前夜からの続き

第446夜から第450夜まで

第446夜 - マリア・テレジア銀貨

20世紀初頭に紅海沿岸で流通したマリア・テレジア銀貨は不思議な貨幣です。第一にそれは国家権力にまったく依拠しない通貨でした。第二にそれは素材の価値からも独立していました。それが紅海地方で最近まで通用していたから不思議です。
マリア・テレジアとは18世紀のオーストリア女帝でその肖像を戴いたのがこの銀貨でした。そうしますと当然その銀貨はオーストリア政府の発行する法貨ということになります。ところがこの銀貨はオーストリア国内では流通せず、18世紀のことでもなかったと聞いたらびっくりするでしょう。ところが現実には20世紀前半にオーストリア本国から遠く離れたアフリカ・西アジアに流通したのがこのマリア・テレジア銀貨でした。より正確には1780年の年号を刻印したマリア・テレジア銀貨のみがこれらの国々で選好されたのでした。1780年というのはマリア・テレジア女帝最後の在位年でした。何故でしょう。例えばケインズはそれにこう答えています。「ただ単にその美術的性質の故」に「現代のアフリカの遊牧アラブ人に好んで用いられた」というものでした。
これに対して黒田明伸氏はまったく違った独特の見解を示します。最近(2003年)になって著した『貨幣システムの世界史』は大変興味深い本ですが、これにしたがって次夜以降この謎を解いて行くことにいたしましょう。

(参考:黒田明伸『貨幣システムの世界<非対象性>をよむ』より)

第447夜 - マリア・テレジア銀貨の謎

「ウィーンから遠く離れたアフリカの地で授受されるマリア・テレジア銀貨の存在は、それ自体は特殊な事例でありながら、なぜ貨幣は受け取られるのか」と黒田氏は問いかけます。そしてその最大の原因は鋳造権の譲渡にあったとされます。オーストリア政府は第一次世界大戦によって中東方面への権益を失いました。そこでこの銀貨の鋳造によって差益の見込まれる同貨鋳造権を譲渡したのでありました。それが実現したのは1935年でした。すなわち、イタリアのムッソリーニ政権がエチオピア侵攻を開始したとき、当のエチオピアの準法定貨はマリア・テレジア銀貨でムッソリーニ政権はその鋳造権をウィーンより譲り受けたのでした。
イギリスでも、いまやオーストリアの自国内で流通していない通貨を、他国が発行するのに対しオーストリアが制限する論拠はないとの見解を持ってはいましたが、当時はオーストリアの主権侵害にあたるというオーストリア政府の立場を尊重して見送られました。が、結局イギリス、フランス、ベルギーが1936年前後からマリア・テレジア銀貨の鋳造を開始することになってしまいます。フランスの見解はもっと大胆で、本来の固有の鋳造権者が鋳造権を放棄した以上、もはやその銀貨はどこの国にも帰属せず、「交換の手段として使用されているメダルにすぎない」というものでした。
では一体なぜマリア・テレジア銀貨が選好されたのでしょうか。そこに含有される銀そのもの自体に求めることはできないのです。なぜならこの銀貨よりより純分の高い通貨は存在し広く流通していたからであります(例えばルピー銀貨)。著者の結論はこうです。
選好させた要因は、受領する個々人の判断でも、発行した主体の権能にあるのでもなく、マリア・テレジア銀貨が流れる回路そのものの存在である。・・・アデンを入り口として、エチオピアを西流してゴレへ至り、やがてスーダンへ北流したのち、紅海沿岸のポート・スーダンからアデンへ回るものがあげられる。このような流れを利用して、言語も宗教も行政の違いも超えて、コーヒーや衣料などが逆方向に運ばれていく。・・・地域空間を越えて環状に展開する回路が典型的に現れたのが、このマリア・テレジア銀貨の流通なのである。・・・(p.43-44)

(黒田明伸:同上書より)

第448夜 - 素材価値の劣質な通貨がなぜ受領されるのか

貨幣の信用を支えているのが、政府行政の信用ではなく、さりとて商人のギルドのような制度が通貨の使用を保証しているのでもない、まして自己資産をはるかに超えて貨幣を発行しているのですから個々の業者たちの信用が支えているのでもありません。その昔、中国は泉州(せんしゅう)において1606年に、”旱魃がきびしかった。米価は騰貴し、同時に私鋳銭(しちゅうせん)が盛行した”(p.50)との記録がありますが、このときの貨幣の機能は、「貨幣素材の実質価値」でも「国家的保障」でもありませんでした。では通貨が貨幣として受領される根拠は何だったのでしょうか。それは貨幣に媒介される財の側にあるのです。「泉州という場を通じてこれから処分されるであろう在庫の集合が、人々をして私鋳銭という新しい手交貨幣を受領させた」(p.52-53)と黒田氏は言います。言葉を変えればそれは地域の流動性がそうさせたのです。つまり通貨の流通はその基にある商品の流れに支えられているということがいえましょう。

(黒田明伸:同上書より)

第449夜 - 良貨が悪貨を駆逐する

ふつうグレシャムの法則は”悪貨が良貨を駆逐する”というもので表題は反対になっていますね。中国の事例を引き合いに出しましょう。11世紀の銅銭鋳造の最盛期には、1075年に「十銭を鎖鎔(とか)して、精銅一両を得、器物を造作すれば、利を獲ること五倍」(p.59)とあります。普通は鋳造権をもつものが、額面以下の通貨を発行して差益を得ると考えられていますが、この例は逆のことが行われたのです。つまり「良貨」たる官銭が「悪貨」たる私鋳銭を駆逐していたのです。どうしてか。それは銅貨の私鋳は、金銀貨の場合と比べて経費がかかるわりに利益を生まないからでした(p.60)。このように貨幣の鋳造の歴史を紐解くと、実にさまざまな事例に出くわして興味をそそられてしまいます。

(黒田明伸:同上書より)

第450夜 - 貨幣の空間性 

かつての国際金本位制というシステムは、地域間の兌換性を極限にまで高めた体制でした。しかしそれは世界恐慌という形で、高すぎた兌換性のツケを払わされることになりました。この反動から人々は地域の流動性にその拠り所を求めるようになっていきます。黒田氏はこのような体制を次のようにまとめられています。
世界経済は国ごとの管理通貨制採用という方法で兌換性を制御しようとし、現在に至っている。
 貨幣というものは、たしかに「反省や申し合わせの産物ではなく、交換過程のなかで本能的に形成される」(Marx,1961,S.35, 邦訳34頁)のだが、それは無限の空間の広がりの中で生ずるのではなく、本源的に空間をともなうものなのだということである。貨幣の歴史は、狭い空間の内側で平衡しようとする動機と、不安定さをともないながら広域の兌換性を築き上げようとする動機とがせめぎ合ってきた過程であり、その衝突はさまざまな社会システムの興亡と結びついていた。(p.70-71)

(黒田明伸:同上書より)

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