前夜からの続き

第476夜から第480夜まで

第476夜 - ヒューム再見

ここで再びヒュームに立ち返ってみましょう。モスナーは次のようにヒュームを見ています。
・・・ムーア人やゴート人の英雄たちは、自らの空想を、大幅な勇ましい足取りで押しすすめ、彼らがこれまでに思いついたものを超え出て、それを手に入れる時に彼らを導いてくれる光や先例の範囲を遥かに超えてしまった。その目指すところがいかに大きく、その達成したものがいかに小さいか。自らの生活様式に非常に空想的な帰結を生み出す努力がいかに大きく、その能力はいかに小さいか、自然さと適当な単純さに抑制・還元するのがいかに難しいか、こうしたことは、驚くに値しない。

(壽里訳:E.C.Mossner David Hume's "An Historical Essay on Chivalry and Modern Honour")

第477夜 - シェイクスピアの眼と耳

銀行家であり、エコノミストであり、そしてまた一流の文芸評論家でもあった、W.バジョットは、そのエッセイ、"Shakespeare-The Man " のなかで、以下のようにシェイクスピアを評価しています。
シェイクスピアの作品は、最高の経験の上に最良の想像力を駆使し、その詩的な創造物は果たして空想から描かれたものか、経験から生まれたものかを見分けることが難しいほどであり、真に優れた知が示すものは、いつも突然にひらめく無意識な暗示であり、しかもその暗示は、偶発的でさえあるがしかし常に関心を寄せる”力強い眼と耳の世界”(the mighty world of eye and ear" に言及する・・・。
以上がシェイクスピアの特徴なんです。だから彼の作品には、野蛮社会の美と文明社会の美が共存します。
このバジョットの見方に従えば、シェイクスピアがオセロウにムーア人を配し、その人間の心のあやを彼に語らせ行動させた意図は、当時の英国社会に違和感を与えることなく、逆に洗練された生活様式に同化されていくのです。このように見ればシェイクスピアのムーアとヒュームのムーアには、共通の価値観があると思われるのです。

(The Collected Works of Walter Bagehot, Vol.1. Edited by Forrest Morgan.)

第478夜 - 英国社会におけるムーア人の受容

野蛮または野蛮人の特徴として古来より挙げられてきたムーアまたはムーア人への先入観は、これまで述べてきたように、どうやら修正を要するようです。正装したムーア人の外見からのみで判断はできませんが、シェイクスピアが描いたとおりムーア人はどうやら野蛮そのものでなく、反対に、力強さ、高貴さ、凛々しさ、あるいは優雅でさえあり、またヒュームが指摘するように、騎士道精神の起源を彼等に求める理由もうなずけるでしょう。他面、肌の色の違い、遠隔地(北アフリカ)、宗教の違い(イスラム教)にもかかわらず、英国人は何故ムーア人を舞台に立てムーア人を受け入れようとするのでありましょうか?
これについてJack D'Amico という人は、次のような興味ある見解を示しています。
人種、宗教、気質において対極にあるムーア人は、西洋的価値の優越性を確かめるべく利用されよう。がしかし同じことがまた、観察者の過度に単純化された対極への理解を改め直す機会を与えることもできる。キリスト教とイスラム教、公正な西洋的規準と暗い野蛮人、文明と未開、人間というものと怪物のようなもの、との余りに割り切り過ぎた対応関係がそれである。社会は、舞台に現われたムーア人という他人性に想像のうえで接触し、彼等と異なることを識別し、検証し、その優越性を確めあるいは自らの推測の限界を確認する。それだけではない、ある種の演劇は、顧客に善と悪がいかにしてさまざまの輻輳した方法で人種、宗教、文化的な障害を乗り越えるかを知らしめるのである。これらの劇は、どのようにして文化や想像力が自然の価値や、普遍的な判断基準なるものを形づくっていくかについて多くのことを明らかにするのである。
つまり、Jack D'Amico は、ムーア人を西欧的優越に対するひとつのリトマス試験紙(a litmaus test)に見立てているのです。オセロウはまさに、「自己規制と狡猾な力との闘いを観た観客は、自分が抱いていた人種・宗教・文化の違いについての認識を打ち壊すような場面に直面」させられると。

