アメリカの経済学者であり思想家でもあるハイルブローナーがその著のなかで二つの「無言の不況」という言葉を使っています。これが何を意味するかを「ハテナ」流に理解しますと以下のとおりです。
第一の「無言の不況」は、資本主義が今後どうなっていくかについての無言の不況が存するということです。なるほど社会主義は敗北したが、果たして資本主義が勝利したといえるのかどうか、という無言の不況下に置かれている、ということであります。
第二の「無言の不況」は、個人の幸福についてであります。福祉国家が崩壊しつつあるなかで、医療、年金などの社会保障制度に対する不安が大きくなって来ており、経済が繁栄しても個人の幸せを保証してくれるかどうかという、「無言の不況」であります。この第二の不況は、もはや無言といえず明らかに顕在化しているといってもよいでしょう。
そしてハイルブローナーは、フランスの経済評論家シスモンディ(Simonde de Sismondi)がイギリスについて述べた次の言葉を引用しています。
・・・富がすべてであり、人間はまったく問題にならないのか。・・・事実そうならば、国王だけが島に残り、絶えずクランク(crank 回転軸:ハテナ注)を回して自動機械によってイギリスの全生産物を産出することを願うしかない。
ここでの国王は誰か。「ハテナ」は、権力者あるいは勝ち組と置き換えて理解しています。
(参考:ロバート・ハイルブローナー『未来へのビジョン「遠い過去、昨日、今日、明日」』)
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