前夜からの続き

第21夜から第25夜まで

第21夜 - Why Germany Kant Kompete

ある本(末尾に掲げてあります)の表題に上のような綴りがありました。あれ!誤植かしら? Kantはcan't、Kompeteはcompeteの誤りかしら?ついでにクェスチョンマーク(?)もありませんね。いえいえ、そうではありません。この本の著者(クルーグマン)はわざと英語をドイツ語風に変えてあるのです。ヨーロッパの統一通貨が成立したら、次は統一言語が成立するだろう、その言葉は若干の改良を加えた英語であるべきだという論を皮肉ってCのところをKに変えているのです。そうなれば相当混乱(confusion→konflikt)しますよね。そのこころは?

その一つ。新しいヨーロッパはドイツによって支配されてしまうのではないか、ということ。ところが、今はドイツはいつのまにかヨーロッパの病人になったといわれます。ベルリンの壁が崩れて旧東ドイツという重荷を抱えてしまった、あるいはドイツは規制が多すぎ、福祉が行き届き、効率性が失われてしまった、といわれます。だから言語まではドイツ語風に染まらない、と。

その二つ。ドイツはかなり保守的であるということです。ドイツ人は強い通貨と健全な財政を信じているからアングロサクソン流のような自由市場になじまず、したがって統一言語ができてもこういったドイツ訛りになるであろうと。

その三つ。文化の違いが語られていることです。言うなれば哲学者カントとプラグラティズム(実用主義)ジェイムズの違いですね。ドイツは原理原則で行動するのに対してアメリカは何でもうまく行けばそれでよしと。閉店時間をキチッと決めるのがドイツなら、夜の11時にショッピングしたいならそれでよしというのがアメリカ人の考え方なのです。

さてこの違いは何をもたらすでしょうか。どうも今日の世界は規律よりも柔軟性のほうが尊ばれるような時代なのです。とすればドイツという国は統一ヨーロッパに足を引っ張るようになりはしないか、というメッセージを発するのがCをKに変えるパロディとハテナ博士は思うんですが・・・。

(ポール・クルーグマン『嘘つき大統領デタラメ経済』。因みに原題は ' The Great Unraveling  Losing Our Way in the New Century ' 。いくら売らんかなといってもこんなに意訳していいのかなぁ・・・。)

第22夜 - Economicsということ

今夜はふたたび「経済学」という用語について、第1夜の政治経済学とは違った角度でその命名についてお話しましょう。実は経済学というターム(用語)は、ニュートンの科学と大いに関係があるのです。人文科学での経済にもニュートンと同じような自然科学的な考えを取り入れようとする動きが19世紀に入って盛んになりました。その提唱者がジェヴォンズ(W.S.Jevons. 1835〜1882年)という人でした。これまでの経済学は道徳哲学の色彩が強かったのでしたが、ジェヴォンズはニュートン力学をモデルとしながら経済学もまた数学化と実証に力点を置けば数理科学となり得ると考えたのです。そして経済学の理論をこれまでのPolitical Economyという用語からEconomicsという用語に変えようとしたのです。変えようとした、という曖昧な表現の意味は、彼の著書名は依然としてPolitical Economyのままであったからです。しかし題名こそ変えなかったものの、本文のなかではEconomicsという用語を採用しております。通説では経済学をEconomicsと呼んだ最初の人はマーシャル(Allfred Marshall. 1842〜1924年)とされています。が、ハテナ博士はマーシャルより先に命名したジェヴォンズに軍配を挙げたいのです。ですからジェヴォンズの名はもっとよく知られてしかるべきだと思っています。

さて、次の夜話は、通念上Economicsの提唱者とされる、かの偉大なマーシャルのお話といたしましょう。

第23夜 - Cool head but Warm heart

”冷やかな頭脳、されど暖かい心”―この言葉は、よく引用されています。たとえば入学式や卒業式で校長先生や学長から迎える言葉、巣立ちゆく学生へのはなむけの言葉として。わたくしもかつて青春時代にこの言葉に魅せられ信条としていたことがあります(今では逆に、Warm head and Cool heart となりかねない老年の自分を戒めていますが)。

