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前夜からの続き

第141夜から第145夜まで

第141夜 - 時よ止まれ!

経済学物語も余り経済や金融の話ばかりでは飽きますね。たまには文学の香り高い引用も許されていいでしょう。今夜は、ゲーテの『ファウスト』の(悲劇第二部)からファウストのセリフ・・・・・・
およそ生活と自由は、日々これを獲得してやまぬ者だけが、
はじめてこれを享受する権利をもつのだ。
だからここでは、子供も大人も老人も、
危険にとりかこまれながら、雄々しい歳月を送るのだ。
おれはこういう群れをまのあたりに見て
自由な土地に自由な民とともに生きたい。
そのとき、おれは瞬間にむかってこう言っていい
とまれ、おまえはじつに美しいから」と。

(ゲーテ 『ファウスト』 悲劇 手塚富雄訳 中央公論社より)

第142夜 - 皮肉に聞こえますか

もうひとつ、ゲーテから。

詩人 : はでに光るものは、ほんの 一時 ( いっとき ) つづくだけです。
     真実なものは後世になってもほろびることはありません。
道化 : いや、後世なんて言い草は願い下げにしていただきたいものですな。
     このわたしが後世なんてことをかまっていた日には、
     誰が現世の方々のご機嫌を取り結びますか。
     ところで現世の方々は、ご機嫌を取ってもらいたがっている、
     ご機嫌を取ってあげねばならぬ。

(ゲーテ 『ファウスト』 同上書より)

第143夜 - マタイ効果

情報のマタイ効果とは、情報の集まってくるところには情報が自然に集まり、次第に巨大化してゆくことを言います。その言葉の根拠は、聖書に由来しています。

それ誰にても持てる人は与えられて、いよいよ豊かならん。されど、持たぬ人は、その持てる物をも取らるべし

コンピュータの利用はまさにこの効果が典型的に出ていますね。
でも「ハテナ」にはこの言葉にはあまり親しめません。なぜなら、聖書の言葉どおり、これは貧富の差の拡大を意味するから。また、勝ち組はますます勝ちを謳歌し、負け組はますます負けを意識し浮かび上がりようがありません。独占などはその典型的な例である、と思うのですが・・・。

第144夜 - 資本主義は残る?

もう今の経済には通用しなくなったジョークがあります。ソ連経済が存在していた頃のこと。
革命が成功し完了した暁には社会主義国はどのようにして価格、たとえば貿易価格を決めるのだろうか、という質問に、ソ連のエコノミストはウィンクしながら、「そのために、われわれは一国を資本主義国として残しておくつもりだ」と答えたそうです。

時代が変わって今日は社会主義国にも市場経済が積極的に導入されつつあります。成長著しい中国がそうですし、ここから「市場経済社会主義」などという呼び方がされるようになってきました。上のソ連のエコノミストが言ったジョークが生きた、つまり、もっと積極的に市場経済を導入しようとする動きのなかに「資本主義を残しておいてよかった」という彼らの皮肉が見られるのでしょうか。

他方、今日の資本主義の余りの無規律性に業を煮やす「ハテナ」は、逆説的に言って、どこかに模範的な社会主義国を残しておいても良かったかな、と思うほどです。これほど滅茶滅茶な、バラバラな、節度のない資本主義の今日の姿を見るからであります。

(エコノミストの引用は、W.カール・ビブン 『誰がケインズを殺したか』より)

第145夜 - 情けに報いる

「情報」とは情けに報いることです。本当?でも漢字ではそう読めますね。これはどういうことでしょうか。情報産業は無限の可能性を獲得することができましょう。しかしその獲得には恐ろしく労力と時間を要します。無限の時間を投入して自分の目的にフィットした情報を検索することを厭わない人にして始めて求められるほかはない。人の情けが千差万別であることから、それを満足させる情報は無限の可能性を検索することによってしか見つからない。それでは余りに空しい。そこで情報とは「情けに報いる」ようお互いにに交換し合い交流を深めることなのだと「ハテナ」は学ぶのであります。

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