前夜からの続き

第461夜から第465夜まで

第461夜 - ヴェブレンの遺産

今日、ヴェブレンが制度学派の祖として注目されてきていますが、彼の難解な書物のなかに一体何を残したのでしょうか。ごく簡略してまとめますと、以下の3点になると思います。

@ 「眠っている好奇心」が、進化の過程において生ずる多様性や変異の淵となったこと。
A 制度が時代を通じて相対的な安定性や連続性をもたらしたこと。
B よりよく適合した制度が模倣され複製されることによってそのメカニズムが識別され、反対に適合しない制度は消滅する、という一種の生存競争がみられること。

こうして制度というものが進化的な選択によって、そして思考習慣の累積によって進化したり退化すると観たのがヴェブレンでありました。

(参考:ジェフリー・M・ホジソン:『進化と経済学』より)

第462夜 - ワルラスの罠(Walrasian Wiles)

ワルラスの一般均衡論には企業の顔が見えないとか、銀行家は眠りこけているとかよく言われます。シュンペーターは、ワルラスモデルについて次のように言及しています。

 ワルラスの貢献は、消極的なものであったが重要であった。彼は利益もなければ損失もない企業者の姿を彼の体系のなかに導入した。そしてこの体系は基本的に静態理論であったので・・・それ故企業者利潤は、この静態を満たすことに失敗したときにのみ生ずるという結果への信念を指摘した。そして完全競争のもとでは、企業は均衡状態のなかでもつぶれる・・・。

しかしワルラスは、シュンペーターのいうように必ずしも静態理論ではないと考えられます。ワルラスは「均衡へと向かう諸力が働いているが、しかし均衡の達成は内生変数と外生変数の撹乱との双方によって絶えず揺れ動く」のです。市場とは絶えず均衡に向かおうとはしますが、それを獲得することは決してないものです。何故なら市場は模索することによってしか均衡に近づけないからです。目標に達する前に、財やサービスの効用を含む、また技術係数などすべての基礎的なデータがわずかの間に変ってしまい、常に目標への努力を更新しなければならないし、やり直しもしなければならないのです。
シュンペーターは何度も何度もワルラス体系の動学化の必要性を指摘しました。彼がワルラスの罠と考えたものは、実はワルラス自身のなかにもあったのです。「ハテナ」はワルラスにも動態理論があったと考えています。

(参考: ホジソン同上書)

第463夜 - マルサス『人口論』の続き

マルサスについては第218夜第380夜においてすでに触れていますが、その中の218夜、「『人口論』における自然の大饗宴」では以下のように引用しました。

すでに(誰かに)所有されてしまっている世界に生まれた者は、もし彼が両親から正当に要求し得る生活資料を得ることができず、またもし社会が彼の労働を欲しなかったならば、彼はどんなに小さな食料であってもそれを要求する権利を持たない。実際、彼がいまいるところに生存する必要はないのである。自然の大饗宴において、彼のために用意された空席はない。自然は彼に去れと言う。そしてもしその饗宴の客の誰かからあわれみの情をうけないなら、自然は直ちにその命令を実行する。

この言説は大内兵衛氏訳の初版『人口の原理』のなかの同氏の解説で触れられているものですが、紙数の関係でしょうか、その後の方が紹介されていません。この文脈はマルサス『人口論』の第2版に出ていますが、残念ながら邦訳はありません。でも余りにも名文かつ含蓄深い言葉ですので、思い切って「ハテナ」が拙訳を試みました。以下をご笑覧ください。

もしお客たちが立ち上がって彼の居場所を作ってやったとしても、他の侵入者がただちに現われ、同じ施しを求めるにちがいない。来る者すべてに施しをするということが伝わると、おびただしい物乞いたちでホールは満杯になるだろう。饗宴の秩序と調和が乱され、以前から保持されていた豊富さは、乏しさに変り、お客の幸福はあらゆるホールの各所で悲惨さと争いに満ちた絵巻物でうちへしがれ、そして期待してよいと見込まれた供給が得られなくなった途端に、怒りに達したひとびとの騒々しいしつこさで目茶目茶にされる。お客たちは、この偉大な饗宴を開催した女王が、彼女のすべてのお客に豊かさを持つことを望むが、無限の会員のための席を用意することはできず、彼女の用意した席がすでに満杯となったとき、新参者の入来を慈悲深くお断りすることを知るのに気づくのが余りにも遅すぎる。

