前夜からの続き

第26夜から第30夜まで

第26夜 - make it happenへ

アメリカの大学の先生がかつて学生たちを評してこんなことを言っていました。「70年代、米国のキャンパスを支配していたのは"let it be"(なるようになるさ)という、言わば大勢順応の空気だった。それが80年半ば以降、新企業の増大を反映して"make it happen"(自分でもやってやろう)という、人生を積極的に作り上げようとする活力が、全国の大学に広がった」と。

さてわが国での90年代は、不況が長引くなかリストラや就職難から"let it be"の風潮がはびこっているとハテナ博士には見えました、世紀が代わって2000年代は、是非とも"make it happen"の風が若い世代から湧き上ることを期待し、そしてそれは必ず起こってくる、と信じておりますが。

(参考:『アメリカ企業家精神の旅』より)

第27夜 -経済政策に関するマーフィの法則

ある経済学者は、皮肉屋マーフィーをもじって上のような法則を唱え、次のようなパロディーに仕立てています。

”経済学者の知識が最も行き届いており、彼らの間で最も意見の一致がみられたとき、経済学者の経済政策に与える影響力は最小となる。逆に、経済学者の知識が最も不足し、意見の不一致が最も大きいとき、経済学者の影響力は最大となる”

いやはや何という皮肉なんでしょうか。経済学者が皆同じ意見であるときには放っておいても経済は上手くゆく、とは経済学者は要らないということになります。反対に経済学者間で侃々諤々の議論をしているときにその政策に与える影響は大きくなるとは!そうであれば経済学の教科書なんて要りませんね。或いはケインズのような独創的な経済学者待望論かもしれません。

(W.カール・ビブン『誰がケインズを殺したか』より)

第28夜 - バグを取り除く

r前夜に引き続いて同じ本からもう一つのお話。それは電子計算機の誕生を巡る物語です。ご承知のとおり、真の電子計算機の第一号はENIACでした。当時は真空管を用いてつくられたのです。このためにある問題が発生いました。そこで著者のカール・ビブンは次のように記しています。

”1万8千個の真空管を使用したENIACは、放熱の冷却という深刻な問題を提起した。今日、コンピュータについてよく使われる「バグを取り除く」(debugging)という表現は、真空管にたかる蛾によって初期の機械がときどき被害を受けたことに由来する。また、真空管を使用したコンピュータは電力を大量に必要とした。出所が怪しい話だが、ENIACがペンシルベニア大学で最初に稼動したとき、街が薄暗くなったという逸話が残っているほどだ。”

著者も断っているように、後の逸話の真偽は定かでありません。何しろこの本が出たとき(1990年)にある本屋さんでは、推理小説のコーナーに並べられていたほど(これはハテナ博士が実際に見たこと)でしたから。

(W.カール・ビブン『誰がケインズを殺したか』)

第29夜 -ルーズベルトとケインズ

3夜連続で前夜、前々夜の著書の中から面白いお話を続けて紹介いたしましょう。少ししつこいな〜? でも我慢して読んでください。1929年のアメリカ大恐慌のお話。この建て直し策がかの有名なニューディール政策。ディールの意味はトランプのカードを切る、或いは切り直すという意味なんだそうであります(もっともここんところはハテナ博士の記憶によるものです)。建て直しの主役は経済学者のケインズとルーズベルト大統領でした。かたやケインズは経済を拡大するために政府支出を増大せよ、と提言します。かたやルーズベルトは余りケインズを評価していなかったようです。1932年の大統領選挙キャンペーンで、フーバーに対して、彼の採った赤字財政の無責任さを批判しています。彼は元来均衡予算という伝統的な信仰の持ち主でありました。ということはルーズベルトが理論としては、大恐慌の救い主であったという神話は崩れることになります。しかし、彼の信念にもかかわらず、最後には人々を飢えさせるわけにはいかぬ、ということで彼は財政赤字を伴う公共事業政策を行います。このあたりはさすがにアメリカ的なプラグマティズムが働いて柔軟な姿勢をとれる良さを持っているといえましょう。

(W.カール・ビブン『誰がケインズを殺したか』)

第30夜 - 多国籍、コングロマリット、グローバル

多国籍企業という言葉は、1960年4月、カーネギー工科大学大学院創立10周年記念シンポジウムで、D.E.リリエンソール(D.E.Lilienthal)が講演のなかでMultinational Corporationと表現したのが始まりといわれます。

コングロマリットという言葉は、もともと鉱物学上の用語で、いろいろの岩石の小片を無秩序な形で含有する岩のことでありましたが、第二次大戦後、経済用語として転用されるようになりました。例えば一社で、エレクトロニクス、スポーツ用品、食肉加工、ミサイル、航空運輸業、製鉄、レンタカー、薬品、電線、ステレオ、事務用品といった具合にお互いに関連のない業種を数多く支配する”複合企業”とか、”多角的企業”のことを指します。

さて今日では、多国籍とかコングロマリットとかの言葉は余り使われなくなり、代わってグローバルという言葉一色になりました。この言葉がもてはやされている反面、一体グローバリゼーションとかグローバル化とは何なんだろう?例えばグローバル・スタンダードなどと言ってもどうせアメリカングローバルだ、などと批判されていますよね。よく判らない言葉に聞こえるのは、ハテナ博士の無知なのでしょうか?

(参考:宮崎義一『転換期の資本主義』) 

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