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前夜からの続き

第166夜から第170夜まで

第166夜 - 『国富論』出版百年記念

『国富論』が刊行されたのは、1776年でした。その100年後の1876年5月に、百年記念として当時の「経済学クラブ」で盛大な晩餐会と特別討論会が開催されました。そこで「ハテナ博士」が意外に思ったことがあります。経済学の父と云われるアダム・スミスを讃える会と受け止めるのが普通でしょう。ところが早くもスミスへの疑問が打ち出されたことでした(もちろん称賛の声もありましたが)。何故か?自由貿易原理を軸とする古典派経済学への限界がもう指摘されているのです。この記念会を機に、逆に古典派経済学の衰退の兆しが見え始めたのです。例えば古典派経済学に代わる、いわゆる歴史学派の台頭も見られます。”古手の頑固な自由放任主義者”に対する新手の理論が目立ち、この記念会は皮肉にも意見の一致よりも不一致の方が目立つようになったのです。100年の間にもうすでに状況が変化し、19世紀後半にはさまざまな矛盾が出始めたからです。社会の状況が変わればそれに反映して新しい経済学も生まれます。経済学だけでなく思想も新しい装いをまとって登場します。その点で19世紀の後半こそ、進歩と腐敗、自由と平等、豊富と貧困、とがごっちゃまぜになった時代としてとても興味ある問題提起として捉えられるでしょう。

第167夜 -名誉革命の意味

英国の歴史には二度に亙る革命を経ています。一つはピューリタン革命(1642〜1649年)、もう一つは名誉革命(1688年)です。ピューリタン革命は、国王ジェームズ世が国王の権力は神によって与えられるという王権神授説を唱えたため、オリヴァー・クロムウェル率いる議会軍が国王軍を破った革命でした。清教徒革命とも呼びます。しかし、チャールズII世が1660年に再び国王となって、清教徒革命は終了します。これを王政復古といいます。そしてもう一度の革命が1688年の「名誉」革命です。なぜ「名誉」と名づけられたのか。革命に不可欠な暴力を伴わずに成就したから、というのが通説です。紛争と対立を暴力と流血によらず解決したからです。それはどうして可能となってのでしょう。面白い見方は、暴力を回避できたのは最初のピューリタン革命のような内乱や王政復古の下に味わった幻滅にあるからだと、歴史家のトレヴェリアンは言うのです。ある程度の幻滅は人を賢明にさせる、1688年が平穏に終わったのはこの分別のおかげだと言うのです。だから「名誉ある革命」は「分別ある革命」と呼ぶのがふさわしいと指摘しています。けれども一方で幻滅は人を賢明にもさせるが無気力にもする、つまりシニシズムにも通じるのです。水谷三公氏はこれを「シニシズムの革命」とまで命名するのですがちょっとそこまでは付いていけないなあぁ〜。

(参考:水谷三公『英国貴族と近代』持続する統治

第168夜 - 国王はお雇い外国人

伝統あるイギリスの歴史で「ハテナ」に不思議に思われることは、イギリスの国王に外国人がなることです。前夜の名誉革命で、国王ジェームズK世は議会と激しく対立したため、議会はオレンジ公ウィリアムを国王にいだきます。このオレンジ公はオランダから迎えたのでした。時代は下ってジョージI世もドイツのハノーバー公から迎えられました。オレンジ公のときから”国王は君臨すれども統治せず”(The King reigns, but does not govern)という慣わしとなるのでした。ここから君主は自己の栄光を一貫して追求することは困難になります。前夜の水谷教授は、これに関して、「政治とは、一面において不合理なほどの楽観を必要とするものなのだ」と指摘し、続いて王政の世俗化が人々に受容されていくとして、「血脈正しい皇太子にかえて外国人をお雇い国王とすることも便利ならば受容する。それで政治の安定がえられるなら正統論にかかわらず制度を構想する余裕も生まれる・・・・・・」と解されているようです。あの伝統を守り、慣習を大切にする英国が、一面では醒めた感覚を持ち、他方このような鷹揚な考えを持って国籍の如何をも問わない姿勢が「ハテナ」には今もって解せないのであります。

(参考:水谷三公 同上書より)

第169夜 - インタレストはどういう意味?

経済学特に英語圏で用いられるインタレスト(interest)の意味はさまざまに使われています。すぐに利子、利益としては狭すぎるように感じます。インタレストには、利子、利益のほかに、関心という意味や、そのほか影響とか影響力とかいう用法もありますので注意して訳さなければなりません。例えば、monied(moneyed) interest といえば?・・・金融階級のことですね。どうしてそうなの?先ほどの影響という用法に関連して、利権、その影響力、そこから利権によって形成された人脈、地磐、評判など広範な意味に用いられるからなのでした。ですからマニイド・インタレスト(moneyed interest)とランディット・インタレスト(landed interest)を、金融利益と土地利益というよりもずばり金融階級と地主階級としたほうが適切であると思うのですが・・・。

第170夜 - 重農派経済学の土地重視

フランスから出来した経済学説で最も古典的なのは、重農主義の経済学であります。読んで字のごとく農業を重視し、農業から作られるものが唯一の価値(富)であるという学説です。これに対して同じフランス人でも反対者がいました。ヴォルテール(1694〜1774)がその人で次のようないかにもフランス式のウィットに富んだエピソードがあります。敢えて古い言葉で言い表してみましょう。

徴税吏は予に対し、土地から揚がる小麦と大豆に対しその価格の半分を租税として収めよ、と言いおった。予は小麦と大豆それに貨幣も持っておらぬによって牢獄に入れられた。骨と皮ばかりになって牢獄から出ると、途上肥満した紳士に逢った。予は昔なじみのその紳士に尋ねた。君は収入の半分を国家に租税として払っているや否や?と。紳士は呵呵大笑して曰く、予の財産は政府証券や手形であって土地ではない、土地は唯一の純収入を発生すべき根源であるから租税がかかるのよ。我輩の財産たる証券や手形は交易の手段たるだけであるからこれに課税さるべきでない。貴公は土地の生産物である小麦や大豆を収入としているから税金を取られるのよ!

これはもの凄い皮肉といわざるを得ません。なぜなら、重農学派の根本的な主張、つまり土地の純収入(product net)と単一税(impot unique)を嘲笑しているからです。確かに重農学派は土地(自然)を重視し不労所得を軽視している点で今日にも通ずる確かな貢献をしましたが、土地のみが価値を生むとしたことから上のような逆説、すなわち価値を生むものに税金がかかる、価値を生まないから税金は生じない、という皮肉をヴォルテールによって投げ返されたのでした。

どこでもいつでも、課税のがれの言い訳は大なり小なりあるもんですね。

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