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前夜からの続き

第151夜から第155夜まで

第151夜 - 裁量かルールか

経済状況に応じて政策を調整することを裁量的政策といいます。一方、経済を安定的にするためあらかじめ決められた政策ルールにしたがうことをルール的な政策といいます。金融政策で議論されるのは、この裁量政策が望ましいか、ルール的政策が望ましいかについて意見が異なるからです。景気の状況を見ながら引締め政策をとったり緩和政策を行ったりするのは裁量政策です。これに対して、貨幣量を一定の率で拡大するようにしたり、インフレターゲティングを導入して物価目標の範囲内に上昇率が収まるように金融政策を運営することはルール的な政策でしょう。政策主張者にも裁量かルールかに意見が分かれます。伝統的なケインズ派は、裁量的な色彩を持っているのに対し、マネタリストや新古典派のマクロ経済学者はルールに基づく安定的な政策を好ましいと考えます。これは何も金融政策に限ったことではありませんが、歴史的には1800年代後半に有名な通貨論争が起こり、通貨学派と銀行学派に分かれて大きな論争が起こったことを今でも引きずっているような気が「ハテナ」にはいたします。

第152夜 - 富が栄えて国滅ぶ?

今夜のお話は、無学をさらけだすようでちと恥ずかしい「ハテナ」の疑問。不思議でならないのは、スペインが中央アメリカから大量の銀を採掘し自国に持ち帰った16世紀のお話し。「ハテナ」はスペインに金銀が流入することは国富が増すことであるのに何故スペインは衰退したのか?という疑問です。これに対する模範解答は、これまででは次の通りのはずです。1580年代まで貴金属の流入はスペインに強い利潤インフレをまきおこしたが、賃金がそれに伴って上昇し、価格の上昇を上回ってしまい、利益が損失に転じてしまったからだと。けれども、「ハテナ」はこの解答に満足していません。当時、貴金属は貨幣と同様の価値をもち、最終的な決済として最も信頼されていました。その貴金属が増えるのは少なくとも当時にあっては国の富を代表していたはずです(スペインが中央アメリカから略奪に近い方法で貴金属を持ち帰ったその是非はここでは問いますまい)。またそれによって賃金が上昇するのはその国の国民にとって豊かな生活が出来ることを意味します。でもその結果スペインは衰退した?というのは納得ができないのです。確かに貴金属の流入は価格の上昇を招きます(貨幣数量説の考え)。でも豊かになって国が滅ぶ(衰退する、低迷するという意味であって、スペインが無くなってしまうことではありませんが)のは、何かもっと他に原因があったのではないか、と考えられるからです。前から何故、何故?と疑問に思っていた事柄ですが、この問題を真正面から採り上げた研究者は未だ居ないように思えます。そんならお前が調べろ!ここで「ハテナ」は参った、と白状する。何しろスペインへ行って当時の現地資料をつぶさに調べる要があるからです。どなたかご存じありませんか。

第153夜 - 勝者の災い

たとえばオークション(競り)を見てみましょう。競りを落とすために出された品に対して購買者は過大評価したり過小評価したりしてそれぞれの落とし値を予想します。もし過大評価して競り勝ったとしても損失をこうむる可能性がありましょう。オークションに参加した者(例えば企業)が冷静な判断をせず、恐怖と欲望に似た熱狂で競り落とせば、競り値は法外に高くなります。このことは、「勝者の災い」(winner's curse)と呼ばれます。勝負に勝って却って災いを残す、という含蓄のある言葉ですね。これを防止するために、セカンド・プライス・オークション制度が導入されたりもします。これは、オークションにかけて、一番高い金額を提示した参加者がその商品を競り落としますが、彼の支払う価格は彼の次に高い提示金額というようにセカンド・プライスなのです。ではセカンド・プライスで決まるのだから、自分は高い価格をオファーしてもいいと考えるのか、いやいやそうではありません。例えばある参加者がこの商品に10万円の評価をつけていたとしましょう。彼は10万円より低い金額ではオファーはしませんよね。何故なら競り落とされる金額は彼の次に高い金額ですから、そんな低い金額を提示してオークションに負けるようなことはしないでしょう。では一方10万円を超える金額を提示したらどうか。これも合理的ではありません。もし彼の次に高く提示された金額が10万円を超えていれば、自分の評価より高い金額を支払わされることになりますね。(勝者の災い)。結局このようなセカンド・プライス・オークションの場合には、自分の評価を正直に書き込むのが合理的であると言えるのです。

(伊藤元重:『経済学的に考える』を参考にしました。)

第154夜 - 弱きを挫き強きを助ける?

高杉良の企業小説『乱気流』のなかで、こんな会話が綴られています。「・・・経産は弱きを挫き強きを助けるのか・・・」。経産とは作者が付けた巨大新聞社のことです。ある企業を記事にした箇所のすぐ下の広告欄に、その企業のコマーシャルを載せるのは、いかにもその企業に肩入れしているかのように受け取られても仕方がない、という趣旨のことでした。つまり記事と広告とのタイアップは読者に誤解を与えるということでしょう。新聞は社会の木鐸である、とかペンは剣より強し、とかよく言われますが、これでは真実を報道することにはならないと、作者はフィクションで訴えているように思えるのです。

(高杉良:『乱気流』上下 講談社より。上記のお話しは上巻のp.311〜p.314.に出ています。)

第155夜 - 逆説

逆説とはまずもっともな前提からはじまります。その前提からとんでもない結論が導き出されるのです。一見文句のつけようのない論証なのにそれが矛盾することに人は何故?といぶかり、アッ、そうか、とそのカラクリを見抜いて喜ぶゲームのようなものです。『パラドックス大全』のなかで、たわいもない逆説の一例から始めましょう。

1. x = 1 とする。
2. 当然 x =  である。
3. 両辺を平方して x2 = x2 となる。(x2 とは、x の 2乗のことです。以下も同様です。見難くて済みません)
4. 両辺から
x2 を引いて x2 - x2 = x2 - x2 である。
5. 両辺を因数分解すると、
x ( x - x ) = ( x + x ) ( x - x ) となる。
6.
- x で約分すると x = ( x + x ) となる。
7. すなわち
x = 2 である。
8.
x = 1 なので、1 = 2 である。

さて、この証明はどこが誤っているでしょうか。答えは、次夜でいたします。

(ウィリアム・パウンドストーン:『パラドックス大全』世にも不思議な逆説パズル より)

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