アメリカの経済のお話です。
台湾のメーカーが、アメリカ製のマイクロプロセッサーにシンガポール製のディスク・ドライブを接続し、中国製のプラスチック・ケースに納めて、アメリカに輸出できるような時代になっているのにもかかわらず、貿易の比率がそれほど上昇しないのは、なぜでしょうか?
それは、工業製品の行き来はかつてなく激しくなっていますが、その一方で、こうした貿易財がアメリカ経済に占める比重が低下しているからなのです。
皮肉にも、時が経つにつれ増えていく仕事は、アメリカ経済が得意な分野の仕事ではなく、不得意な分野の仕事になっています。例えば、アメリカ農業の生産性は極めて高いのですが、労働人口に占める農業部門の就業者の比率はわずか2%にすぎません。一方、レストランで給仕したりレジを打つ人の雇用は変わらずむしろアメリカの雇用増加の多くを外食産業や小売業が占めています。そうしますと、生産性の伸びが大きい産業では、雇用が増加するのではなく減少する傾向にある、というパロディが成り立つ?ということになるのでしょうか。
概して、モノをつくる仕事の分野では生産性が上昇していますが、サービス業の生産性はあまり上昇しませんね。例えば必要な情報をパターン化し、コンピュータやロボットのプログラムを組むことが比較的容易な分野では、生産性が大幅に上昇しますが、逆に、散髪や医療など情報処理の手順がわかりにくく、きわめて複雑な仕事、つまり常識が重要な要素になっている仕事では、生産性の伸びは低いのです。
ということは、生産性の上昇は却って雇用の増加をもたらさない、それどころか減少すら招く?というパラドックスが生まれそう。そしてコンピュータやロボットに人間の代わりをさせることができない仕事や、人間の感性を必要とするような分野で雇用が増加し、少なくとも維持される、という現象が起きるかもしれない、というハテナ博士の逆説は正しいのでしょうか何かか間違っているのでしょうか?
(参考: ポール・クルーグマン『良い経済学悪い経済学』)
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