このようにして、英国の文明社会は異国の人々の価値を自国のそれと比較しつつ、より洗練された、あるいはよく抑制された文化を形成していくのです。それは変革でも、革命でもなく、まさに文明社会における価値の受容と変容の過程であり、進歩の姿であった、ということができるでありましょう。

(Jack D'Amico The Moor in English Renaissance Drama より)

第479夜 - モールおじさん

カール・マルクスのニックネームは”モール”です。これはムーアに由来しています。確かにマルクスは色が黒くてここからニックネームでモールと呼ばれたのもうなずけます。あえてマルクスのニックネームを持ち出したのは、ムーア人の名がマルクス(1818-1883年)の時代になっても忘れられていないこと、そしてその綽名が侮蔑や軽蔑の意味をもって付けられたのでは決してなく、反対に愛称として呼ばれていた、ということを示したかったためです。マルクスの伝記では次のような叙述が見られます。「・・・マルクスはたいへんな仕事をかかえていても、よく時間を見つけては子どもたちと遊んだ。子どもたちは彼の顔色が浅黒く、髪がまっ黒なので「モール」(黒人)と呼んだが、このあだ名は50年代以後はエンゲルスその他の友人たちにもますます愛用されるようになった。」また、マルクスの長女イェニーがドイツの友人あてに書いた手紙のなかでは(父親の病気について)「いまの事態が私たちの愛するモールをひどく苦しめており・・・」、さらにマルクスの最愛の妻を亡くした日に、エンゲルスは「モールも死んだ」と嘆いたことなどが記されています。

(参考:『カール・マルクス』−伝記ー)

第480夜 -  マーシャルの騎士道精神

これまで騎士道精神についての「ハテナ」の理解は、アルフレッド・マーシャルのものが最も有名であるとばかり思っていました。それはマーシャルの講演録に由来したものでした。日本で見られる著作は、杉本栄一編の『マーシャル経済学選集』日本評論社刊のなかに金巻賢字訳「経済騎士道の社会的可能性」として収められています。マーシャルは表題から察しられるように、経済的 騎士道に限定しているため、ヒュームのように歴史的、哲学的な考察には叶いません。けれどもそのマーシャルも次のように記しています。

・・・画期的大発明といふものは、常に自己の仕事を騎士道的愛をもって愛するところの人々によって為されている。・・・創造的な科学は、ただかの創造的な芸術及び創造的な文学を振興せしむるところの力ー騎士道的負けじ魂によってのみ振興せしむることが出来るのである。

しかし今日の企業ではそういう騎士道的な精神でもって仕事をする人はいないでしょう。例えば特許を巡る巨額の訴訟を見ても企業に勤める技術者や研究者が騎士道精神をもって自己の創造を企業のために捧げるというのは時代錯誤に見えましょう。そこでいま一度マーシャルの含意を確かめる必要があります。マーシャルは次のように付け加えています。

現代にあっては、我々の考へは産業の進歩といふことで占められている。即ち自然を駆って製造や運輸の方面において驚くべき働きがなされてゐるのである。しかし、もしも極楽世界において、我々が商業上の新しき方法によってかち得たる生活の向上といふことに話の順が廻って来た時には、我々は中世騎士の如く勇敢に昂然と頭を上げることを為し得ないであろう。私は実業生活の内においてこそ、大いに騎士道が潜んでをり、もしも我々がこれを探ね出して、恰も人々が中世において戦争が騎士道に与へたる如き名誉をこれに与へるならば、更により大なる実業の騎士道があらはれ来るであろうことを述べておきたいと思ふ。

このようにマーシャルの考える騎士道は、どうやら gentilis homo 「高貴な身分の人」を意味するジェントルマンと同義に用いられている、と思われるのです。
このように見て参りますと、ヒュームは、騎士道を、野蛮から妄想、冒険、遍歴、そして次第に(女性への)愛、日常生活のルール、洗練された生活様式にまで高められる課程として、人間本性の原理から愛した姿として描き切っており、マーシャルの考えるものを遙かに超えた深い歴史的洞察に満ちた社会思想家であると、「ハテナ」には思えるのです。

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