ある本(末尾に掲げてあります)の表題に上のような綴りがありました。あれ!誤植かしら? Kantはcan't、Kompeteはcompeteの誤りかしら?ついでにクェスチョンマーク(?)もありませんね。いえいえ、そうではありません。この本の著者(クルーグマン)はわざと英語をドイツ語風に変えてあるのです。ヨーロッパの統一通貨が成立したら、次は統一言語が成立するだろう、その言葉は若干の改良を加えた英語であるべきだという論を皮肉ってCのところをKに変えているのです。そうなれば相当混乱(confusion→konflikt)しますよね。そのこころは?
その一つ。新しいヨーロッパはドイツによって支配されてしまうのではないか、ということ。ところが、今はドイツはいつのまにかヨーロッパの病人になったといわれます。ベルリンの壁が崩れて旧東ドイツという重荷を抱えてしまった、あるいはドイツは規制が多すぎ、福祉が行き届き、効率性が失われてしまった、といわれます。だから言語まではドイツ語風に染まらない、と。
その二つ。ドイツはかなり保守的であるということです。ドイツ人は強い通貨と健全な財政を信じているからアングロサクソン流のような自由市場になじまず、したがって統一言語ができてもこういったドイツ訛りになるであろうと。
その三つ。文化の違いが語られていることです。言うなれば哲学者カントとプラグラティズム(実用主義)ジェイムズの違いですね。ドイツは原理原則で行動するのに対してアメリカは何でもうまく行けばそれでよしと。閉店時間をキチッと決めるのがドイツなら、夜の11時にショッピングしたいならそれでよしというのがアメリカ人の考え方なのです。
さてこの違いは何をもたらすでしょうか。どうも今日の世界は規律よりも柔軟性のほうが尊ばれるような時代なのです。とすればドイツという国は統一ヨーロッパに足を引っ張るようになりはしないか、というメッセージを発するのがCをKに変えるパロディとハテナ博士は思うんですが・・・。
(ポール・クルーグマン『嘘つき大統領デタラメ経済』。因みに原題は ' The Great Unraveling Losing Our Way in the New Century ' 。いくら売らんかなといってもこんなに意訳していいのかなぁ・・・。)
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