さて、この有名な言葉はどこから来たのでしょうか。1885年、アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall, 1842〜1924年)が、フォーセット教授の後任としてケンブリッジ大学教授に選ばれたときの開講の辞で、「経済学の現状」と題して述べた終わりのところで出てまいります。素晴らしい名文ですので、その部分を次に記しましょう。

強き人間の偉大な母たるケンブリッジが世界に送り出すところの者は、冷やかな頭脳と温き心をもって、自己の周囲の社会的苦悩と闘わんがために自己の最善の力の少なくとも幾分でも喜んで捧げんとし、また教養ある高尚な生活のための物質的手段をすべての人に与えるのは如何なる程度まで可能なりやを明らかにせんがために自己の全能力を尽さぬまでは安心して満足せずと決心せる者であるが、これらの人々を益々多数増加させんがために、私は私の貧しい才能と限られたる力とを挙げてなし得るだけのことを為すというのが、私の胸中深く秘められた念願であり、また最高の努力である。

(板垣与一訳「経済学の現状」 『マーシャル経済学選集』より)

第24夜 - 会社は何を基準に取引銀行を選ぶか

すこし資料は古いのですが、1982年6月のAmerican Banker紙に次のような興味あるアンケートが載っておりました。それは国境なく資本を追い有利な取引機会を求めるグローバルな企業の財務担当者が、主要取引銀行を選ぶとき、なにを基準とするかのアンケート調査を掲載しています。それによると、「長期にわたる歴史的な関係」が第1位に挙げられていることは、極めて重要な示唆を与えていると思われます。あの生き馬の目を抜くような厳しい競争に晒される財務担当者であっても、伝統の力を大切にし歴史の重みを自覚していることにハテナ博士は思わずウ〜ンと感じ入ったことでした。
主要取引銀行の選択理由
第1位
長期的な歴史的関係
第2位
北米以外での支店網
第3位
必要な時の資金の貸付
第4位
取引担当幹部の優れた才能
第5位
グローバルな多国籍関係における能力
第6位
強力な国際業務能力
第7位
競争的な貸出金利

(資料:調査対象企業の財務担当者(Treasurer)の意見聴取。American Banker June 4. 1982.)

第25夜ー 老人力を侮(あな)どるなかれ!

高齢化に立ち向かうあなたは何に生きがいを見出していますか?それぞれの生涯設計を立てられているでしょうが、ついつい体力、気力が衰えたと愚痴ることがありましょう。そんな時、「精神的に永遠に老いないでいる法」を紹介いたしましょう。著者はマーフィーです。(長くなりますので一部カットしています)

「ローマの愛国者カトーは、80歳でギリシャ語を学びました。・・・老人たちの身につけた教養を見ることはすばらしいことです。マッカーサー将軍、ハリー・S・トルーマン、アイゼンハワー将軍・・・などはおもしろい人たちで、活動的で、その才能や知恵で世界に貢献しております。ギリシャの哲学者ソクラテスは80歳になったとき、楽器を奏することを学びました。ミケランジェロが最も偉大な絵画を描いたのは80歳のときです。・・・80歳でゲーテは『ファウスト』を書き上げました。ランケが『世界史』を書き出したのも80歳のときで、仕上げたのは92歳のときです。・・・ニュートンは85歳に近いころでも、一生懸命に研究しておりました。・・・」

ちょっと待ってください、マーフィーさん!何も外国人ばかりを例に挙げることはありません。日本にも矍鑠(カクシャクとして老人力を発揮した人びとはおりますぞ。本居宣長の主著『古事記伝』は68歳で完成。日本最初の正確な地図を作った伊能忠敬は、55歳から蝦夷と奥羽を手始めに74歳で没する直前の71歳(1816年)まで自らの足で日本全土の沿岸の測量を完了させました。

わざわざ有名で長生きした人たちばかり引っ張り出している、と言わないでおきましょう。著名になるかもしれないし、例えならなくてもまだまだ自分の好きなことをやれると受け止めましょう。それにしてもこのパワーには驚きますね。これは経済学では解けない人間の魅力ということでしょうか。

(参考: ジョセフ・マーフィー『眠りながら成功する』) 

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