引き続きもう少しアランの謦咳に接してみましょう。アランはどうやら生産、労働を重んじているようです。生産や製造の技術は販売の技術よりもはるかに進んでいる、として、次のように言っています。
われわれは生産をする場合には賢明なのに、売るとか買うとかいう段になると、なぜ、猿のように、目先が利かず、貪欲で、軽はずみで、忘れっぽいのか、と。生産に携わる者は、怠け者を追い出し、作業過程を削り、規格を統一し、力を集中する。ところが商業は、われわれの富を空中に放り・・・飛行機の煙で名前や値段を描いたりする。仲介業者が繁殖し、広告代理人が駆け回る・・・。無益な労働は産物を残さない労働だとアランは言い、なぜそんな無益な労働があるのか、それは商業が賢明になれないからだ。なぜ賢明になれないのか。それは買い手の奔放な想像力に規律がないからだと断じます。そして、
”生産は科学によってなされ、販売は魔術によってなされる”と締めくくっています。
だが待てよ、こう言うと商業やサービス業に携わる人々から猛烈な反論が出るでしょう。われわれが居ればこそ売り上げが増進し、われわれが消費者のニーズや満足を適切にキャッチするからこそそれに基づいて生産が行われるのだ等々と。一つの会社の中でも営業畑と技術畑とで意見の対立を経験された方々も多いでしょう。
そこで「ハテナ博士」はこう考えております。つまり、アランという人は今日のような情報社会の時代に生きた人ではなく、かつての良き時代、美しい田園での生活への郷愁をこよなく持ち続けた思索家ではなかったか、と考えます。
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