前夜からの続き

第441夜から第445夜まで

第441夜 - 最大多数の最大幸福

この言葉はベンサムが発見して以来今日まで常套句としてあらゆる場所・機会に用いられています。元はと言えば、ベッカリアという人の『犯罪と刑罰』(1767年)から、またジョゼフ・プリーストリーのパンフレット「統治の第一原理と政治的、市民的、宗教的理由の本性についてのエッセー」からとってきたと云われています。そのフレーズに出会ったときの感動をベンサムは次のように回顧しています。
・・・・・・その言葉を見た時、【ベンサムは】まるでアルキメデスが流体静力学の基本原理を発見した時のように、こみあげてくる精神のエクスタシーのうちで、ワレ、発見(ユーレイカ)セリ、と叫んだ。
そしてベンサムはこの「最大多数の最大幸福」をキャッチフレーズにして文明社会に広めていきました。因みにプリーストリーが書いた言葉とは以下のとおりです。
いかなる国家であれその構成員の多数者の利益と幸福 good and happiness が国家にかかわる全ての事柄が決定される際の基準となる。

(土屋恵一郎『ベンサムという男』法と欲望のかたちより

第442夜 - パノプチコン

ジェレミー・ベンサムという人は一風変わった人でありました。ベンサムの功利主義は快楽主義であったのです。欲望を認める、だがそれが犯罪に結びつかないようにする、というものです。有害な欲望が生まれる温床としてベンサムは次の三つのことをあげています。
@ 悪意ある情念passion
A 強い酒への嗜好
B 怠惰志向love of idleness
そしてこの三つのことを解決するために、以下のことをすすめます。
@ 友愛の感情feeling の促進
A 深酔いさせる酒に代わる、非アルコール系飲料の消費を奨励する
B 怠惰の状態に人々を置かないようにする
と挙げればなーんだ、と思うかもしれません。

ベンサムの功利主義から帰結されるものは、人々をあっと驚かすものでした。たとえば、@同性愛擁護。快楽の原理からすれば当事者同士の合意のもとで行われ、いかなる苦痛も他の誰かにもたらさないとすれば快楽を求める行為がなぜ罰せられねばならないのか、そうベンサムは言うのです。またAアダム・スミスを批判して高利をも弁護します。どんな人でも、借主が適切であると思って同意した条件で、金を融資することを妨げられては成らない、と。そしてBあの有名なパノプチコン計画です。パノプチコンは”一望監視装置”といわれています。これはベンサムの弟が考案した円形の刑務所をベンサムが思想的に洗練させたものです。この刑務所は、囚人からは看守の姿が見えないように設計されたものです。ですから囚人にとっては自分たちが監視されているかどうかが判らず常に恐怖にさらされています。見られているかどうかわからないという恐怖がつきまとうもので、このメタファーは、今日でもフーコーなどによって「生の権力」による人への標準化の問題として採り上げられ、また情報管理の問題、すなわち、今日の電子技術によるデータ処理が人々をプライバシーや、「生の権力」を標準化することを可能にしたと論ずるときに「パノプチコン」のメタファーが頻繁に採り上げられているのです。

(参考:土屋恵一郎『ベンサムという男』より)

第443夜 - 「管理通貨」制度の先駆者

コモンズという経済学者は、余りなじみのある人ではないでしょうが、その業績は大きく最近この学者が研究されてきております。ジョン・R・コモンズ(1862-1945年)はニューディール社会立法に関わり、アメリカ経済学会長をも務めた経済学者でありました。その主著『集団行動の経済学』からも伺えるように制度学派のなかでもヴェブレンのような「思考慣習」とは違って「個人行動を規制する集団行動」を主張する社会改良主義者でありました。経済問題の公的管理を強調した学者です。組織化が進んでいなかった「農業の管理」や、組織化された労働組合と経営者との間の調整を提言する「資本ー労働の管理」、そして「通貨」価値の管理としての「信用の管理」を唱えました。アメリカの有名な経済学者アーヴィング・フィッシャーによってアメリカで最先端の貨幣経済学者の一人と高く評価された人であります。コモンズは、将来に対する責任と義務の見地から通貨を管理実行すべきという「管理通貨」制度の先駆者でありました。

(参考:根井雅弘編『経済学88 物語』より)

第444夜 - ケインズは本当に死んだのか?

例えば今日の日本においてケインズの名を挙げる人はすっかり影をひそめてしまいました。一世代前の高度成長期には誰もが自分はケインジアンであることを決してはばからず、”反ケインジアンもケインジアンの一人である”とさえ、豪語したものです。それはちょうど”ジャイアンツ嫌いも結局はジャイアンツの隠れファンなのさ”といわれるのと同じようなブームの時代でした。ところが今はケインジアンと胸を張って言う人は皆無に近く世はあげて新古典派は主流経済学と自負する人たちでいっぱいです。「長期的には、われわれはみな死んでいる」といったケインズは本当に死んでしまったのでしょうか?1987年以降からN・G・マンキューは、「新しいケインズ派マクロ経済学」をひっさげて登場した「再生」ケインジアンです。その教科書である『マクロ経済学』は画期的な売れ行きを見せています。果たしてこれがケインズの単なる復活でなく「再生」となるのでしょうか。かつてルーカスが次のようにケインズを揶揄したことへの反論として再びケインズが見直される時代が来るのかもしれません。
「自分ないし自分の仕事を『ケインズ的』であると考える40歳以下の優れた経済学者はいない。実際、彼らは「ケインズ的」といわれれば気を悪くしさえする。研究会では、ケインズ的な理論はもはやまじめに受け取られはしない。人々は互いにくすくす笑いはじめるのだから」。

(参考:根井雅弘編『経済学88 物語』より)

第445夜 -  カオス???

世にも不思議な逆説パズルと副題が付いたパウンドストーンという物理学の専門家の書いた『パラドックス大全』には実に面白いパズルの缶詰です。なかなかパズルが解けなくて嘆く問題が多いので、この本を書いた人よりこれを翻訳した人の方がエライ!と妙なところに感心?してしまうほどです。その中の比較的判りやすい事例を今夜は取り上げます。それはカオスの理論という最近流行りの領域です。
風船を膨らませ、口を縛らずに手を放す。風船が部屋の中を飛びまわる道筋をあなたは予測できますか?手を離す瞬間の風船の位置、膨らみ具合を正確に測定すれば道筋は予想できますか?著者は次のように言います。

・・・海王星の軌道を将来にわたって予測できるのなら、なぜ風船の動きが予測できないのだろう。
 その答えがカオスである。決定論的なのに予測できない現象を表す用語としては、比較的新しくできた言葉である。科学はたいてい、予測可能なものを相手にする。ところが予測できないことは身のまわりにいくらでもある。稲妻の走り方、シャンペンの瓶からの泡の吹き出し方、トランプのシャッフル、川の蛇行。カオスが普通で、予測可能な現象の方が例外だとも考えられる。
 「無作為」(ランダム)の現象は、そうでない現象と同じ物理法則に支配されている。それが予測できないのは、カオス現象では、初期状態の測定誤差によるずれが、時間とともに指数関数的に大きくなるという事実による。・・・

そういえば社会科学の領域でも同じような事象が論じられています。K.R.ポパーという学者は「雲と時計」という奇妙なタイトルの論文を書いています。それによると、「時計」は歯車を精巧に組み合わせて時を刻むニュートン的世界。一方の「雲」は細かい水滴の分子がランダムに動いてある時は入道雲になったり積乱雲になったりするカオス的な世界なのですね。

(ウィリアム・パウンドストーン『パラドックス大全』より)

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