にとっての労働の意味を問うこと。個人にとっての意味づけは不効用となること。歴史に残るひとびとは(政治家、学者、芸術家等々)、この「問い」への視点をもっている。
Aコミュニケーションを回復すること。
B労働の中で言語を通して労働の目的を共有し、共同化する努力をすること。すなわち、人格的な関係を取り戻すこと。
そうでないと、やはり、野地洋行氏が指摘するとおり、「目的の見えない労働は苦役である。コミュニケーションを奪われた労働は苦役である。自分の生存だけのための労働は苦役である」ことになっています。
 ところで、わたくしたちが今行っている年金ボランティアのグループ、メンバーは、いわゆる「労働」でしょうか。それとも「活動」でしょうか。もし自分のためだけの存在であるとしたら、無意義な存在でしょう。ボランティアの目的を自覚し、互いにコミュニケーションを密にし、そして人格的な関係を尊重すること、このことがわたくしたちの真の「活動」であると心に秘めております。

(参考:野地洋行編著『近代思想のアンビバレンス』野地洋行「経済学と人間の労働ー「労働」から「活動」へ より)

第377夜 - 比較資本主義分析が盛ん

資本主義を研究対象に最近は制度論的なアプローチが流行っています。発展段階説も理論分析等による資本主義分析がどうも上手く解明しきれず、資本主義の類型化して比較分析を行う手法が盛んとなっているようであります。
その比較の方向として、「自由な市場経済」に対して「コーディネートされた市場経済」を区別して説明する二分法があります。コーディネートされた市場とは、市場メカニズムに立脚しながらも、非市場的手段を織り込むものです。たとえば、自由な市場経済は、短期金融、規制緩和された労働市場、一般教育の重視、熾烈な製品市場競争などがイメージされます。これに対してコーディネイトされた市場経済は、長期金融、協調的な労使関係、高水準の職業教育、緩和された製品市場競争、同業団体を通した情報交換などがイメージされるでしょう。そして各々どちらの体制が比較優位を持つかを分析するのです。アメリカは自由な市場経済の方に、ドイツはコーディネートされた市場であるといえましょうが、さて日本はどちらに傾いているでしょうか。規制緩和とやかましく論じられてはいますが、やはりコーディネイトされた市場といえるのではないでしょうか。
この二分法に対して全く異なる第三の形態も考えられましょう。それは介入主義国家(interventionist State)です。国家促進型資本主義ともいえます。国家介入の仕方にも調整役として、から、統制者としてまで強弱の段階があります。かつての統制経済、計画経済の悪いイメージがつきまといますが、最近ではいわゆるネオコンやナショナリズムとして台頭してきていることを無視してなならないでしょう。

(参考:ブルーノ・アマーブル『五つの資本主義』から第3章比較資本主義分析を参照しました)

第378夜 -新自由主義がもたらす福祉縮減の帰結

かつての自由主義が担ってきた福祉国家は、財政赤字の止めどない増大という大きな政府の弊害をもたらし、市場主義、民営化へ、すなわち新自由主義の台頭のもとに小さな政府を目指すのが大きな流れとなっています。その結果、どういうことが予想されるかを考えてみましょう。まず懸念されるのが労働市場への圧迫です。生き残りを賭けた企業は労働コストの縮減を図ろうと懸命です。この低賃金戦略は、ポスト工業化社会の新しい慢性的な貧困状態をもたらしプロレタリアートを生み出すと懸念するのが、G.エスピン・アンデルセンです。彼は言います。「不熟練労働者は罠に陥り、そこにとどまるリスクが高い。したがって、もし働く貧困者というプロレタリアートの出現を避けたいのならば、積極的な社会的投資戦略がもっとも重要になってくるであろう」と。新自由主義的なルートに乗ったアメリカンスタイルの貧弱な福祉国家は、おそらく、適切な保護をめぐって深刻な危機に直面している、と彼は警告するのです。アメリカ追従型の福祉政策をもし日本が採るとすれば同様な事態になる、いやもうすでに陥りかけているのかもしれません。

(参照: G.エスピン・アンデルセン編『転換期の福祉国家』)

第379夜 - 富の追求の正当化へのアダム・スミスの悩み

スミスは『国富論』の名のとおり富についてあくまで追求していった経済学者です。ただ、スミス以前の社会では、アリストテレスやトマス・アクィナスなど、富の蓄積を軽蔑した人たちとどう和解させるのに悩んだ哲学者でもありました。ほんとうのところスミスは、豊かになりたいという衝動それ自体の道徳的基盤に不安を持っていました。それが顕れるのがスミスの『道徳感情論』であったともいえるのです。事実彼は『国富論』以上にその後の校正に力を注いだのは『道徳感情論』、特に晩年の第6版でありました。ハイルブローナーという経済学者は、スミスが二つの信念を助け船に、この具合の悪い立場から自分(スミス)を救い出したとして次のように締め括っています。「一つは、重大な危機に際して、我々は自己保存的感情とは別の感情に相談するものだということ。もう一つは、「完全自由の社会」の個々人の持つ動機がどうであれ、結局は、それが最終的にもたらす結果によって全体として償われるということである。」
この指摘は以前「ハテナ」がスミスを”孤高の哲学者”と呼んだとおり、経済学者より哲学者としての立場を明らかにしています。

(参照:ロバート・ハイルブローナー『私は、経済学をどう読んできたか』世俗の哲学から学ぶもの)

第380夜 - マルサスの霧

前に紹介しましたバジョットは、さまざまな名句、箴言でもって知られる名文家でありました。バジョットはマルサスについても次のようなユニークな評言をしています。

 初版の『人口論』は論争に終止符を打つものだったが、事実に基づいていなかった。第二版は事実に基づいていたが、論争を終わらせる力はなかった。

として、マルサスには霧がかかっている、と述べます。或いは次のような表現もなされています。

 (マルサスの)諸事実には憶測の霧がかかっており、彼の諸理論には事実の蒸気がかかっている。

これには少しばかり説明が要りますね。例の『人口論』の初版では、人口の幾何級数的増加に食料の算術数的増加が追いつかないという衝撃的な論調でデビューしましたが、この論文の断言口調にマルサス自身もまずいと感じていました。そこで1803年に第二版を出しその口調を和らげました。人口増加が生活水準上昇の難敵であることに変わりはありませんでしたが、新たに生まれた子供が労働の供給を増やして賃金が下がるまでには時間がかかる、としたり、実質賃金の決定には慣習が伴うとか晩婚を奨励するようになりました。この論調の変化をバジョットは上のように表したのでした。

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