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前夜からの続き

第121夜から第125夜まで

第121夜 - 解けない問題

数学の問題を解くとか証明するということは、解があるのが普通です。ところが経済学の問題で解けないことを証明した有名な事例があります。ケネス・アローという経済学者が若くして発表した論文で、これはアローの一般可能性定理と呼ばれています。つまり社会厚生関数なるものは存在しえないということを証明したから大変です。社会厚生関数とは、国民個人々々の豊かさや貧しさを、社会全体の厚生とに関連づけて解けないか、という問題提起でした。アローはそのような社会厚生関数は存在しない可能性を提起したのです。難し過ぎて「ハテナ」は判りませんからその骨子だけを簡単な例で示しましょう。いま、個人Aさんと個人Bさんの二人がいて、考えられる社会状態が X, Y, Zの三つがあるとしましょう。AさんはX,Y,Zを次のような順番で望ましいと考えています。

 Aさん → X > Y > Z

またBさんはAさんと違って次のような選好をしたとしましょう。

 Bさん → Y > Z > X

これを集計して Y と Z と X のどれが望ましいかを探ってみましょう(集計するということは社会的な合意を求めるということですね)。そのために採られる手段は民主主義の多数決のやり方がありますね。これに従いますと、

まず、X と Y とでは、1 : 1 で同点です。Y と Z では、2 : 0 で Y が選ばれます。最後に、Z と X で多数決をとると 1 : 1 で同点です。これらの結果を総合しますと、社会全体としてどれが望ましいかが得られそうですね。まず、X と Y では全く同じ評価でした。次に Y と Z では Y のほうが上でした。ということは X のほうが Z よりも上の筈です。アレ! さっきの投票では 1 : 1 で同じ評価なのに? どうしてもツジツマが合わない! 実は多数決という方法にはこのような落とし穴にはまる可能性があるのです。

何がなんだかさっぱり判らん、とのお叱りを受けるかもしれません。寝心地を悪くして申し訳ありませんが、次の夜でもう少し具体的な例を挙げましょう。

第122夜 -解けない,さてどうする?

前夜の説明に、例えば X,Y,Z を火力発電(X)、水力発電(Y)、原子力発電(Z)で当てはめてみましょう。

A さんは、火力 > 水力 > 原子力 発電の順で望ましいと考えています。一方、

B さんは、水力 > 原子力 > 火力 発電の順で選好していますね。

A さんも B さんも、水力発電を原子力発電より望ましいという点では一致しています。けれども水力と火力では、A さんは火力のほうを、B さんは水力のほうを選好しているのでどちらが望ましいかは決められません。また、火力と原子力でも、A さんは火力を B さんは原子力を望ましいと考えているのでどちらを選好するかを決めることはできません。

このように具体的な例を引きますと多数決の原理では決められない場合が出てくるのです。

ということはアローの言うとおりにすれば民主制をあきらめなければならないというメッセージなのでしょうか?いやそうではありません。上のような機械的なやり方では決まらなくとも、話し合い、協力、対話という手段によって解決することが重要だと訴えているのかもしれません。自分の価値観だけに閉じこもって協調を避けることは悪しき個人主義である、と「ハテナ博士」はアローの含意を読み取っています。

(参考:水力、火力、原子力発電の例は、山崎好裕『おもしろ経済学史』より引用しました)

第123夜 - 民主主義は高くつく

前々夜、前夜にわたるお話で、問題が解けないとき国や社会はどういう態度をとるか、ということをもう一度考えてみましょう。上の発電の例で取り上げてみましょう(あくまで仮定としてのお話で、どれが望ましいかを判断するものではありません)。火力か水力か原子力かを論理的に決定できないとすると、後は二つの方法が考えられます。一つは、エイヤッーとばかり原子力の方を選択することです。これは独裁の道に繋がりかねずこわいですね。今ひとつは、民主主義的な方法で解決を図ることです。例えば火力発電を選好したA さんにたいして火力よりも水力にしようよ、と話し合い、説得することです。A さんがそれに同意或いは妥協すれば三つの電力のうち水力発電に決まりますね。解けない問題はお互い話し合いによって同意点を探る、というのが民主主義のやり方です。社会全体として考える場合、個人の選好はある程度社会的な合意に意見を変える、あるいは修正を探るという手続きが必要となりましょう。このように民主主義は、何度も見直しが必要でそれには時間もかかる、お金もかかる、ということになります。「民主主義の赤字」といわれるのはそういうことなのでしょう。

第124夜 -民主主義の赤字

前夜に関連して「ハテナ博士」が思い起こすのは、ヨーロッパ統合のことです。ご承知のとおり1991年1月1日を期し、単一通貨、ユーローは11カ国でスタートしました。振り返ればこれが実現された経緯は、はるか前のシューマンプラン → ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)(1952) → EEC(ヨーロッパ経済共同体)(1957) → EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)→ EC(ヨーロッパ共同体)(1967) → マーストリヒト条約(欧州連合条約)(1991) → EMU(経済・通貨同盟)(1999) → EU へと長い歴史を刻んでいます。この成立の手続きは実に根気のいる話し合いと説得が重ねられて誕生したものです。一体EU15カ国(現在11カ国)を束ねる政策決定過程における民主主義的手続きがどのようにして行われていったのかは大変興味ある問題です。しかも欧州議会には完全な立法権がないにもかかわらず。もし、民主的選挙による選出が最善を保証しないという民主主義に欠陥があるとすれば、それを克服しながら気の遠くなるような同意を得るための話し合いや、根回しが行われたことでしょう。そしてそれに掛かる費用は莫大なものとなったに違いありません。こうした民主主義はお金がかかる、言葉を換えれば、「民主主義の赤字」としてやむを得ない面があるのです。

第125夜 - Goods と Bads

普通 good は善い、とか良い事という意味ですが、複数の goods になると「財」を意味します。企業が生産する生産物は財(goods)であるというように良いという意味は含まれていないように思われます。ところが bads という用語があり、これは非財といわれています。非財とは耳慣れない言葉ですが具体的には企業が排出する廃棄物を指します。廃棄物には悪いイメージ(bad) がありますね。とすれば、財にはもともと良い(good) というイメージがあったのでしょうか。「ハテナ」には財(goods)には善悪のイメージはないのに、非財(bads) にだけは悪いイメージが付与されているのは何故か?不思議な気がします。財も語源的にはやはり good(良い)のイメージから来ているのかなと思う一方、いや それとも goodsは良いと思いこんで、廃棄物のような悪い物をそれと反対にbadsと名づけたのかもしれません。

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