前夜の説明に、例えば X,Y,Z を火力発電(X)、水力発電(Y)、原子力発電(Z)で当てはめてみましょう。
A さんは、火力 > 水力 > 原子力 発電の順で望ましいと考えています。一方、
B さんは、水力 > 原子力 > 火力 発電の順で選好していますね。
A さんも B さんも、水力発電を原子力発電より望ましいという点では一致しています。けれども水力と火力では、A さんは火力のほうを、B さんは水力のほうを選好しているのでどちらが望ましいかは決められません。また、火力と原子力でも、A さんは火力を B さんは原子力を望ましいと考えているのでどちらを選好するかを決めることはできません。
このように具体的な例を引きますと多数決の原理では決められない場合が出てくるのです。
ということはアローの言うとおりにすれば民主制をあきらめなければならないというメッセージなのでしょうか?いやそうではありません。上のような機械的なやり方では決まらなくとも、話し合い、協力、対話という手段によって解決することが重要だと訴えているのかもしれません。自分の価値観だけに閉じこもって協調を避けることは悪しき個人主義である、と「ハテナ博士」はアローの含意を読み取っています。
(参考:水力、火力、原子力発電の例は、山崎好裕『おもしろ経済学史』より引用しました)
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