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前夜からの続き

第176夜から第180夜まで

第176夜 - 見えざる握手

労働市場には株式市場のように具体的な市場というものは見えません。あるとすれば差配人が毎朝雇う日雇い労働者か、ハローワークの職場、新人の就職活動の場くらいで、殆どは企業と被雇用者との間での交渉(面接など)で就職が決まります。そうしますと今のような不況の時には被雇用者が概して不利と見られるでしょう。ところがそうでもない重要な側面があります。もし雇用が新鮮な果実を売るような市場のように需給で決まりますと、被雇用者側はもちろん雇用主にとっても長期的に安定した人材(熟練のような雇用期間)が得られにくくなりましょう。そこで雇用主と被雇用者との間に日々の市場によらない契約が交わされるのです。これを暗黙の契約理論といいます。雇用のリスクは雇用主と被雇用者の双方にあるのですから、雇い主は労働者にリスクを軽減させてやる代わりに安定した長期の雇用契約を結ぶことが有利だと考えます。暗黙というのはそうゆうことを必ずしも書式にしないということです。この理論の有力な提唱者は、アザリアディス(C.Azariadis)等ですが、雇用関係は暗黙のうちに書式には書かれないが、雇主・労働者双方の行為を強制することなく成立するのだ、として雇主と被雇用者の関係は、”見えざる手”(invisible hand)によってよりも、”見えざる握手”(invisible handshake)によって特徴づけられているのです。

第177夜 -不況対策は信用の引き締め?

今どきの不況下にあって表題のようなことを言うのは気違い沙汰か、経済学を何にも判っていないものとして一笑に付されてしまうでしょう。これはケインズの登場以来、貨幣的な拡大によって景気を刺激し雇用を増大させることができる、という通念が余りにも常識になってしまったからです。ところがここにケインズに対抗する重要な人がいたことが忘れられようとしています。ハイエクがその人です。ハイエクはずばり、銀行の信用創造が不況の原因だと言うのです。したがって不況対策は、何よりも信用を引き締め、貯蓄を奨励するようなものでなければならない。わたしたちの自発的な貯蓄の量を超えて投資が行われるから不況が起こるのだ、と。この考えはケインズ政策が有名になったため、いったんはお蔵になってしまいましたが、現在再考に値するかも知れません。ハイエクは、ケインズのような政策は単にそれぞれのグループの既得利益を擁護するためにあるとして、「社会的正義」の立場から、次のように言うのです。

「私が明らかになしえたと願っていることは、『社会的正義』という言葉が、大半の人々がおそらく感じているように、恵まれない人々に対する善意の無心な表現ではなくて、真実の理由を与えることができない何らかの特殊利益の要求に合意すべきであるという不正直な制度になっているということである。もし、政治的議論が正直になるべきであれば、その用語が知的にかんばしいものではなくて安手のジャーナリズムの証であることを認める必要がある。一度、その空虚さが認められるならば、それを使うことは不正直であるから、責任ある思想家はそれを使うことを恥じて然るべきなのである。・・・・・・」

(根井雅弘 『経済学のたそがれ』より)

第178夜−ああ!デリバティブの無情

『ああ無情』に引っ掛けてデリバティブの世界を覗いてみましょう。すこし(いや大分)資料は古いのですが、世界でどんなにお金が回りまわっているかについての引用です*。

現代の銀行システムは、もはやオックスフォードやハーバード出身のきまじめな人達が営しているわけではない。莫大な賭け金をもって、世界最大のカジノの席についている28歳かそこらのディーラー達の意のままになっているのだ。
 金融デリバティブは、1970年代初期にスタートし、96年には54兆ドルの産業にまで成長した。1ドル紙幣をつなぎ合わせると、地球から太陽まで66回行き交うほどの量だ。地球から月までの距離でいえば2万5900回、英国の経済規模の約60倍、米国と日本を合わせた経済規模の6倍にも達する。また、世界のすべての株式市場と債券市場の合計の何倍にも及ぶ・・・・・・。

デリバティブは、原子力のようなものだ。すべてがうまくいっている間は、原子力のメリットは図り知れない。クリーンで安い電力を供給してくれ、生活は快適そのものだ。しかし、活用を誤れば、チェルノブイリ原発事故級の想像を絶するほどの恐ろしい事態を招く。デリバティブもこれと同じで、予想もつかないような金融大惨事を引き起こす可能性を秘めているのだ。

アメリカで1970年代から研究開発されたこのデリバティブは、日本ではニクソンショック(1971年)直後の頃。そのころデリバティブの名を知っていた人はいたっけ?

(*リチャード・トムソン『デリバティブの非情な世界』より)

第179夜 - 鏡の迷宮?

もう少しデリバティブのお話を。電子取引はコストも安く迅速であります。かつてクライスラーが株式分割を行った時、このニュースがトレーディングルームに届いたのは、ニューヨーク証券取引所が知ってから20分後でした。この時間は今や6光年にも相当すると言われます。ではもう取引所という場所は必要でないのでしょうか?ちょっと例は悪いが、街頭で見ず知らずの人と賭けをして勝った場合金をもらえるかどうかはわかりませんが、カジノで賭けをすれば必ず金がもらえるように、やはり取引所は必要でしょう。「デリバティブ取引は疑いもなく、得体がしれず、複雑で、最も危険な金融取引である。現実が歪曲され、誰も自分がどこにいるのかわからなくなるような鏡の迷路である。世界のほとんどのデリバティブ取引は、まさに、こうした店頭市場で行われている」と前出のトムソンは指摘します。

ブラックとショールズによって開発され、ノーベル賞(ショールズ)まで授与された、このデリバティブのような金融派生商品は、まさに両端の刃といえましょう。

(リチャード・トムソン 同上書より)

第180夜 - フィジオクラシーの意味

第170夜の「重農派経済学の土地重視」のお話しで重農主義って言葉は一体どこから来たの?という疑問が出るかもしれませんね。今夜はその補講です。
そもそもこの言葉の原語は、physiocratie フィジオクラシーで、1767年にケネーによって初めて使われました。もともとの語源は、ギリシア語の py u ( ' ) sis  kr a ( ' ) tos から来ています。前のpy u ( ' ) sis は自然、後の kr a ( ' ) tos  は支配または力を意味します。したがってphysiocratieは自然の支配ないし自然の力を意味することなどです。ではそれが重農主義と言われるようになったのは、スミスによるのです。スミスがケネーなどの思想体系を agricultural system と呼んだことから、重農主義という名称が用いられるようになりました。

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