これまで騎士道精神についての「ハテナ」の理解は、アルフレッド・マーシャルのものが最も有名であるとばかり思っていました。それはマーシャルの講演録に由来したものでした。日本で見られる著作は、杉本栄一編の『マーシャル経済学選集』日本評論社刊のなかに金巻賢字訳「経済騎士道の社会的可能性」として収められています。マーシャルは表題から察しられるように、経済的 騎士道に限定しているため、ヒュームのように歴史的、哲学的な考察には叶いません。けれどもそのマーシャルも次のように記しています。
・・・画期的大発明といふものは、常に自己の仕事を騎士道的愛をもって愛するところの人々によって為されている。・・・創造的な科学は、ただかの創造的な芸術及び創造的な文学を振興せしむるところの力ー騎士道的負けじ魂によってのみ振興せしむることが出来るのである。
しかし今日の企業ではそういう騎士道的な精神でもって仕事をする人はいないでしょう。例えば特許を巡る巨額の訴訟を見ても企業に勤める技術者や研究者が騎士道精神をもって自己の創造を企業のために捧げるというのは時代錯誤に見えましょう。そこでいま一度マーシャルの含意を確かめる必要があります。マーシャルは次のように付け加えています。
現代にあっては、我々の考へは産業の進歩といふことで占められている。即ち自然を駆って製造や運輸の方面において驚くべき働きがなされてゐるのである。しかし、もしも極楽世界において、我々が商業上の新しき方法によってかち得たる生活の向上といふことに話の順が廻って来た時には、我々は中世騎士の如く勇敢に昂然と頭を上げることを為し得ないであろう。私は実業生活の内においてこそ、大いに騎士道が潜んでをり、もしも我々がこれを探ね出して、恰も人々が中世において戦争が騎士道に与へたる如き名誉をこれに与へるならば、更により大なる実業の騎士道があらはれ来るであろうことを述べておきたいと思ふ。
このようにマーシャルの考える騎士道は、どうやら gentilis homo 「高貴な身分の人」を意味するジェントルマンと同義に用いられている、と思われるのです。
このように見て参りますと、ヒュームは、騎士道を、野蛮から妄想、冒険、遍歴、そして次第に(女性への)愛、日常生活のルール、洗練された生活様式にまで高められる課程として、人間本性の原理から愛した姿として描き切っており、マーシャルの考えるものを遙かに超えた深い歴史的洞察に満ちた社会思想家であると、「ハテナ」には思えるのです。
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