啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜けだすことである、といったのはカントです。そこから「敢えて賢こかれ!」、「自分自身の悟性を使用する勇気をもて!」といった警句が生まれます。人間はなかなか未成年状態から抜け出ることはできません。そこで経験豊かな老人の智慧が活かされるのです。マックス・ウェーバーもその著『職業としての学問』のなかで『ゲーテの『ファウスト』から次のような文句を引用しています。
・・・「気をつけろ、悪魔は年取っている。だから悪魔を理解するにはお前も年取っていなくてはならぬ」
ところがです。最近出版された筒井康隆の『銀齢の果て』というブラックパロディ小説は、まったく逆に高齢化が進む日本の老人人口を淘汰するため、老人同士で途方もないシルバー・バトルを行わせる、という何とも凄い本です。もちろん作者はこの滑稽きわまりない筋書きのなかで老人問題を訴えようとするのでしょうが、「ハテナ」には、若者が老人をぞんざいに扱うのではなく、本当は老人同士が互いをののしりあい殺しあう、というブラックユーモアのなかに真実があり、この実在に問いかけているように見えてきます。老人という存在のどうしようもない、いやらしさ、をこのなかに感じます。近頃の若者は・・・という陳腐で聞き飽きた老人のお説教や、老人の分別ある(?)道徳などをのたもうて威張っている老人たちは、老人対若者の対立ではなく、まさに老人同士間の壮絶、陰険なバトル戦争をすでに始めているのではないでしょうか。
(参考 カント『啓蒙とは何か』 ウエーバー『職業としての学問』 筒井康隆『銀齢の果て』より)