今日主流派経済学と言われているのは、どうやら新古典派経済学(neo-classical school)のことを指しているようです。’どうやら’と言ったのは、誰がどういう資格でいかなる理由で「主流」と決め込んだのか、「ハテナ」には判らないからです。自分の学派を自ら主流派と名づけたい気持は判らぬでもないが、他の学派から見れば何とも奇妙に受け取られるからです。その新古典派経済学には次の二つの弱点が指摘されるでしょう。
1. 経済変化の理論を欠いている
資源や技術、嗜好などの要因は、経済学的な与件ではないとして経済学の対象にしておりません。でも今日のような目まぐるしい技術変化は、一回限りでなく連続的に生じており、したがって経済と無関係などといってはおられません。技術シフトが連続的に起こると経済の均衡がそのたびにズレていきます。つまり不均衡な状態が続くわけであります。新古典派経済学では内生的に均衡の世界を扱っており、不均衡な側面をあまりに無視し過ぎているのです。
2. 「国家」の理論を持たない
新古典派経済学は、アダム・スミス以来の伝統に沿って国家はミニマムの「公共財」を供給し、私的な財の市場には介入しない中立的存在とされています。しかし本来何が公共財で何が私的な財であるかを前以て区別できるわけではありません。国家がなぜ必要か、国家の機能とは何かが問われざるを得なくなります。新古典派経済学は国家の問題を軽視し、経済的自由主義を謳歌しています。とすると今日の国際関係に対するアプローチ、例えば保護主義や開発主義を論ずるにはあまりに弱点が多すぎると言わざるを得ません。
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