(T.R.Malthus, Essay on the Principle of Population, 1803)

第464夜 - 93パーセントの労働価値論

リカード(D.Ricardo)の労働価値論を「93パーセントの労働価値論」と言ったのはスティグラー(G.Stigler)です。リカードは価値をすべて労働費用に還元しようとしました。つまり財の長期的な交換価値は、その財を生産するために使われた労働に比例して変化する、と考えるのです。ところが厄介なことが生じます。資本には流動資本と固定資本の二つがあり、流動資本の労働価値は現在の労働を維持するのに必要な穀物量、つまり賃金基金で説明できますが、もう一方の固定資本は、うまく説明できません。何故なら固定資本には耐久性という性質があるからです。固定資本は生産過程の長さを増加させます。ある財が他の財より多くの固定資本を使うことによって生産される限り、これらの財の相対価値は、直接的労働費用の差以外の理由によって乖離するのです。つまり「生産に必要な労働量が等しい財同士でも、市場に出されるまでに必要な時間が異なれば、交換価値は異なる」ことになるのです。例えば、一定の利潤率の下では、2年間生産過程に固定される資本は、1年で回転する同量の資本に比べて2倍の利潤を獲得することが要求されるでしょう。
しかしリカードは、固定資本の投入量の変化は、労働の投入量に比べた費用のほんの一部でしかないから(たかだか6-7%)、固定資本部分を無視して、労働の投入量が唯一の価値の尺度である、としたのです。
このためスティグラーは、リカードの理論を93パーセントの労働価値論と呼んだのでした。

(参考:ディーン『経済思想の発展』より)

第465夜 -  経済学史の方法論

過去の経済学の歴史を研究する態度の一つに、それらの歴史を現代的視点で観て、今日に生かそうとする姿勢が見られます。現代の最先端を行く最新の理論をもって過去の学説を分析、評価替え、批判しようとする行き方です。現在においてしばしば見られる研究の方法論がそれです。例えば、森嶋通夫氏は、「私はかねがね学説史では、時代順序にしたがって叙述することにあまり意味はないと思っている。というのは、理論の発展は、過去の理論が形成された時代順序に、強く依存しないからである」と言っています。このような研究方法に対して一種の警告を発しているD.ウィンチの言葉にも耳を傾ける価値はあるでしょう。ウィンチはこう言っているのです。

たいていの経済学者および経済思想史家は、自由主義的資本家視角を採用するが、それは、スミスの体系を構成している比較的知られていない18世紀の観念に、19世紀の意味を与えるという形をとった。このやり方の第一歩は、ほとんど気づかれぬくらいありふれたものになっている。それは、スミスの「商業社会」をまったく短絡的に「資本主義」(キャピタリズム)にすぐ置き換えることにある。「資本主義」はスミスにとってまだ存在していなかったし、スミスがその言葉をつくる必要を認めなかったという単純な事実は、何の釈明も加えられず消え去る。*
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D.ウィンチ『アダム・スミスの政治学』−歴史方法論改訂の試みーp.172.

またウィンチは見事なレトリックを使ってこうも述べています。

(社会科学の)流線型の高速自動車道路的歴史は、まわりを取り囲んでいる歴史的田舎を素早く素通りして現代に伝えるが、一方で、あてもなく曲がりくねって走る18世紀の在来の道をも探索して、二つの道(高速道路と田舎道)をつなぐことが必要とされるのである。*
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D.Winch (1996) Riches and Poverty, An intellectual history of political economy in
Britain, 1750-1834.

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