騎士道とはいったいどんな精神でしょうか。今日ではジェントルマンにふさわしい道と考えられがちでありますが、騎士道の起源は決してそのような正しい礼儀から発したものではなく、人間本性の根源にもとづいて発生してきたといえます。例えば、モスナーという学者は、以下のように騎士道の生まれを説いています。
・・・ロマンティックな騎士道(Romantick Chivalry)、あるいは騎士の諸国遍歴(Knight-Errantry)という怪物(Monster)が、人間本性の原理の必然的な作用によって世界に現れることになった。注目すべき点は、それがムーア人とアラビア人から伝えられたことである。彼らは、征服した諸地域からローマ人の礼節について多少学んでおり、一般には北の人間よりも鋭敏で発明の才があると目されている南の人であったが、彼らは偉業の達成というこうした特質を思いついた最初の人たちだった。それがいったん立ち現れると、これらの国民と同じ状態にあるヨーロッパ中をほんのわずかな火花で焚き付け、燃えさかる火のように覆いつくしたのである。(壽里竜氏訳)
このように、ローマの暴政がいかに大きくても、圧制下の人々の技芸の洗練さをことごとく追放してしまうわけではありません。それどころか逆にローマ帝国を襲った野蛮人たちは、ローマ人を模倣し彼らとの生活様式の一致を見出そうとするのです。やがて自らの神さえも放棄しローマの神々と交換しさえもします。さらには美徳は理性を超えて中庸の度を遙かに超えた華々しい奇想や空想をあおり、駆け巡るようにさえなります。この妄想が他を引き離し自らの長所と思いこむようになり、さらに徳や洗練さまでに浄化していくとき、騎士道が生まれる、とモスナーは言うのです。
(参考:モスナー(Ernest Campbell Mossner) David Hume's "An Historical Essays on Chivalry and Modern Honour")
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