「それはおよそ善き時代でもあれば、およそ悪しき時代でもあった。知恵の時代であるとともに、愚痴の時代でもあった。信念の時代でもあれば、不信の時代でもあった・・・」 ディケンズ『二都物語』の出だしである。ある席で同僚からすすめられたノイマンが、即座に語り始めたのがこの小説であった。しかもその暗誦は15分にも及んだという。記憶力抜群の天才ノイマンを語るエピソードとして伝えられているが、同時に私はノイマンの豊かな感性をも見出したい。「コンピュータの父」、「IBMが稼ぎ出している半分はノイマンに負う」とも言われる、ジョン・フォン・ノイマン(1903〜57)。電光石火の計算力とカメラのように正確な記憶力を有する上に、彼は文学、歴史などの豊富な知的持主でもあった。ここにあの天才の発想の源があるように思われる。いかに計算が速くても、記憶力が優れていても、コチコチの頭ではあのようなパラダイムの変換は生まれない。ノイマンに限らず、独創的なアイデアを産み出す人は皆そうである。ノイマンと並びサイバネティックスの創始者ノーバート・ウィーナーもまた哲学を教える一方で熱烈なシャーロッキアンであった。ビル・ゲイツがダ・ヴィンチのコレクションの一部を入札したとも聞く(これは大富豪のなせるところか、それとも美術好きかは?)。
アメリカでの高度情報処理者育成に関するお話。”ザックリいえば、プログラミング以外の分野における素養や能力がプログラマーの善し悪しを決める。つまり、音楽や絵画や芝居あるいは物理学や数学や文学の素養である・・・。”
されど逆は真ならず、理系の人が見事な小説やエッセイを書くことはあっても、文系の私などがコンピューターに挑むなんてまるでドン・キホーテみたい。
これ経済学のお話?脱線しましたが、結構経済学に関係があると思うのですが、そのわけは次の夜話でご紹介しましょう。
(参考:スティーブ.J.ハイムズ 『フォン・ノイマンとウィーナー』)
|