福祉国家体制のもとにあっても大きな不平等と深刻な貧困に悩まされているのが、現代の姿です。そこでいま再び1960年代に唱えられた福祉国家の平等主義、すなわち、「今、ここにいるすべての人々のための」(for all, here and now)というスローガンが脚光を浴びてきました。福祉国家は、その平等主義的原理を根本的に再考しなければならなくなったのです。イエスタ・エスピン・アンデルセンは次のように示唆しているのです。
今ここにいる人々の何人かについての不平等を容認し、しかし同時に、「今ここにいる人」で 恵まれない境遇の人が常にそうした状態にとどまらないことを保証することである。というのは、 恵まれない状態は人のライフコースで永久に固定されたものであってはならないからである。こ の種のダイナミックな人生のチャンスとしての平等への関わりが、おそらく、ひとつのプラスサム的 解決であるであろう。
このことは市民の自立能力を最大限に活用するという社会政策を重視する、ということを意味しています。おそらくその事例にひとはスウェーデン・モデルを考えるでしょう。一見してスウェーデン福祉国家は平等主義と労働インセンティブとが結合しているように思われがちです。だが、平等主義的な賃金、これを社会的賃金と呼びますが、それがもっと働こう、とかもっとスキルや教育を受けようとするインセンティブに結びつかない悩みがあります。一方、アメリカ・モデルでは低いスキルの労働者への賃金引下げ圧力は深刻な貧困の罠を生んでいます。こうしてラディカルな改革は極めて困難で案外、昔からの慣行を尊重する保守的な人々が福祉国家にむしろ好意的であるというパラドックスが生まれてしまうのです。
(参照:イエスタ・エスピン・アンデルセン「黄金時代の後に?」G.エスピン・アンデルセン編『転換期の福祉国家』p.287-289. より)