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前夜からの続き

第156夜から第160夜まで

第156夜 - 演繹と帰納

帰納という考え方の代表的な例としてしばしば挙げられるのは、カラスです。一羽のカラスは黒い。二羽目のカラスも黒い・・・・・・黒くないカラスは見あたらない。そこで「すべてのカラスは黒い」という結論を出す。これが帰納法による推論です。でも、10万羽のカラスを見て、それがすべて黒でも、10万1羽目のカラスは白いかもしれない?白くないことを証明する論理的な必然性はない、というわけです。
これに対して演繹という考えは、与えられた事実から結論を論理的に引き出そうとします。有名な例は、
すべての人は死ぬ。
ソクラテスは人である。
ゆえにソクラテスは死ぬ。
というのがありますね。最初の二つは与えられた前提で、そこから「ゆえにソクラテスは死ぬ」という結論を導き出します。でもこれも何だか変ですよね。この調子で行くと何でも三段論法で説明できます。例えば
すべての銀行家は金持ちである。
ロックフェラーは銀行家である。
ゆえにロックフェラーは金持ちである。etc.etc.
この場合のように、前提によって演繹課程は違わないことです。ソクラテスだろうとロックフェラーだろうと同じことですね。そこである偉い哲学者はこんな皮肉を言っています。

論理学の本は二部に分かれる。第一部は演繹に関するもので、そこでは過ちについて説明される。第二部は帰納に関するもので、そこで過ちが犯される」と*。
*『パラドックス大全』p.28〜29.

(ウィリアム・パウンドストーン:『パラドックス大全』世にも不思議な逆説パズル より)

前夜の答え:5番目の、x ( x - x ) = ( x + x ) ( x - x ) は、1 × 0 は、2 × 0 に等しいということになりますね。また、6番目の( x - x )で割るところにも誤りがあります。これは0で割るということです。

第157夜 - なぜ風が吹くと桶屋が儲かるのか?

前夜からの類推で、「ハテナ」はふと、昔から言い伝えられている「風と桶屋」の話を連想してしまいました。この話の類はウェッブ上にゴマンとあります。その中に見事に現代風にアレンジされたものをウェッブから拝借しますと次のようになります。

風が吹くと、砂ぼこりが立つ。
砂ぼこりが立つと、目にゴミが入る。
目にゴミが入ると、涙が出る。
涙が出ると、いっしょに鼻水が出る。
鼻水が出るとティッシュで鼻をかむ。
チィッシュで鼻をかみすぎると、鼻の下が真っ赤っかになる。
真っ赤っかになったらひりひりする。
ひりひりしたら、水で冷やす。
水で冷やしたかったら、水道を探す
水道を探すには、あちこちウロウロする。
ウロウロしてたら、怪しまれる。
怪しまれたら、おまわりさんが来る。
おまわりさんが来たらびっくりする。
びっくりしたら、心臓がどきどきする
心臓がどきどきしたら冷や汗が出る
冷や汗が出て体がべたべたしたら、お風呂に入りたい。
みんなが銭湯にさっとうしたら、風呂桶が足りない。
足りなかったら、注文しないといけない。
注文された桶屋さんは丸儲けとなる。

(http://www2.plala.or.jpより)

第158夜 - 正調桶屋節

前夜で見事な桶屋さんの例を紹介しました。オールド派の「ハテナ」には矢張り三味線が出てこないと落ち着かないのです。そこでくどいようですが同じウェブで元のお話をお伝えしておきましょう。

まず風が吹くと、砂ぼこりが舞います。
と、砂が目に入る人が出てきます。
そうなると、運悪く、目が不自由になる人もいるわけです。
昔は、目が不自由になると、三味線弾きになる人が多かったんです。
ですから、三味線の需要が増えます。
三味線の需要が増えると、その材料となる猫の皮の需要も増えます。
そして、江戸の町に、猫がいなくなると、ねずみが増えます。
ねずみが増えると、桶がかじられちゃいます。
あっち、こっちの家で桶がかじられて、穴があくので、
桶屋が儲かるのです。

どうですか。現代語で語られていてもこちらの方がクラシカルですね。

(http://www.yamanashi-bc.jaycee.or.jp)

第159夜 - 老婦人がお好き?

イングランド銀行の設立は1694年ですから、もう300年を超える歴史を持っています。イギリス人はこの銀行に”スレッドニードル街の老婦人”なる愛称を奉っています(スレッドニードル(Threadneedle)は街の名前です)。そういえばかの古典派経済学の集大成者とも言われるJ.S.ミルも、”何でも知っている老婦人”とのニックネームが付けられています。いくらなんでも男性に老婦人とつけるとは。いかにも英国らしい気品をもつが、若干風刺をこめたこの”老婦人”という言葉は、英国人にとってお好みの愛称なのですね。なお、イングランド銀行の正式な名称は、The Governor and Company of the Bank of England です。

第160夜 - ユートピア

ユートピアとは理想郷とか桃源郷とか言われ、決して実現しない理想のくにを指す言葉と「ハテナ博士」は考えております。何故なら、そのような理想郷がもし実現してもその途端にそれはユートピアではなく現実の世界となるからです。そうですからユートピアはその言葉の持つ意味において永遠の理想なのです。現実に存在しないそんなユートピアなど何の意味があるか、とおっしゃる方もいるでしょう。いえいえそうではありません。クマーという人はその著書*で次のような名文をものにしています。

ユートピアニズムについての最も品格のある言明の一つと言えるもののなかで、オスカー・ワイルドは次のように書いている。

”ユートピアを含まない世界地図は一瞥にすら値しない。なぜならそこには人間性がつねに立ち寄る国が欠けてているからである。人間性がそこに立ち寄るとき、それは外に目を向けより良き国を目にして、出帆する。進歩とはユートピアの実現なのである。”

”われわれが幻想と呼ぶものはしばしば実際には、過去や現在の現実のより拡大されたヴィジョンー世界の諸力を広く一掃した人間の魂の意志的な運動ーであり、一つの生活の転換よりはむしろ大胆な目標へと向かう運動である。”

そしてクマーは著書の末尾で、「ユートピアを含まない世界地図は、一瞥にすら値しない」と締めくくります。

(クリシャン・クマー、菊池理夫・有賀誠訳『ユートピアニズム』より)

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