第1夜から第5夜まで

第1夜 - 政治経済学のお話

PPolitical Economy のことを 一般に政治経済学と言っております。でもこれは経済学でいいんじゃん、というのがハテナ博士の言い分です。そもそも経済という言葉には、「民」の夫々の頭を取って、「経済」となったのであります。国を統べるのが経国、即ち政治。民を救うというのが済民なのですから、これらをまとめた経済はすでにその中に政治が含まれているもの。その上に政治をつければ、即ち、政治政治経済学となってしまうもね。大抵の大学には政治経済学部などと銘打っていますが、中身は政治学科と経済学科に分かれているだけだそうです。

 因みに、 Economyの語源は、ギリシャのポリス(家計)とオイコス(規範)とが結びついて出来たものだそうで、そうすればこれは家政学のこととなりましょう。この家計を大きく国全体に広めPoliticalと家政学とが結び付いてPolitical Economyとなりました。

第2夜 - 経済学説史は刺身のつまか?

経済学に関するえら〜い人の唱えた学説を解説したり、それらの学説がどのように発展してきたか、また変容してきたか、または進化して来たか、を歴史的に調べたり、その学説の系統図を作ったりする経済学の分野を「経済学説史」、略して「学史」と言います。この領域はアカデミックの社会では研究者は沢山いますが、実務とは縁が遠い、役に立たない、とされて学生の間では就職などに役に立たないと敬遠され気味であります。また学者の間でも、一通りの学説の叙述に終わってしまって理論や政策のより突っ込んだ分析がなされていない、として一部の学者からは、所詮「刺身のツマよ」と揶揄されたりもします。経済学科目の人気度でも、金融、経営、福祉、情報などが人気番組で、経済学史は八番目ぐらいのところ。このように学史は地味な学問ではありますが、しかしわたくし達にもおなじみのアダム・スミスや古典派経済学、新古典派経済学、ケインズ学派などの誕生やその後の展開を知るうえに欠かせない知識を学ぶことができるでしょう。

第3夜 - レモンの市場

rレモン(lemons)とはここでは果物のことではなく、中古車市場のことを指します。なぜレモンと呼ばれるのでしょうか。一般にアメリカ人は酸っぱいものが嫌いです。では中古車がなぜレモンなのでしょうか。それは次のような中古車の例が、「不正直」の経済的費用を論ずるのに適例だからです。中古車を購入しようとする人はその車が良い車か悪い(レモン)車かをよく知りません。一方売り手は車の品質について買い手よりも多くの知識をもっています。ですからもし良い車も悪い車も同じ価格で示されるとすると、良い悪いを知っている中古車販売店は、悪い車を売って良い車に換えるでしょう。その結果良い車は売れない!という変な現象が生じます。これは一種のグレシャムの法則(悪貨が良貨を駆逐する)に似ています。取引されるのは「レモン」(悪い車)で良い車は全く取引されないということになるからです。悪い車が良い車を追い出すのです。これを更に拡大すれば、不正直な取引は正直な取引を市場から駆逐する傾向があるということになってしまいます。

いったい何故、そのようなことが起こるのでしょうか?その原因は、買い手が良い車と悪い車とを区別できず、売り手だけが知っているという情報の非対称性にあります。悪い物を良い物と言い張る人々がいると、本物の事業が駆逐されるのです。このような現象はかなり深刻な影響を及ぼしましょう。

ではどうすればいい?答えは、商品の品質が保証されること。ブランド名による信用を与えること。ホテルやチェーン店のようにどこでも安心して利用できること。医者や弁護士のように免許制度によって保護されること。博士号やノーベル賞など世間から高い信頼に支えられていること、などの対処策が考えられます。

(参考:G.A.アカロフ「ある理論経済学者のお話の本」より)

第4夜 - SARSが蔓延すると

次のお話はあくまで、仮に、とした場合でこれが実際に起こるとか、そうなるととかいったことを申し上げているのではありません。くれぐれも誤解なさらぬようにあらかじめお断りしておきます。ある国に100人の失業者がおりました。そこへかの恐ろしいSARSが初めて侵入するという深刻な事態が発生しそうになりました。そのため失業者の半分は、感染防止マスク製造会社へ就職できました。残りの50人はSARS対策のための広報活動に従事しました。その他万一のための緊急避難病院や、隔離病室などの増設を行いました。この結果、失業はなくなり国民所得も増加しました。

さて、この国は成長したといえるでしょうか?もともとSARSなど心配しなくてよかったときの方が幸せだったはずです。今日の国民経済の福祉厚生はこうした環境汚染対策のための費用がひどくかさんでおります。こうした対策の進んでいる国はそうでない国にくらべ豊かな国とはいえましょうが、本当はもともとそんな心配などなかった時代のほうが幸せであったと思うのは、ハテナ博士が古典派経済学しか知らない無知で役立たずの人間なのかも知れません。

第5夜 - 文学者?ノイマン

 「それはおよそ善き時代でもあれば、およそ悪しき時代でもあった。知恵の時代であるとともに、愚痴の時代でもあった。信念の時代でもあれば、不信の時代でもあった・・・」 ディケンズ『二都物語』の出だしである。ある席で同僚からすすめられたノイマンが、即座に語り始めたのがこの小説であった。しかもその暗誦は15分にも及んだという。記憶力抜群の天才ノイマンを語るエピソードとして伝えられているが、同時に私はノイマンの豊かな感性をも見出したい。「コンピュータの父」、「IBMが稼ぎ出している半分はノイマンに負う」とも言われる、ジョン・フォン・ノイマン(1903〜57)。電光石火の計算力とカメラのように正確な記憶力を有する上に、彼は文学、歴史などの豊富な知的持主でもあった。ここにあの天才の発想の源があるように思われる。いかに計算が速くても、記憶力が優れていても、コチコチの頭ではあのようなパラダイムの変換は生まれない。ノイマンに限らず、独創的なアイデアを産み出す人は皆そうである。ノイマンと並びサイバネティックスの創始者ノーバート・ウィーナーもまた哲学を教える一方で熱烈なシャーロッキアンであった。ビル・ゲイツがダ・ヴィンチのコレクションの一部を入札したとも聞く(これは大富豪のなせるところか、それとも美術好きかは?)。

 アメリカでの高度情報処理者育成に関するお話。”ザックリいえば、プログラミング以外の分野における素養や能力がプログラマーの善し悪しを決める。つまり、音楽や絵画や芝居あるいは物理学や数学や文学の素養である・・・。”

 されど逆は真ならず、理系の人が見事な小説やエッセイを書くことはあっても、文系の私などがコンピューターに挑むなんてまるでドン・キホーテみたい。

 これ経済学のお話?脱線しましたが、結構経済学に関係があると思うのですが、そのわけは次の夜話でご紹介しましょう。

(参考:スティーブ.J.ハイムズ 『フォン・ノイマンとウィーナー』)

第6夜から第10夜までへ

経済学物語へ戻る