ところがこの「自由放任の終焉」を書いたあのケインズが、最晩年の論文で自由放任論者であるアダム・スミスの英知を生かせ、と説くところが「ハテナ」には判らない。ケインズの最後の論文は、「アメリカの国際収支」と題して、『エコノミック・ジャーナル』誌の1946年6月号に掲載されました。そのなかで古典派経済学を古典的な薬が効くと述べ、それに「われわれが非常に疑わしい評価を与えてしまったということは、誤謬、腐敗・愚鈍に満ちた近代主義者の薬物が・・・われわれの体制のなかをいかに大量に流れているのかを示している」と指摘した後、次のような言葉を残しております。
アダム・スミスの英知を打破するのではなく補足するために、われわれが現代の経験と現代の分析から学んだものを用いようとする試みがある。
ケインズが亡くなったのは、1946年4月21日でしたから、この論文は死後掲載された最後の論文であります。遺作ともいえる論文でケインズは何故アダム・スミスに触れたのか?「ハテナ」はこだわります。一説にはケインズの変節という者もおります。そのためケインズの名誉のためにこの論文を差し止めようとさえした人もいます。もう一つの説は、ケインズの電光石火のごとき適応の早さ、鋭敏な感受性を物語るものとして受容します。
「ハテナ」自身は次のように考えています。ケインズは本来当面する短期の問題に対する処方箋に関心を抱いたのです。これに対して古典派は長期的な観点で調和を説きます(だからこそ古典は生き残る!)。だからケインズは長期的には古典派経済学を全て批判してはいないのです。だからアダム・スミスの英知を持ち出したのだと。また一方アダム・スミスも決して自由放任論者としてのみ見ることも間違っているのではないかと。ケインズはこうも言っています。
私は、いまにはじまったことではないが、現代の経済学者たちに是非つぎのことを思い起こさせたいと思う。それは、古典派の教義には偉大な意義をもついくつかの恒久的真理が含まれているということ、そしてわれわれはそれらの教義を、いまでは多くの限定をつけることなしには容認できない他の教義と結びつけて考えてしまうために、今日見落としがちだということ、である。これらの事態の中には、それを均衡に向かわせようとする深い底流が流れており、ひとはそれを自然の力と呼ぶこともできるし、また見えざる手と呼ぶことさえできるのである。