前夜からの続き

第486夜から第490夜まで

第486夜 - 一冊だけ本を与えるとしたら

ルソーは『エミール』のなかで、エミール少年に本を一切与えなかったそうです。その訳は、感覚的観念に先立って記号だけを与えても意味はないという原則からでした。ところがエミールが 12 歳になって、今度は一冊だけ本を与えることとしました。それがロビンソン・クルーソ物語でした。ルソーは以下のように述べています。
その本だけが長い間エミールの本棚を占めるような本・・・自然科学に関する我々の話はすべてその本の注解となるようなテキスト・・・その素晴らしい本とは何か。アリストテレスか。プリニウスか。ビュフォンか。いや、違う。ロビンソン・クルーソーだ。
確かにこれはロビンソン物語に寄せられた最高の賛辞であります。だが一方、これによってロビンソン物語は子供の読み物として定着してしまったことも否めません。

(参考: 岩尾龍太郎『ロビンソン変形譚小史』 p.72より)

第487夜 - ロビンソン・クルーソーとガリバー旅行記

『ロビンソン・クルーソー』はデフォー作で1719年。『ガリバー旅行記』はスウィフト作で1726年の刊行です。ほぼ同時代に出ましたこの二つの作品はいろいろな意味で対照的です。ロビンソンの方は、現実性を強化しながら想像力を発揮するのに対し、ガリバーの方は、現実性を無にした幻想的な想像力を駆使しています。言葉を変えれば、ガリバーは「異言語文化習得能力を発揮しすぎて漂流先の文化に同化してしまい社会復帰に困難を示す」のに対して、ロビンソンは「頑なまでに異文化から何も学ばず自己同一性に固執する」のです。
ガリバーのように「どこにもない場所」があるという非在郷(ユートピア)を表わす発想ではなく、既にあるものを器用仕事で再利用してゆく混在郷(ヘテロトピア)を描くロビンソン、そこには緩やかに老いながら自立を図るロビンソンの姿があり、単なる空想の世界ではないように思われます。

(参考:岩尾龍太郎 同上書 p.52-53. p.190. より)

第488夜 - ドリトル先生のこと

ドリトルの名前の謂れは、do little (頑張らない)から来ているのは何故なんだろう?と従来から不思議に思っていましたら、この疑問は岩尾氏の『ロビンソン変形譚小史』で解けました。この書によりますと、H・ロフティングの「ドリトル先生シリーズ」のなかの『ドリトル先生航海記』に鍵があるようです。この書は内部に空気が詰まった「漂流島」がクジラに運ばれ、パンクし、浅海で着底します。そこで海の生物と「魚語」や「貝語」で会話して、道徳臭のまったくない人間と動物の交流の寓話を描くのです。大戦によって多くの「少年」冒険小説が出ましたがこれに反して「頑張らない do little 」ドリトル先生は別の児童文学を開拓していったともいえましょう。

(岩尾龍太郎 同上書 p.147 より)

第489夜 - 勝者と敗者

ローマとカルタゴとが戦った第一次・二次ポエニ戦役は、ローマの勝利に終わりましたが、ローマにとっての敵将ハンニバルの余りにも見事な戦いぶりにこの戦役を敵方の名前を敢えて付して「ハンニバル戦記」として描くことが多いのです。この戦争後のローマが打ち出した講和の条件は、今日の歴史問題にとって興味深い点があります。というのは、ここには勝者と敗者しかいないということです。どちらが正義であったか、敗者はいかに不正義であったか、などに分けられていません。だから、戦争が犯罪であるとは言われていないのです。もしも戦争犯罪者の裁判が行われていたなら、ハンニバルが真っ先に挙げられたでありましょう。ハンニバルは自国のカルタゴでも裁判にかけられていないのです。
ローマがカルタゴとの間に結んだ講和は厳しくはありましたが、それは報復などという性質をもつものではありませんでした。ましてや正義が非正義に対して懲らしめるものではなかったのでした。ポエニ戦役は紀元前264〜241年、紀元前205〜201年の二度に亙ってローマの命運を賭けた戦争でした。でも今日のように正義論で争われたものではなかったことを教えています。

(参考: 塩野七生 『ローマ人の物語』 5 より)

第490夜 - 視覚の貧困は存在の貧困を生み出す

なにやら哲学めいたこの表題は、養老孟司先生が「昆虫のパンセ」という題で書かれたエッセイのなかで使われています。パンセとは思想や瞑想のことですからやはり哲学なのでしょう。ただし、昆虫学者でもある氏は、対象を昆虫に向けて次のような哲学?を綴っています。

自然のディテールを見ることが博物学の醍醐味であり、それはつまりロイヤル・サイエンスである。
とこう切り出されて、
いまの科学は、一見細かいようだが、博物学に比べたら、典型的なプロレタリア科学である。電報みたいな文章に、コンピュータが描いた図がついている。これでは「自然」科学というより、「人工」科学というべきではないか。なまじ金ができると、人間が貧乏になる典型である。西洋人ですら、あの幾何学的な庭に草木を植える。

今のホームページの写真やイラストを見ると一様に養老氏の指摘する「人工」的な柄ばっかりでいい加減辟易させられてしまうのは、「ハテナ」だけの視覚でしょうか。虫のひとつひとつまで、克明に写生するのが氏のいうロイヤル・サイエンスであるなら、せめて下手な手製の絵作りでも存在の貧困ではなく実在を見せてやろうではないか、というのが「ハテナ」の願いです。でもやはり”下手糞!”と揶揄されるのがオチでしょうね。

(参照:養老孟司 『続・涼しい脳味噌』 文春文庫 p.208〜209)

経済学物語へ戻る