ジェレミー・ベンサムという人は一風変わった人でありました。ベンサムの功利主義は快楽主義であったのです。欲望を認める、だがそれが犯罪に結びつかないようにする、というものです。有害な欲望が生まれる温床としてベンサムは次の三つのことをあげています。
@ 悪意ある情念passion
A 強い酒への嗜好
B 怠惰志向love of idleness
そしてこの三つのことを解決するために、以下のことをすすめます。
@ 友愛の感情feeling の促進
A 深酔いさせる酒に代わる、非アルコール系飲料の消費を奨励する
B 怠惰の状態に人々を置かないようにする
と挙げればなーんだ、と思うかもしれません。
ベンサムの功利主義から帰結されるものは、人々をあっと驚かすものでした。たとえば、@同性愛擁護。快楽の原理からすれば当事者同士の合意のもとで行われ、いかなる苦痛も他の誰かにもたらさないとすれば快楽を求める行為がなぜ罰せられねばならないのか、そうベンサムは言うのです。またAアダム・スミスを批判して高利をも弁護します。どんな人でも、借主が適切であると思って同意した条件で、金を融資することを妨げられては成らない、と。そしてBあの有名なパノプチコン計画です。パノプチコンは”一望監視装置”といわれています。これはベンサムの弟が考案した円形の刑務所をベンサムが思想的に洗練させたものです。この刑務所は、囚人からは看守の姿が見えないように設計されたものです。ですから囚人にとっては自分たちが監視されているかどうかが判らず常に恐怖にさらされています。見られているかどうかわからないという恐怖がつきまとうもので、このメタファーは、今日でもフーコーなどによって「生の権力」による人への標準化の問題として採り上げられ、また情報管理の問題、すなわち、今日の電子技術によるデータ処理が人々をプライバシーや、「生の権力」を標準化することを可能にしたと論ずるときに「パノプチコン」のメタファーが頻繁に採り上げられているのです。