なにやら哲学めいたこの表題は、養老孟司先生が「昆虫のパンセ」という題で書かれたエッセイのなかで使われています。パンセとは思想や瞑想のことですからやはり哲学なのでしょう。ただし、昆虫学者でもある氏は、対象を昆虫に向けて次のような哲学?を綴っています。
自然のディテールを見ることが博物学の醍醐味であり、それはつまりロイヤル・サイエンスである。
とこう切り出されて、
いまの科学は、一見細かいようだが、博物学に比べたら、典型的なプロレタリア科学である。電報みたいな文章に、コンピュータが描いた図がついている。これでは「自然」科学というより、「人工」科学というべきではないか。なまじ金ができると、人間が貧乏になる典型である。西洋人ですら、あの幾何学的な庭に草木を植える。
今のホームページの写真やイラストを見ると一様に養老氏の指摘する「人工」的な柄ばっかりでいい加減辟易させられてしまうのは、「ハテナ」だけの視覚でしょうか。虫のひとつひとつまで、克明に写生するのが氏のいうロイヤル・サイエンスであるなら、せめて下手な手製の絵作りでも存在の貧困ではなく実在を見せてやろうではないか、というのが「ハテナ」の願いです。でもやはり”下手糞!”と揶揄されるのがオチでしょうね。
(参照:養老孟司 『続・涼しい脳味噌』 文春文庫 p.208〜209)
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