わたし達が普段何の疑いもなく買い物をしたり貯蓄したりするお金(貨幣)とは何者?この上なく便利な紙切れやコインには一体値打ちがあるの?なぜ紙切れや鋳貨がそれ自体では殆ど値打ちがないのに全国どこでも通用するの?遥か昔は兌換銀行券といって金(キン)に換えることができるという保証がありました。が、今日は不換銀行券と言って紙幣を日本銀行に持っていっても金(キン)に換えてはくれません。日本銀行の貸借対照表には銀行券の発行額は負債の項目に計上されているにも拘わらずその負債性はどこへも払うことはないのです(一般の企業では負債は必ずいつかは支払わなければならないのにネ)。考えてみればこの貨幣という魔物は昔から多くの謎めいた物語を作ってきました。これをフランケルという人は次のように余すところなく描き切っております。
貨幣にたいしてなされてきた定義や記述は無数である。貨幣は諸悪の根源だとするものから、貨幣は天からの恵みだとするものまである。あるものは大した問題ではないといい、またあるものは重要すぎるぐらい重要だという。貨幣は政治的現象としても、あるいは社会的現象としても描かれてきた。また、メカニズム、鏡、宗教、神話として。複雑さを縮減するコミュニケーションの手段、あるいは、複雑さを増加させる夾雑物として。守銭奴の呪詛、浪費家の霊薬として。不活性の中立的なもの、あるいは、「経済システムを刺激して活発にするドリンク」として。社会進歩の道具、あるいは、それの障害物として。*
はて何とややこしい説明でしょう。でもインフレやデフレに出会うとき、きっとこの貨幣という魔物に翻弄されることになるのです。次夜は再びお金とはについてかのシェイクスピアのセリフをご紹介しましよう。
(*S.H.フランケル『貨幣の哲学』−信頼と権力の葛藤ー)
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